第202話 父に、母になる
「お姉様!」
廊下をかける音が聞こえ、しばらくすると扉が勢いよく開く音が部屋に響いた。そちらの方を見てみれば、息を切らしたオーロラちゃんが部屋の入り口に立っていた。
「オーロラちゃん……」
急に現れた彼女に驚いていると、ユティさんが説明をしてくれた。
「便箋で先ほど伝えたのですが、ゲートの魔法を使って駆け付けてくれたようですね」
「そうだったんですね……」
オーロラちゃんはシアの元へ駆け寄り、俺の隣に立つ。握っていたシアの手を差し出すと、それを両手で握った。
「ユティお姉様から聞きました、子宝に恵まれたと……」
「……はい」
シアが応えると、オーロラちゃんは涙を流す。
「おめでとうございますっ……本当に……」
「オーラ……ありがとうございます」
「お兄様もおめでとうっ」
「うん、ありがとうオーロラちゃん」
まるで自分の事のように喜んでくれるオーロラちゃんに、俺も目頭が熱くなる。ユティさんといい、オーロラちゃんといい、今日一日で色々な人の優しさに触れた。シアの妊娠が一番嬉しいのはもちろんだけど、それをこんなにも喜んでくれる人がいることもまた嬉しかった。
オーロラちゃんはシアの方を……正確には胎児がいるお腹の方を見て、優しい表情で呟いた。
「きっとこの子は幸せな子になるわ……ううん、アークゲート家で一番幸せな子にしないとだめよ? お兄様?」
最後は俺の方を向いて確認するように聞いてくる。それに対して、はっきりと頷いた。
「もちろんだよ」
「ふふっ……いえ、アークゲートじゃなくてフォーゲートかしら?」
「誰よりも幸せだと感じられるように、愛を注ぐつもりさ」
自分の決意を口にするように強くそう言うと、オーロラちゃんは少しだけ目を見開いた後に、そうね、と小さく呟く。そして視線をもう一度シアのお腹の方に向けた。
「お姉様とノヴァお兄様の子供だもんね……きっと強くて優しい、素晴らしい子になるわ。……君は幸せものでちゅねー」
シアのお腹を優しく撫でるオーロラちゃん。その様子に、当のシアは苦笑いした。
「もうオーラ……いくらなんでも早すぎますよ」
「えへへっ……嬉しくて、つい」
それに対してオーロラちゃんも笑顔で返し、俺やユティさん、メイドさん達やお医者さんの先生も笑顔になる。
俺もまたオーロラちゃんと同じようにシアのお腹に目を向けて、そして心の中で思った。
――まだまだ早いと思うけど、皆君を待っているからね
そう思ったときの俺の表情は、きっと穏やかなものだっただろう。
不意に視界の隅に移るユティさんが一歩前に出て、シアに声をかけた。
「当主様、体調の方はどうですか? 薬の効果で楽になっていると良いのですが……」
「概ね問題ありません。普段通りに動けそうではありますよ」
シアはそう言って上体を起こそうとする。それを、俺は慌てて止めた。
「シ、シア……今日くらいは安静にしておいた方が良いんじゃ……」
「いえ、でももう大丈夫で……」
「今日くらいは……ね?」
「……ノヴァさんがそう言うなら」
渋々といった感じでシアはベッドに体を戻す。大丈夫だろうとは思うけど、これまでの疲れだってあるだろう。今日くらいはもう休んで欲しいっていう思いが伝わったみたいで、俺はほっと胸を撫でおろした。
「……当主の業務量についても調整する必要がありますね。これまで通りというわけにはいかないので、ほとんどの業務は私が一時的に引き継ぎましょう。当主様の作業が必要な部分だけやって頂くという形で」
「それは本当に助かります。ありがとうございますユティさん」
シアの業務量が多いのは俺もよく知っていることだ。それをユティさんが一時的に代行してシアの負担を減らしてくれるのはとてもありがたかった。
「夜は俺の屋敷でもなるべく側にいるようにしますし、手厚いサポートをします……あ、そもそもゲートの魔法を使わずにアークゲートの屋敷に居た方が良いのでしょうか?」
「いえ、流石にそこまでは。もちろん出産直前になるとこちらの屋敷に居てもらう形になるとは思いますが、それまでは今まで通りで大丈夫です。当主様程の魔力ならばゲートの魔法で疲れるという事もないでしょうし」
「なるほど」
どうやらすぐに生活を変えることはないみたいで安心だ。初めての経験だから分からないことだらけだけど、ユティさんが丁寧に教えてくれてありがたい。本当、彼女には感謝してもし足りないなと感じた。
「……というか、そのギリギリまではこれまで通りが良いです」
「当主様もこうおっしゃっていることですしね」
「……ははっ」
意外と強情なシアの言葉に苦笑いする俺とユティさん。その様子を見て、オーロラちゃんが声を上げた。
「お姉様の業務の手伝いだけど、私も出来るところはやるわ」
「とてもありがたいですが、大丈夫なのですかオーラ? 自分の領地の事もあるでしょうに」
オーロラちゃんの申し出はありがたいけど、ユティさんと同じ心配は俺もしていた。けれどオーロラちゃんはにっこりと笑顔を浮かべる。
「もうだいぶ慣れてきて、ちょっとは余裕があるくらい。むしろ無理をしてでも手伝わせてほしいくらいだわ」
「いや、無理はダメだよ……」
苦笑いで伝えるものの、オーロラちゃんは意見を変えるつもりはないらしい。流石に無理をしすぎることはないだろうし、彼女の好意に甘える方が良いのかも、なんて思ったりした。
そんな話をしていると、ふとシアの様子に気づいた。彼女は困ったような顔をして俺達を見ていた。
「どうかした? シア」
「あ、えっと……」
声をかけると、彼女は俺を見て乾いた笑みを浮かべて頬を掻いた。
「なんだか私がこうしてベッドに寝ていて、周りに人がこんなに居る状況に慣れないと言いますか……」
「そうなの?」
「はい、子供の頃は魔力の暴走で寝込んでも周りに誰もいませんでしたし、魔力の暴走が無くなってからは寝込むことはありませんでしたから」
「あー、なるほど……」
ユティさんもシアが体調不要になるのは当主になってからは初めてだって言っていたし、シアの幼い時が寂しく辛いものだったっていうのも知っている。だからシアの気持ちが少しだけ推し測れる気がした。でもそれはきっと慣れないだけじゃなくて、嬉しいってことだとも思う。
「……でもこれからはずっとこうだよ。もしシアの体調が悪くなっても、いろんな人がこうしてシアの事を心配してくれるから。もちろん俺もね。……まあ、体調不良にならないのが一番ではあるんだけど」
シアの手を再度握ってそう告げる。少し小恥ずかしくなって最後は取り繕ったけど、シアはにっこりと微笑んだ。
「……ノヴァさんと再会してから、新しく体験することばかりですね。ありがとうございますノヴァさん。私を……母にしてくれて」
「まだ早いよ……」
そうまだ早い。お腹の子が成長して姿を見るまでまだまだ時間がある。けど。
「でも、どういたしまして。そして俺の方こそありがとう。父にしてくれて」
「ふふっ、こちらこそどういたしまして、ですね」
俺達は二人してお互いに感謝して、そして微笑みあった。
シアのお腹に目を向けて、心の中で思う。
――そしてありがとう。俺を父親にしてくれて、シアを母親にしてくれて
まだ小さな、けれどこれから確実に大きくなる命に対して、感謝を告げた。