第213話 確実にするために、未知を既知にする
「出産時に……抹殺……」
思わず声が漏れた。エリザベートの後ろに立つティアラも同じ気持ちだったらしく、彼女もまた目を見開いていた。
「なる……ほど……」
まず思ったことは、何という事を考えたのか。出産というのは新たな命が生まれる祝福すべき瞬間である。その時を狙い、抹殺する。普通は考えつかないだろう。仮に考え付いたとして、実行しようと思うことは多少なりとも気が引ける。
俺自身それを聞いて、いやその方法は……とほんの一瞬だけ思った。だがその後すぐに気づいてしまったのだ。
確かにそれならば……確実にあの悪魔を消すことが出来るのではないかと。
気づいた瞬間にそれはあまりにも魅力的で、決定的な手法に思えるようになった。目下で最も邪魔な女、レティシア・アークゲート。あの悪魔を排除するにはそれしかない。そう思った瞬間にこれまでの迷いが消え去った。
その代わりに現れたのはエリザベートの提案の甘美さ。この提案に乗ればあの悪魔を消せる。出来損ないも消せるだろう。かつてのフォルス家を取り戻すことが出来る。
そこまで考えて私はハッとした。
いや待て、まだ早い。焦るな、よく考えろと頭の中で自らが制止する。
「……仮にそれが成功するとして、その後は?」
同じような結論に至っていたのか、カイラスもエリザベートに尋ねた。
そうだ……仮に悪魔を、出来損ないを消したとしてその後はどうする? フォルス内部に我らの反乱を糾弾できる戦力はその後は無いだろう。だが外部は別だ。そう思ったとき、エリザベートが口を開いた。
「この件に関してはオズワルド陛下に話を通してある。もしもあれとノヴァ・フォルスを打ち取ればアークゲート家は私が、フォルス家はライラックかカイラスに任せると」
エリザベートはその後のことまで考えていた。国王陛下が後ろ盾になるのなら、これはもはや反乱ではなく粛清である。大儀ある戦いにすらなるだろう。
「あ……ああ……」
見えてしまった。魅せられてしまった。悪魔を、出来損ないを消せる。その後にフォルス家は戻ってきて、また元の形になる。それが今、夢ではなく現実に出来ると確信した。
そう思っているのが表情に出ていたのか、エリザベートは俺を見て不敵に微笑んだ。
「その様子ならばこの取引には応じてもらえそうだな、ライラック?」
「…………」
無言で、ただし視線だけを返すとエリザベートは鼻で笑い、次にカイラスに視線を向けた。
「そちらはどうだカイラス? お前の守りたかった、支えたかったフォルスを脅かすものは消える。ならば悩む必要などありはしないだろう? それとも……兄弟の情でも浮かんだか?」
刹那、空間を押しつぶすほどの重圧が襲い掛かる。俺のみならずティアラも、横に立つカイラスも立っていることがままならなくなり、膝をつく。
「まさかそんな筈はあるまい? まあもしそうならば、それもそれで構わんがな。他者に口外しないなら、参加しなくてもいいぞ」
嘘だと、全身が訴えた。エリザベートはカイラスが少しでも躊躇うそぶりを見せたらこの場で殺すつもりだ。だから私は必死に声を紡いだ。
「ま、まてエリザベート……カイラスはフォルスを守る為にと言い聞かされてきた。そのために生きてきた。そのカイラスがこの提案に乗らない訳はない!」
最後になんとか声を絞り出す。今この場でカイラスが亡き者にされる未来だけは、絶対に避けなければならなかった。
「……乗りましょう」
カイラスの返事は、まっすぐだった。
驚く俺を無視して、カイラスはエリザベートを見上げる。その目はまっすぐで、先ほどカイラスの屋敷で見た迷いは見受けられなかった。
「私は今の当主が考える未来のフォルス家と今まで教え込まれてきた過去のフォルス家を天秤にかけて迷ってきた。だが当主の考える未来のフォルス家がそもそもなくなるというのなら、迷う必要性も無くなるというもの。……それに、少し腹に据えかねている部分もある」
最後にほんの少しだけ怒りの感情を見せたカイラス。それが秘密裏に自身を監視されていたことを指していることを悟り、納得した。
先に信頼を裏切ったのは向こうだ。それもまた気に入らないのだろう。
「…………」
エリザベートはじっとカイラスの目を見ていた。その手がいつカイラスの首に伸びるか心配で仕方なかったものの、結局は伸びることはなく、彼女は、ほう、と呟いた。
「最初は恐怖で従えるつもりだったが……どうやら胆力もあるらしい。気に入った。それでこそアークゲートの宿敵たるフォルスに相応しい」
得意気に笑ったエリザベートは最後と言わんばかりに残ったティアラに目を向ける。何も言わなかったけれど、すぐにティアラは声を上げた。
「も、もちろん私は姉上に全て従います!」
「お前ならそう言ってくれると思っていたぞ、ティアラ」
満足げに頷いたエリザベートは、さて、と言って話題を切り替えた。
「なら次の話をしよう。計画に関しては今話した通りだ。あれの出産時期を待ち、その時間に決行する。そのためにお前達に注意してほしいのは、それを周りに悟られないことだ。……とはいえアークゲートの諜報員程度の目ならば私の力でごまかせる。そこは気にしなくていい。ただ、あれやあれに近しい者に会うときは用心してくれ。他はともかく、あれに対しては察知される危険性が高いからな」
「……あの悪魔は、それほどか」
「ああ、私がここに戻って来てから絶対に避けてきたのはあれに知られることだ。それ以外ならば問題はない、と結論付ける程にな。……良いか? 決してあれに知られるな。それだけでお前達は夢の未来を手に入れられる」
レティシア・アークゲートの力に戦慄するものの、元々自分から近づこうとは思っていなかった相手だ。気を付ければ特に問題はないように思えた。カイラスに目を向けると彼も同じ意見のようで、はっきりと頷いた。
「最後に敵の戦力について知っておきたい。アークゲート側に関してはよく知っていて、あれ以外に苦戦するような相手は現状居ない。だがフォルス家に関しては……特にノヴァ・フォルスに関しては未知数だ。あれの力を受けて強化されることは知っているが、それも出産時には受けられまい。とはいえそれ以外に何か特殊な力を持っていないか?」
「…………」
エリザベートの言葉に私は考え込む。彼女は用意周到で、アークゲート側はもちろんの事出来損ないの事もある程度は調べていた。けれどその中には一つだけ、ない情報がある。
ゼロードを別邸で倒したときの力はエリザベートも知らないようだった。それはおそらく、あの場に悪魔が居たことで近づくのをやめたからか。
「一つ……不安材料がある」
「なんだ?」
「ゼロードとあの出来損ないが戦ったとき、ゼロードの覚醒した覇気に対して出来損ないは見たことのない力を使っていた」
「……ほう?」
エリザベートの表情に興味の色が浮かぶ。
「本当か? カイラス」
「……ああ、だがあれも当時の感覚から考えるにレティシア・アークゲートの力だ。そしてその力は、あれから一度として見てはいない。再現できないのではないかという話を小耳に挟んだことがある」
「……なるほど、話だけを聞くならばあれが関われない以上脅威にはならなさそうだが……確信が持てないな」
エリザベートは考え込む素振りを見せる。全ての脅威の芽をなるべく潰しておきたいという考えだろう。
ふと、視線を感じた。そちらの方を見てみると、カイラスがじっと俺を見つめていた。何か言いたいことがあるのかと思ったが、口を開く様子はない。
なので俺は黙ったままで、けれどなんと声をかけていいのか分からなくて視線を向けるだけ。やがてカイラスは俺から視線を外し、エリザベートの方を見た。
「それなら、私が直接本人に聞いてこよう。同時に適当な理由を付けて剣を交える。……向こうの剣の腕は上がっているが、流石に覇気を使えば私やライラックの伯父上の方が上であることを念のために確認した方が良いだろう。もしも及ばなければ……あなたに対処してもらう他ない」
カイラスの言葉にエリザベートはくくっ、と小さく笑った。
「最悪の場合は他力本願か。だが最悪かどうかを見極めるために自ら時間と役割に身を割くのは悪くない。……良いだろう。実際に戦い、ノヴァ・フォルスの戦力を教えてくれ」
「了解した。結果はライラックの伯父上に報告すればいいか?」
「ああ、それでいい。そこを経由して伝えてもらおう」
そう言ったエリザベートは邪悪な笑みを浮かべ、俺の元へと歩いてくる。威圧感を感じ、体を固くする俺の肩に彼女の手が置かれた。
「喜ばしいなライラック? 将来有望な若者がフォルス家に居て、少し羨ましいぞ」
「……そう……だな……」
「くくっ……話は終わりだ。ライラック、カイラス、私の信頼できる協力者を元の場所まで送り届けよう。懇切丁寧に……な」
そう言ってエリザベートは部屋を出ていく。先ほどの機器の場所に戻るのだろうという事は、想像に難くなかった。残ったのは俺とカイラスと、ティアラ。ティアラは話すつもりもなさそうなので、カイラスへと声をかける。
「カイラス――」
「流れは完全にこちらに来ています」
しかしその途中で、遮られてしまった。向けられた表情はいつもの無表情、そこには冷静なカイラスが居た。
「エリザベート・アークゲートの力を持ってすればレティシア・アークゲート以外は取るに足らないでしょう。戦力的にはレティシアを除外して考えればこちらの方が上。勝利は固い」
「カイラス……ああ、その通りだ。我らの目指す未来は思った以上に近い」
そして俺はとても嬉しかった。ノヴァに当主の座を取られてからというもの、カイラスは力なく日々を送っているように見えた。けれど今のカイラスはあのエリザベートに対しても豪胆に言い返すことが出来て、しかも状況を見極められるほどの冷静さもある。
俺が今まで思っていた、本当にフォルス家の当主に相応しい者の姿がそこには在った。
「行くぞカイラス。屋敷に戻り、私は時を待つ。お前は……使命を果たせ」
「はい……フォルス家を支えるという使命を、必ず」
その答えに満足げに笑い、俺達は部屋を後にする。
機器のある場所に繋がる廊下は薄暗いのに、来た時よりも遥かに明るく見えた。




