第211話 影は静かに動き始める
父上の屋敷から帰ってきた私は馬車を降りるなり足音を聞く。振り返れば、屋敷の方から執事が息を切らしてこちらに駆けてきていた。
「だ、旦那様、おかえりなさいませ」
「ああ……何かあったか?」
「ライラック様がこの後、お見えになるとご連絡を頂きました」
「……なに? 聞いていないが」
眉をひそめてそう言うと、執事は困ったように頭を下げた。
「旦那様がご出立なされた後にすぐ……ライラック様は旦那様がご不在だとしても待つと仰られていましたので……」
「……なるほど」
急用という事だろうか。それならば仕方ない事だが、いったい用件は何か。その場で私は立ち止まり、顎に手を当てて考える。
「……ふむ?」
もしかすると、今なお私が悩んでいる件に関することかもしれない。ライラックの伯父上はノヴァを認めていないし、可能性としては高いだろう。
「あるいは別件か……それとも」
本当にノヴァに関する件なのか。少しの不安を感じるものの、私はとりあえず屋敷の中へと戻ることにした。
×××
その後、しばらく屋敷で執務を行った私は、執務室をノックする音を聞いた。言葉をかければ、執事が部屋の外から声をかけてくれた。
『旦那様……ライラック様がお越しになられました。現在は応接間にいらっしゃいます』
「ありがとう、向かおう」
部屋を出て、執事を伴って応接間へ。
数回ノックして扉を開ければ、ライラックの伯父上の後ろ姿が目に入った。
「ライラックの伯父上……?」
彼は椅子に座ることなく立っていて、手を後ろに組んで窓の方を見ている。普通なら隙だらけの背中を向けた状態なのに、どこか武人としての気迫を感じた。
そこでおずおずと声をかけると、伯父上はゆっくりと振り返る。その表情は緊張に少し固まっていた。
「来たか、カイラス」
違う、武人としての雰囲気を出しているのではなく、緊張しているのだ。いったい何がライラックの伯父上をここまで緊張させるのか。そう思っていると彼は私の後ろに目を向け、口を開いた。
「人払いを」
「……はい。……すまないが、離れてくれるか?」
なぜ人払いを? とは思ったものの、断る理由はないので応じる。
「かしこまりました。なにか御用がございましたら、お声がけください」
深く頭を下げて、執事は部屋を出ていってくれた。閉じる扉を見送って、私はゆっくりとライラックの伯父上の方を見る。あの伯父上が人払いをして、さらにはここまで緊張している。いったいどんな話をされるのかと私の方も緊張してきた時。
「お前は……ノヴァの意見についてどう考えている? アークゲートとフォルスを一つにする。その考えは正しいと思うか?」
ライラックの伯父上は口を開いた。重々しく低い声、そして私をじっと見る目。そこにはこれまでの信頼という重い気持ちが込められているように感じた。
だから私はよく考えて、慎重に言葉を発した。
「……迷っている、というのが正しいです」
「迷っている?」
「……私はフォルスを支えるよう教え込まれ、それが使命だと私自身も感じています。しかしノヴァの提案は既存のフォルスを消すも同じ。それを易々と受け入れることは出来ません」
「そうだ」
強く何回か頷く伯父上。この部分については同意だったようで、機嫌を損ねるようなことはなかったようだ。
けれどここからは、さらに言葉を選ぶ必要がある。
「……一方で、新たな流れというのもあると思います。現在のフォルス家の当主はノヴァです。ノヴァの決定はフォルス家の決定。……無論、ノヴァが間違っている場合には諫める必要もあると思いますが……」
色々と言葉を選んだが、どこまでを話せば逆鱗に触れないかが分からず、少し言葉を濁した。しかしライラックの伯父上は今の私の言葉を聞いてもなお、納得したように頷いた。
「やはりお前は大局が見える。私はな……あので……いやノヴァではなくお前が当主になっていればと今も思っている」
「い、いえ……言葉は嬉しいですが……それは……」
叶わない事であるし、下手すればその言葉は今の当主、ノヴァに対する強い不信の言葉だ。もしもレティシア様の耳になど入ったら、伯父上は殺されてもおかしくない。だが伯父上は、そんなことを微塵も考えていないようだった。
「これは私の本心だ。そのくらい、私はお前を評価している」
「……ありがとうございます」
評価してくれることは嬉しいので素直に感謝を告げると、伯父上は私をじっと見る。そのまま互いに何も言わずに数秒。
「もし、今の状況が変わっていたとしたらどうだったと思う?」
「……はい?」
問われていることが分からなくて思わず聞き返してしまう。
「もし……ノヴァもレティシアもこの世に居なかったとしたら、今どうなっていた?」
「そ、そのようなことに――」
何の意味があると返そうとしたところで、私は言葉を止めた。ライラックの伯父上の表情は真剣だ。世間話でもなんでもない。ただ真剣に、私の意見を聞こうとしているように思えた。
「……ノヴァやレティシア様が居ないのなら、大きく変わっていたでしょう。少なくともゼロードの兄上はあのような凶行に至ることはなかった。アークゲート家が接近してくることもない。ゼロードの兄上が順当に当主になり、私がその補佐になり、今まで通りのフォルス家を運営していたと、そう思います」
「ならば我々が守りたいフォルス家は存続していた、ということだな」
「……それはそうでしょう」
いったい何を言いたいのか分からないが、問われたことは事実そうだと思ったので返した。むしろそうなると思っていたし、それが本来のあるべき流れではある。今の状況が果てしなく異常であるのは、これまでのフォルスの歴史を知っている者ならば誰の目にも明らかだろう。
だがそれらはもしという仮定だ。しかも未来に対する仮定ではなく過去に対する仮定ほど意味のないことはない。そう思い、何を聞きたいのかを問おうとしたとき。
ライラックの伯父上は、嗤った。
「それが聞ければ十分だ」
その言葉と共に私達の間に一人の人物がまるで煙のように現れた。突然の侵入者に、私は腰にある剣の柄に手を伸ばす。けれどその途中で伯父上の言葉が響いた。
「カイラス、問題ない。こちらは私が呼んだ」
「……は?」
他人の屋敷に、侵入者を寄こしたといったライラックの伯父上。それに対して怒りを感じると同時。
「長い話は終わったか? ライラック」
たった一言を聞いただけで、私の中の怒りの感情など霧散し、恐怖という感情が湧き上がった。ゆっくりと、気づかれないように目線だけを動かして間に入った人物を見る。
全身を真っ黒なローブで覆っていて分からないが、背格好と声質を考えるに女性。けれど彼女が発す雰囲気は只人ではない。それこそ……あのレティシア様と同じような感覚すら覚える。
「カイラス……これから私達は話を聞く。その後に決めればいい」
だがそんな圧倒的強者である女性を前にしても、ライラックの伯父上は戸惑っている様子はなかった。知り合いであるというのもあるかもしれないが、それとは別の感情があるようにも感じられた。
「あの出来損ないに従い、フォルス家を消すか……それとも反抗し、全てを取り戻すかをな」
その言葉を発したライラックの伯父上は、どこか浮ついているようにも見えた。




