第222話 カイラスの心は青空のように澄み渡る
私達が同時に地面を蹴って前に出る。鏡合わせのように同じ型で剣を振るい、そして当然剣筋は合致して金属音を響かせる。動きは同じ、だが向こうの方が速さも鋭さも上。しかしその状態にあって、私は喜びを感じていた。
幾度斬撃を繰り出しても、時に予想外の攻撃をしてもそれに反応してくるノヴァ。少しでも攻撃の手を緩めれば苛烈な攻撃を返されることもある。そしてその全てが、才能ではなく努力で手に入れたものとしか思えない。
父上やギリアムの師匠、かなり昔ではあるがゼロードの兄上とも戦ったことはあるが、それらとはまるで違う。いったいノヴァはどれだけの敵と空想の中で戦い、剣に関する知識を蓄え、そしてそれを体が寸分の狂いもなく動くまで繰り返し続けたのか。
見誤っていた。いや、あの時から時が止まっていた。
幼き頃に見た、ただ愚直に剣を振るうだけのノヴァの姿から時が進んでいなかった。あの小さな、泥にまみれた少年が剣を振り続けた果てが、これか。ここまでなのか。
「っ まだ!」
けれどそれでも、私にも意地がある。同じように剣に向き合ってきた者として、譲れないものがある。
戦いの中で感覚が剣のように研ぎ澄まされ、動きがさらに最適化される。目の前の、ノヴァ・フォルスと戦うとき専用のものとして更新される。
しようという気持ちなどない、ただ体が、勝手に進化を始める。
「ふっ!」
見える。見えるから防げるし、避けれる。
「ぐっ!」
防げる。防げても向こうの方が威力は上なので、体全体を使って衝撃を逃がす。
繰り出された突きを、体を横に回転させながら威力を逃がし、そして振り向きと同時に鋭く振り払う。
「しっ!」
「っ!?」
防御は間に合うものの、ノヴァの突きの一撃すら私の力に変換して叩きつけたので流石にノヴァの重心がブレた。
明確な隙を、見た。
全力で地面を踏み抜き、前へ、ノヴァの懐に入り込み、右手の剣を握る手に力を入れて渾身の突きを四連続で放つ。一つは空を突き、一つはノヴァの肩を掠め、一つはわき腹を掠める。
いや違う、掠めたのではなく致命傷を避けられた。
そして最後の一突きの切っ先が、ノヴァが超速で繰り出した突きの切っ先と衝突する。点でぶつかり、前に押し出す力と共に、後ろへ押し返す力が手から、腕から伝わって体を貫いた。
「くっ」
「っ」
鈍い金属音を響かせて私達は同時に後ろへと飛ばされた。すぐに地面に足をつけて顔を上げ、ノヴァの位置を確認する。私の少し先、しかし剣の届かない位置にノヴァは居た。全く同じタイミングで顔を上げて、私を見ていた。その距離を見て少しだけ冷静になった私は状況を分析する。
私も戦いの中でノヴァの動きに最適化してきている。けれどそれ以上にノヴァもまた私の動きを捉えきっている。私がノヴァとの距離を縮める程に、ノヴァは同じだけ距離を離す。私が追い、ノヴァが逃げる。
この戦いの中で、私とノヴァは互いを高め続けている。
「……はぁーっ」
大きく息を吐き、体の興奮を抑え込む。けれどその程度で収まる筈はない。だってノヴァもまた、笑みを浮かべ続けているのだから。
剣を構えれば、間髪を入れずにノヴァも同じ構えを取る。心の底から剣を楽しんでいるのが分かる。
「ああ……」
エリザベートにノヴァの力を見定めてくれと依頼された時、ほんの少しでもライラックの伯父上に譲ろうとしたあの時の私を殴って聞かせてやりたい。ライラックの伯父上もノヴァと剣を合わせれば考えが変わるかもしれないと思った。血の繋がる者として、我らの繋がりをあの時は重視したのだが。
今になって思えば、そんなことはどうでもいい。
あそこで譲っていればこの感動を覚えることは出来なかった。このようにノヴァと共にどこまでも成長できなかった。この千載一遇の好機を失うところだった。
譲るものか。今この時は、この瞬間は私達のものだ。私が欲したものだ。ライラックの伯父上のものではなく、私とノヴァのものだ。
「…………」
不意に頭が冷静さを取り戻す。私は今何を……そう思ったところで。
「……ははっ」
笑みが漏れた。なんだ今のは、と思った。私らしくないと思った。そんな他ではなく自分を最優先にするような、自分の喜びのみを考えるようなのは。
だが心の中には、そういった気持ちが確かにあった。あったのだ。形成された硬い殻の中に、確かにあった。いやある。私の中にも、他の人と同じ熱があるのだ。
それが分かったことが、さらに胸を熱くさせた。
地面を蹴り、前へ。ノヴァもまた同じように前へ出る。
――なあノヴァ、どこまでも上り詰めよう。二人で、どこまでも
剣がぶつかり合い、耳に金属音が響く。体の動きに任せて常人ならざる動きを見せながらも、心の中はやけに穏やかだった。
お前に付いていけば、その先が見えるのか?
問いに対する返答はない。そもそも言葉に出していないのだから、ノヴァが答える筈もない。けれど彼の剣が教えてくれる。
フォルスが……いや私達が歩める未来が、確かにあるのか?
――分からないけれど、きっとそれは今までとは違う未来だと思う
そう彼の剣は教えてくれた。何度も何度も剣を交える中で、伝わってきた。私とノヴァの差が、広がり始める。私の進化もいつかは終わりを告げる。けれどノヴァの進化の終わりは見えない。だからこの時間が終わる前に、剣で尋ねられる内に、全てを聞かせてくれ。
ならばその未来を、明るく出来るのか? 輝かしいものに出来るのか?
――出来るし、きっとそうなる。そうなるために尽力するし、そうなるには。
頭の中に響く声がそこで途切れる。けれど言いたいことが分かるからこそ私は剣撃の交わる中で思わず笑った。確かにノヴァの言う通りだ。いつまでも他力本願ではいけないと、そう気づいた。
ああ、そうだな。私もまた、それに力を貸したいと思う。貸せれば、それ以上の喜びはない。
――兄上……
圧倒的な剣の前に、私の剣がついに目に見えて後れを取り始める。無理だと分かってしまった。これ以上は、先へは進めない。ああ、ここが限界か。尽きかける体力に心の中で恨み言を。
そしてノヴァ・フォルスの考える未来に、称賛と誓いを。
「お前の剣っ……確かにっ……受け取ったっ!」
最後のあがきとして突きを繰り出す。今の自分が出せる最高のタイミング、最良の角度、そして最善の速度だった。
「っ!」
けれどそれはノヴァに避けられ、そして。
「ああ……」
体に強い衝撃が走る。私とノヴァの縮まった差は、また開いて。そしてもうノヴァの剣の声を聞くことは出来なくて。でも、それでよかった。もう聞きたいことは聞けたから。知りたいことは分かったから。
「見事だ……本当に見事っ」
息が苦しい。心臓の鼓動があまりにも早すぎる。
「お前の勝ちだ、ノヴァ。お前の選んだ先を……共に……見れることを……嬉しく思う……」
視界がぼやける。ノヴァの表情はもう鮮明には見えないけれど、きっと満足そうに笑っていると思った。だって私が、そうなのだから。
「すごいよ……お前は」
本当に、凄い。
自分が最後になにを言ったかもよく分からないまま視界は上へと流れ、霞んだ青空が見えた。そしてすぐに背中に衝撃を感じ、手足にじんわりとした疲労感が押し寄せる。
『そこまでっ……勝者、ノヴァ・フォルス』
はるか遠くで声が聞こえて、負けたことを知った。知っていたけど、改めて知った。
完敗だ。今を、将来得るものすらも出しきってなお、届かなかった。
届かなかったけれど。
「ああ……」
滲んだ視界でも空が見える。そしてそこに雲の一つもないことが分かる。こんな風に空を見上げたことはなかった。でも今思うことは。
「いい空だ」
この青空と同じくらい、私の心は澄みきっている、という事だ。




