第205話 その言葉は、彼にとってあまりにも甘美で
自分の屋敷の執務室。そこで俺は椅子に座り、机の上に置いた拳を強く握りしめた。
あの出来損ないから話を聞いてから今に至るまで、普段通りに過ごしてきた。普段通りに仕事を行い、普段通りに人と会話をし、食事をして、睡眠を取る。それら全てがこれまでとあまり変わりはしなかっただろう。
だが、ふとした時に思う。どうすれば出来損ないの考えを打ち砕けるかと。どうすればフォルスを消し、アークゲートと一つになるというふざけた意見を否定できるかと。考えて考えて、その度に拳を強く握りしめる。
認められない。フォルスはフォルス、アークゲートはアークゲート、それらは相容れるべきではない。あくまでも今は出来損ないの代だからアークゲートに近づいているだけ。少しすればまた元のフォルスに戻る筈だった。
だが一つになればそれは叶わない。元々分かれているならば時代の流れで元に戻るだろう。だが一つになったものがまた二つに分かれて、元の形に戻るのか。確信がない。
「だからカイラスが当主になるべきだったのだ……だからトラヴィスは出来損ないをどこか適当な家の婿にでも出すべきだったのだ……そうすればフォルスは今までのままだったというのに……」
奥歯を強く噛んだ後に舌打ちをして、私は背もたれに寄りかかる。そして目がしらを指で揉んだ。
「……言ったところで、結局は無力か」
出来損ないの側にはあの悪魔が居る。あれを相手にしたら、私などそこら辺の兵の一人と変わりはしない。出来損ないも出来損ないで気に食わんが、あの悪魔さえいなければ……と思わずにはいられない。そうすれば出来損ないが取り込まれることも、フォルスが消えることもなかっただろうから。
「……?」
意味がなかった、どうしようもなかったと自分でも分かっている過去を悔やんでいると、机の上に置いて強く握っていた拳に何かが触れる感触を覚えた。顔を上げてみると、執務机の上に手紙が入る大きさの真っ黒な封筒が置かれていた。
「……確認のし忘れか?」
ついさっきまで仕事をしていたのだから、こんな目立つ色の封筒があれば目に入る筈なのだが。色々考えすぎて視野が狭くなったのかと自分自身をあざ笑いながら、その封筒を手に取った。封を開け、中から紙を取り出す。その際に、さっきまで嫌なことを考えていたからか少し寒気を感じていた。
「……冷えるな」
取り出した手紙を一旦机に置いて、背後にある窓を閉める。外の寒さによるものかと思っていたものの、窓を閉めてもそう簡単に寒さは引かなかった。
椅子に座り直して、改めて手紙に視線を落とす。
「……はぁ?」
書かれていた文はそこまで多くなかった。書かれていたのは以下の通り。
『レティシア・アークゲートを消したくはないか?
ノヴァ・フォルスを亡き者にし、カイラスをフォルス家の当主にしたくはないか?
お前が今まで護ってきたフォルス家を、守り続けないか?』
たった三行の文。その全てが俺の神経を逆撫でする。手紙を握る両手が、怒りで震えた。
「ふざけおって!」
なにがしたくないか? だ。したいに決まっている。それが出来ればどれだけ良かったことか。心の中の怒りを、そのままぶちまけた。
「っ!」
手紙を両手でくしゃくしゃにし、部屋の向こうに力の限りに投げる。勢いよく飛んだ紙の球は床で跳ね、壁に当たり、床にただ転がった。
「ふーっ……ふーっ……ふざけおって……出来るものならしているわ!!」
「なら、しようではないか」
「っ!?」
声は、やけにはっきりと聞こえた。そして視線の先、転がった紙の球の空気が歪み、一人の女が姿を現した。
輝かんばかりの長い金髪に、ぞっとするほどの美人。切れ目からは意思の強さが伺えるのみならず、上がった口角は好戦的に見える。そして彼女の発する重圧が、ただ者ではないと私に訴えていた。
その女性は床に転がった紙の球を拾ったかと思うと、それをふわふわと宙に浮かせる。
「初めまして。私はエリザベート。今日は今のアークゲートとフォルスを受け入れられない御仁に妙案を持ってきた。レティシアとノヴァ……その両方を、消さないか?」
「……何を……言っている……?」
急に部屋に現れたエリザベートと名乗った女性の言葉に、俺は何とか返す。本来なら突然の侵入者を斬り伏せるべきなのだろうが、手は剣には伸びなかった。それはこのエリザベートがただ者ではないと脳が警告を発しているのもある。だがそれ以上に、エリザベートの言うことが気になったからだ。
どうしてではなく、そんなことが出来るのか、という疑問が真っ先に頭に思い浮かぶ。
「……出来るのか?」
「出来る」
「……それをどう信じろと?」
「どうやるかは説明する。だが今ではない。もう一人、欲しい逸材が居る。……誰かは分かるな?」
じっと私を見るエリザベート。しばらくして、俺は自身で答えに行きついた。
「……カイラスか」
「そうだ、ノヴァ・フォルスを消すとしても後釜は必要だ。そのためにカイラスは必要だろう」
「…………」
言いたいことは分かった。だがそれで頷けるはずもない。俺にはこのエリザベートという女性が信頼に足る人物なのかどうかも分からないからだ。だから訝しい視線を向けていると、彼女は特に何かを言うわけでもなく、獰猛な笑みを浮かべたまま口を開いた。
「協力するかどうかはそっち次第だ。だがいずれにせよ、近いうちに招待状を送る。それに応えれば、お前達は望むべきものを手に入れられる」
そう告げたエリザベートは、不意に自身が宙に浮かべている紙の球に目を向けた。
「ああ、そうだ」
次の瞬間、宙に浮いた紙の球は火に包まれ、一瞬で灰となった。
「あまりレティシアやノヴァの悪口、彼らに対する悪態などをつかない方が良い。気づいていないだろうが、アークゲートの諜報員が見張っているから全て筒抜けになるぞ」
「……なっ」
「気づかないのも無理はない、かなり離れたところで情報を収集しているからな。だが安心しろ、今まではそれらすべてに関しては私が妨害をしておいた。今、アークゲートの諜報員には御仁がただ真面目に仕事をしているだけの人物と映っているさ」
「……感謝……する」
感謝していいのかはよく分からないが、このエリザベートが盗み聞きや盗み見を妨害してくれたということなら、と思い、告げた。
「構わない。だが次からは気をつけろ。念のためにな」
「……あなたは、なぜレティシアを、ノヴァを排除しようとする? その理由を、教えてくれ」
目の前にいる人物がどれだけの強者なのかはなんとなく分かる。だからこそ、俺についていた監視を欺いたというのも真実だと理解した。
けれどその上で、なぜその二人をわざわざ排除したがるのかが分からない。なのでそう尋ねると、エリザベートは不敵な笑みを崩さずに口を開く。私の予想が正しければ、この女性は。
「私がエリザベート・アークゲートだからだ」
「やはり……アークゲート家先代当主……生きていたのか……」
「当主の座はレティシアに簒奪されたがな。……それにしてもアークゲートとフォルス、互いの力を打ち消す薬は凄いな。こんなに近くに居ても、そこまで不調になっていないように見える」
「……あの二人が開発した薬を、認めているのか」
「力や技術は賞賛すべきものだからな……ところでどうだ? 私が二人を消したがる理由には納得がいったか?」
「……ああ」
先代当主という事なら納得だ。力も、今の当主であるレティシアを恨む理由も十分にあるだろう。そして彼女には、レティシアを消す手段がある。それに、興味が湧いた。
そんな俺の様子を見て、エリザベートは不敵に笑う。まるで俺の中全てを見透かしているようだったが、悪い気はしなかった。
「心は決まりつつあるようだな。だがそれには時が必要だ。後ほどお前とカイラスに話そう。いかにしてあれをこの世から消すのかをな」
「……楽しみにしている」
「…………」
今までで見せた中で一番の笑顔を見せてエリザベートは消えていった。それと同時に体を襲っていた寒気のようなものも霧散する。間違いなく、俺やトラヴィス、いやフォルス家の誰よりも強い。だが、ゼロードを倒したときの出来損ないよりも強いのかは分からなかった。
けれどもしも彼女があの悪魔を、そして出来損ないを消してくれるなら。
それはこの上ない、極上の結果だ。
「ふー」
息を吐き、俺はまた日常へと戻っていく。しかしその中に、もう考える時間は無くなっていた。