第175話 壁を、無くすために
親睦会はつつがなく進んでいる。俺も多くの貴族達と挨拶をしたし、会場の人々は楽しんで会話をしたり、軽食を楽しんでいるようだった。
前回はゼロードの一件があったものの、今回は穏やかな時間が過ぎていて一安心だ。
「今回は招待してくれてありがとう。初めてフォルス家の親睦会に来たけど、悪くないね」
「ナタさんにはお世話になっていますからね。喜んでもらえてなによりです」
俺が今会話をしているのはワイルダー家の才女、ナタさんだ。前回の親睦会では呼ばれていなかったみたいだけど、今回は声をかけさせてもらった。彼女もワイルダー家の一員だし、れっきとした貴族だからというのもあるけど、さっき言った通り常日頃からお世話になっているからだ。
「それにしてもナタのそんな恰好、本当に久々に見たわ」
「ひらひらしていて動きにくい。今すぐ着替えたい」
「……今だけは我慢しなさい」
ナタさんの隣にはセシリアさんの姿もあって、彼女は彼女でいつもの調子のナタさんに苦笑いしていた。ちなみにナタさんは黒いドレスに身を包んでいるものの、慣れないのか嫌そうな顔をしていた。
「本当おてんばなんだから……誰に似たのかしら」
「……君もそこまでナタさんの事を言えないと――」
「アランさん?」
「いや、なんでもない」
セシリアさんのぼやきに隣に立っていたアランさんが反応したけど、すぐに作られた微笑みで封殺されていた。困ったように頭を掻くアランさんと、少しだけむくれてじーっと彼を見るセシリアさん。どうやら夫婦の仲は順調らしい。
その様子を見て、ナタさんは無表情に冷たい目で二人を見た。
「この二人、さっきからずっとこんな感じ。一緒に居る私の身にもなって欲しい」
「ま、まあ、仲がよいことは良い事じゃないですか」
そう言うとナタさんはチラリと俺を一瞥して、溜息を吐いた。
「じゃあこの場はノヴァさんに任せる。じゃあね」
「? ええ、また」
珍しく離れていくナタさんを見ながら俺は不思議に思う。彼女の事だから流石にこのまま帰ることはないと思うが、他に話す人でも居るのだろうか。
ナタさんの背中を見ながらそう思っていると、横からセシリアさんが声をかけてきた。
「実はナタ、今仲の良い人が居るんです」
「え? あのナタさんに……ですか?」
我ながら失礼な返事だとは思ったが、研究が恋人! という感じのナタさんに男性の影があるとは思ってもいなかった。それはアランさんも同じだったみたいで、うんうん、と頷いている。
「なんでも、つい先日新しく王都の研究所に異動になった後輩職員に目をかけているみたいです。とても優秀な方らしく、同じ貴族出身なのに鼻にかけない態度が良い、と聞きました」
「そんな人が……」
同じ職場で、しかもナタさんが気に掛けるという事は相当優秀なんだろう。
「聞いた話では、地方に居た男性を王都の研究所に引き抜いたのがナタさんだそうです」
「そうだったんですね……」
その人の才能に惚れ込んだという事か。そう思ってナタさんの方を見ると、遠くで誰かと会話をしていた。礼服を着こなした、というよりもまだ慣れなくて着られているという表現が合う男性と話をしている。あの人がセシリアさんとアランさんが言っていた後輩さん、だろうか。貴族と言っていたし、おそらくそうだろう。
遠くから観察していると、ナタさんはいつも通りなものの、後輩さんは彼女の言動に翻弄されているみたいで、何を言っているかは分からないけれど慌てたり照れたりしているようだ。かと思えば真剣な顔をして何かを話し合ったりと、忙しそうな印象を受けた。
けれど後輩さんは楽しそうだし、ナタさんも雰囲気は穏やかだ。まるで少し前のセシリアさんとアランさんを見ているみたいでほっこりする。
「……ノヴァさん、また穏やかな顔をしていますよ」
「え? そうですか?」
「ええ。まるで子を見る父……は少し違いますけど、なんて言いますか……」
「師が弟子を祝福するような目をしています」
セシリアさんの言葉に、アランさんが続けた。師が弟子を祝福するような目、という言葉を聞いて、そうなのか、としみじみと思う。
昔はほとんど誰とも関係を持たなかった俺も、そんな目が出来るくらいにはなったんだな、なんてことを思った。
「……それにしても」
ナタさん達を見ながらふと思う。後輩さんが来たという事はナタさんと一緒に王都の研究所に勤めているという事だろう。最近は行っていなかったけど、今度久しぶりに寄って挨拶するのも良いかもしれないな。
というか、今挨拶すればいいのでは? と思ったけれど、そろそろ時間なことを思い出して、アランさん達の元を離れた。残念ながら挨拶は次回に回そう。
俺はそのまままっすぐに歩いて壇上へと上がる。今まで人がいなかったこともあり、俺が壇上を進めば会場の多くの人は俺に目を向けた。
今までざわついていた会場が静かになる。
それを確認して、俺は口を開いた。
「皆さん、今日はフォルス家の開催する親睦会に参加して頂き、ありがとうございます。前回は事件がありましたが、今回は問題なく開催、および進行出来たことを嬉しく思います」
そこで言葉を切れば、会場から拍手が巻き起こる。その音を耳に残しながら俺はゆっくりと続きを口にした。
「今回、集まって頂いた皆様に聞いて頂きたいことがあります。……私が今後、フォルス家の当主として目指す形についてです」
「……形?」
「ノヴァ様が目指す?」
俺の突然の宣言に会場がざわつき始める。それらを好きなように言わせたままで、俺は続けた。
「今現在、この国は北と南で別れています。両者の間には小さいながらも明確な壁というものがある。北のアークゲート、南のフォルスが筆頭なのは言うまでもないでしょう。
ですが、今この国は他国と争いをしていません。むしろ南のナインロッド国とは長い友好関係を結び、北のコールレイク帝国とは先日、レイモンド王子とマリアベル皇女がご結婚なされました。
今考えるべきは北と南でいがみ合うのではなく、むしろそう言った今だからこそ、北と南は手を取り合うべきではないのか、そう私は考えています」
『…………』
今まで誰もが多かれ少なかれ確執を感じていた北と南。その間の壁を取り除くという俺の宣言に、会場に居るほとんどの人が目を見開いた。
俺の言っている意味を、あるいは意味が理解できてもそれが出来るのかと考えている人がほとんどだろう。でも、だからこそ。
「ご存じの通り、私の妻はアークゲート家の当主です。私もアークゲート家には足を運ぶことがあります。当主の夫だからというのもありますが、かの館では親切にしていただきました。
また我が家は兵を募っていますが、妻の件もあり、北からも志願者が居る程です。彼らと語り合い知ったことは、彼らもまた我らと同じ国の民や貴族だという事。
そして手を取り合うことも出来る、ということです」
言っていることが甘いと思われるのは理解している。けれど俺の周りだけでも、北と南の確執はほとんどなくなりつつある。それを心を込めて丁寧に話す。
「……まあ、私としても北と手を取り合えるなら嬉しい事だが」
「最近、北の家と事業をすることがありましたが、やりやすかったというのはあります」
「……そうか? 私は少し言い争いになったがな」
ざわつきだす会場。俺の意見を良いと言ってくれる人も居れば、難しいのでは? と考える人も居るようだ。
「失礼、一つお聞きしたい。フォルス家とアークゲート家は反発する二つの力を有している筈です。これもまた両家が宿敵たる理由だった筈。ここについてはどうするのですか?」
手を挙げて発言した貴族の言葉に、再び会場はざわつき始める。
俺の言った北と南の壁を無くす、というのはフォルスとアークゲートが手を取り合っているのが絶対条件だ。北、南、それぞれの代表が手を取り合っているからこそ、より大きな範囲での結びつきが可能になる。
だがフォルスの覇気とアークゲートの魔力には反発がある。これをどうするか。答えはもう、シアが用意してくれている。
「……今現在、王都の研究所にてフォルスの覇気とアークゲートの魔力の反発を中和する薬の開発を行っています。出資、および協力はアークゲート家です。当主である妻の声がけで、3年前から進められている計画になっています。また、出資に関しては私も行っています。予定では向こう2年以内には完成する見込みだという事も聞いています」
親睦会にシア達は呼んでいないけれど、数日前に相談はしていた。シア、ユティ、オーロラちゃん、ナタさんへ相談したのは、この親睦会でフォルスの覇気とアークゲートの魔力の反発解消の開発の件に触れていいかという事。
色々話を聞いて、そして2年以内ならば完成するだろうという事を告げて良いのでは、と答えてもらった。ナタさんへと視線を向けてみれば、彼女も力強く頷いていた。
フォルスとアークゲートの呪い。それを解消できるなら俺の宣言は現実味を帯びてくる。
「アークゲートの当主様も出資をして開発を……」
「その薬の開発が成功すれば、確かにフォルスとアークゲートの反発はなくなるか。だが成功するのか?」
「いやいや、アークゲート家が協力しているのだろう? あの一族が失敗をするとは思えん。しかも今の当主様であればほぼ確定と見ても良いだろう……」
そしてシアという存在が切り札になる。生ける伝説にして、歴代最高最強のアークゲート家当主。彼女が協力する計画というだけで、それは成功可能性が高いことを貴族達に納得させるだけの理由になる。
「また、この件についてはオズワルド陛下、レイモンド殿下もお認めになっています。お二方共に、北と南の壁をなくせるならばそれに越したことはない。そうおっしゃっていただきました」
最後のダメ押しを告げる。国王と王子も認めているとなれば、俺の宣言をますます後押しする。
発言を受けて、何人かの貴族は難しい顔から納得したような顔に変わっていた。
「ふむ……まあ北との軋轢が無くなるのは悪くない。同じ国なのに少し面倒だとは思っていたからな」
「確かに、いつまでもいがみ合うよりは手を取り合った方が双方利益は大きいでしょう」
会場からは未だに懐疑的な声も聞こえるけれど、肯定的な意見も多く聞こえてきていた。実際、北と南で確執がない方が良い、というのは多くの人の共通認識らしい。ただこれまでは両者の間に大きな壁があったから取り除くという意見が出てこなかっただけだ。
手ごたえは十分。そう感じて、俺は閉めの挨拶へと移っていく。
「今回はあくまでも私の描く今後を皆様と共有するのが目的です。数年後、フォルスとアークゲートの反発を無くす薬は完成し、両家は今以上に手を取り合うでしょう。その時に改めて、北にも寄り添って頂ければと、そう思います」
言葉を締めくくり、頭を下げる。しばらくして小さいながらも拍手が巻き起こった。突然の俺の宣言に驚いている人が多いものの、一定数以上には受け入れてもらえたらしい。頭を上げてみると、笑顔で手を叩くハインズさんやアランさんといった親しい人達と目があったりした。
その中で、ひときわ印象に残ったのは二人。一人はカイラスの兄上。彼は俺をじっと見つつも、どこか不安を感じるような、いや、どうすれば分からないといった迷いの表情を浮かべていた。
そしてもう一人はライラックの叔父上で、彼は俺の事をじっと見つめていた。睨みつけているわけではないけれど、どこか強い苛立ちを感じるような、そんな表情だった。




