第212話 女性が外敵に対してもっとも無力になる時
「では、行くとしよう」
その言葉と共に世界が暗転し、日の光の差し込む明るいカイラスの屋敷の応接間は薄暗い闇へと切り替わる。いや、周りの空間が変わったのではなく、俺達が別の場所に移動したのだと気づいたのは、体を襲う浮遊感が一瞬で消えるのを感じたからだ。
「……ここ……は……?」
戸惑う声を上げるカイラスに、エリザベートはフードを被ったままで答えた。
「辛気臭い場所で申し訳ないが、隠れ家の一つだ。お二人を別の場所へと転送した」
「……これは、あの女が使うゲートの魔法か?」
周りを見渡しながら尋ねる。確かにここは廃屋のような場所で、手入れがされていないことがよくわかる場所だ。出来損ないが言っていたゲートという魔法にそっくりだと思ったが、エリザベートは頭を横に振った。
「……そこから着想を得たのは間違いないが、こちらは移動先がここしかない劣化版だよ。使うのには補助が必要になるし、そう何度も使えるものではない。お二人を元の場所に送り届けるだけで今日の使用回数は終わりだ」
そう言ったエリザベートは懐から薬品を取り出し、それを飲み干した。確かに彼女の言う通り、ここには見たことのない機器がいくつか設置されている。エリザベートは相当な魔法の使い手だが、その彼女をもってしてもあの悪魔の再現は難しいという事か。
改めて敵対する存在の大きさに戦慄していると、エリザベートは飲み干した薬品の瓶を投げ捨てた。
「……私の屋敷から急に私とライラックの伯父上が消えたら、騒ぎになりませんか?」
「問題ない。魔法で対策してある。今頃屋敷ではカイラスとライラックが応接間で会話をして盛り上がっているという状況が出来上がっているさ。執事に話しかけられても対応し、アークゲートの監視の目すらごまかせるおまけ付きでね」
「……は?」
驚くカイラスを横目に、私は内心でほくそ笑んでいた。確かにエリザベートは魔法の腕ではあの悪魔に及ばないかもしれない。けれどそれ以外なら誰にでも勝てることをその身をもって証明していた。
今最もあの悪魔に実力的に近いのが彼女なのは、疑いようがなかった。
「……監視の目はあるかもしれないとは思っていましたが」
「私の所にもあったぞカイラス。まあノヴァからすれば、私達の事など信頼に値しないという事だろうな」
「…………」
適当に言葉を重ねれば、カイラスの表情が少し曇った。自分の行動を監視されているというのは気分が良い事とはとても言えない。しかもそれが秘密裏に行われていたとなればなおさらだ。
「とりあえずついてきてくれ。いつまでもここに居るわけにはいくまい」
そんなカイラスの心の内を見ようともせず、エリザベートは歩き出す。カイラスは少しの間だけ立ち止まっていたけれど、エリザベートが移動することに気づいたのか少し小走りで追いかけた。私もその後に続く。
エリザベート、カイラス、私の順番で寂れた廊下を歩き、奥の扉へと向かう。途中扉があったが、ボロボロだったり、そもそも破壊されていて荒れた部屋が見えていた。
エリザベートは何も言うことなく扉を開けて中へ。私達もそれに続けば、部屋の中は荒れてはいるもののまだ綺麗な方だった。その中でひときわ目を引いたのは、大きなテーブル。そしてその一番奥に立つ一人の女性。
「おかえりなさいませ、姉上」
そう言った女性は見ていて不気味と思うほどに恍惚な笑みを浮かべていて、彼女の前にはいくつもの空瓶が置かれていた。
声をかけられたエリザベートはフードを脱ぎ、その美しい金髪を晒す。女性を見て微笑むのが背中越しに分かった。
「ただいまティアラ。魔法の補佐、ご苦労だった」
「いえ、当然の事をしたまでです」
ティアラ、エリザベートはそう言った。ティアラはエリザベートの事を姉上と言っていたので、妹という事だろう。肉親に向けるものとしては大きすぎる感情が入った視線をエリザベートに向けるティアラを見て、私はそう思った。
「……さて、これで役者は揃った。椅子もなくて申し訳ないが、始めるとしよう。まずは自己紹介からだな。私はエリザベート・アークゲート。ティアラはもちろんの事、ライラックともすでに知り合いだが、君とは初対面になる。初めましてカイラス・フォルス。将来有望な若者に会えて、私は嬉しいよ」
じっとカイラスを見て自己紹介をするエリザベート。その言葉に今まで混乱していたであろうカイラスはようやく顔を上げて、そして聞き返した。
「……アークゲート?」
そしてエリザベートの言葉を頭の中で何回か反芻したのか、その名が合致したらしい。ハッとした様子を見せた。
「まさか……アークゲート家の先代当主……」
「初めまして、カイラス・フォルス?」
「は、初めまして……」
戸惑いつつも挨拶に応じるカイラス。気持ちはよく分かった。既に座を退いた先代当主、いつの間にか表舞台からは姿を消していた宿敵の家のかつての主がそこに立っているのだから、戸惑うのも無理はない。
「ここに集まってもらったものには、それぞれある共通点がある。理由は違うだろう。例えば私は当主の座を取り戻したい。ライラックはかつてのフォルス家へ戻したい。君は……フォルス家を守りたい、かな? けれど思っていることは同じだ」
そしてあまりにも甘美な一言を、その場に落とす。
「レティシア・アークゲートがこの世に居なければ」
それはある意味では夢のような言葉。全ての元凶ともいえるあの悪魔が居なければ、どれだけ今が変わっていたか……いや、「変わらずにいられたか」。それを考えたことは何度もあるし、焦がれたこともある。だがそれは夢に過ぎない。
「だからあれを、私達は消す」
「……だがどのようにしてそれを成す? そこが一番の問題だろう?」
夢は夢のままでは意味がない。現実にしなければならない。最大の標的、レティシア・アークゲート。この場に集まった4人はそれぞれが強者ばかりだろう。だがその力を結集させても悪魔には敵わない。敵わなければ排除も出来ない。
そんな俺の言葉に、エリザベートは邪悪な笑みを浮かべて寂れたテーブルに手を置いた。
「私はあれのことをよく知っている。あれは非の打ちどころがなく、完璧だ。正面はおろか背後も、絡め手ですら意味をなさない圧倒的な力をあれは有している」
「……姉上、それでは一体どうやって……」
「落ち着けティアラ……だがな、そんなあれでもその力を発揮できない瞬間がある」
力を発揮できない瞬間。それを聞いて私は首を傾げた。
「言っておくが、魔力抑制装置は通用していなかったぞ?」
俺の言葉に、エリザベートは鼻で笑う。
「当たり前だろう? 我らがアークゲートの魔力に対して魔力抑制装置なぞ、意味を成すわけもない」
エリザベートはちゃんとわかっている。ゼロードが取ってしまった悪手を彼女が取ることはない。ならば彼女の考えとは。
俺やティアラと呼ばれた女性、そして耳を傾けるカイラスに視線や雰囲気で急かされるものの、エリザベートは余裕な様子を一切崩すことなく、告げた。
「私が言っているのはいずれ訪れる瞬間の事だ。そのために何か特別なことをする必要はない」
邪悪な笑みで、答えを告げた。
「女性が外敵に対してもっとも無力になる瞬間は出産時に他ならない。だからこそ、その数時間であれを抹殺する」
とても合理的で、甘美な夢を叶える手法を、告げた。