第189話 後悔を、しないように
アランさんとの待ち合わせ場所に向かいながら、さっきまでのレイチェルさんと話したことを思い返す。特に鮮明に思い返せたのは、シア達の母であるエリザの話だ。
「エリザと……シア達」
ユティさんがメリッサやオーロラちゃんとの関係を意識するような環境を作った元凶。オーロラちゃんを塔に閉じ込めて、地獄のような教育を施した人物。正直この二つだけでもエリザに対して思うところはかなりある。
それだけじゃなく、幼い頃のシアの心に傷を残したというのは今でも許せることじゃない。
次第に人が多くなっていく景色を感じながら、シアとの出会いから今までの事を思い返す。シア達とエリザの関係は良好とはとても言えなかっただろう。一般的な母と娘の関係では決してなかった筈だ。
「エリザと……レイチェルさん」
一方でエリザとレイチェルさんの関係もまた、あまり良くなかったんじゃないかと思う。魔法の力のみを追求し高め続けたエリザにとって、レイチェルさんは母である以前にただの通過点になってしまったのかもしれない。そんなことをレイチェルさんは寂しそうに語っていた。
母と娘の、いや親子の関係というのは難しいなと、そんな事を思った。
シア達とエリザ、エリザとレイチェルさん、俺と父上、兄上達と父上……色々な親子の関係を見て聞いてきて、体験もしてきたけど、やっぱり難しいなと、そう感じた。
「でも……俺も将来、そうなるんだよな」
自分の右手を持ち上げて、手のひらを見つめる。いつかこの手に自分の子供を抱く日が来る。シアはもう妊娠を阻害する魔法の使用を止めてくれたから、その日は近いだろう。その子供が息子なのか、娘なのか、はたまたどちらにも恵まれるのかは分からないけれど。
「…………」
頭の中で思い浮かべる。娘ならきっとシアに似た美人で優しい子に育つだろう。息子なら剣を学んで欲しい。将来的には息子と模擬戦を出来たら、それはそれで幸せなことだろう。
考えれば考える程に心の中が幸福で満ち溢れる。楽しく幸せな未来を思い描ける。
「おとーさん! こっちこっち!」
「おいおい、そんな急がなくてもお店は逃げないって」
「こら、あんまり走らないの!」
目の前の通りを一人の子供が走っていく。満面の笑みで、何かを楽しみにしている様子だ。そしてその後を追いかけるように、苦笑いをした父親らしき人物が追いかけていた。さらに彼の横には小走りで着いていく母親らしき女性の姿もある。
それらを目にして、俺は気づけばポツリと呟いていた。
「そうだよな……本来は、そういったものなんだよな」
小さな声でそう呟いて、少しだけ微笑んだ。俺も、俺の周りの人も親子の関係には苦しんできたけど、本来の親子はそんな辛いものじゃなくて、もっと幸福なものの筈だ。もちろん辛い事だってあるだろうけど、辛い事だけじゃない筈。
「親になる……父親になる……か」
実感が沸いているわけじゃないし、まだ不思議な感じはする。けれどその時は確実に近づいてきていて、それを意識した。意識したけど、嫌だと思う気持ちは一切湧いてこなかった。
通りを歩いてアランさんとの待ち合わせ場所へ。どうやら彼は少し前に街を見て回り終えたらしく、待っていてくれていた。
「アランさん、ごめん待たせちゃったね」
「いえ、私も少ししか待っていませんから。……レイチェルさんは?」
「別れてきたよ……きっともう、会うことは無いんじゃないかな」
「……そうですか」
どこかそうなることを感じていたのか、アランさんは何も聞いてはこなかった。
「別れ際に、後悔の無いように生きてくださいね、って言われたよ」
「後悔の……ないように」
繰り返したアランさんに頷いて返す。レイチェルさんはあの後、なんでもない、と言っていたけど、しっかりと聞こえていたし覚えていた。あの言葉にはレイチェルさんの気持ちの全部が詰まっているような、そんな気がした。
「……レイチェルさんは私達よりも長く、そして多く経験しているでしょうからね。人生の先輩からの助言、ということでしょう。誰もが後悔を抱えて生きているけれど、それを少しでも減らせるように……ということでしょうか」
「……そうだね。きっとそうだと思う」
振り返り、レイチェルさんの家があった方に目線を向ける。もちろん彼女の家が見えるわけじゃないけど、目を向けざるを得なかった。
「後悔……しないように」
レイチェルさんは後悔していたけど、それはどうしようもなかったことだと考えているようにも思えた。取り返しもつかないし、今となってはその相手であるエリザも故人だ。
けれど俺は違う。これから先に起こることに対して後悔が少しでもなくなるように。
それがレイチェルさんとエリザの関係のように、俺と将来生まれてくる子供の事を言ったわけではないとは思うけど。
「後悔しないように、か」
そうだと考えて良いんだと、俺はそう思った。
「……アランさん、帰ろうか……それぞれの家に。送るよ」
「ありがとうございます」
微笑んでアランさんにそう言えば、彼もまた笑顔で返してくれた。
人気のない路地裏に向かい、ゲートの機器を使用してヨークテイムの街を離れる。
こうしてヨークテイムの街で起こった正体不明の事件解決者の調査は終わりを迎えた。それが誰かを知っているのは俺とアランさんだけだし、その人にはもう会えないけれど、確かに終わりを迎えた。




