第168話 シアはただ、見て欲しかっただけ
直接的でないにせよ、間接的に殺害した。その言葉に首を傾げる俺達。どういうことかと思っていると、シアは続きを口にしてくれた。
「あの人が戦地に向かう少し前に、一度屋敷に戻ってきたことがあったんです。それがあの人と最後に話す機会だったんですけど、ちょっとした口論になりまして……まあ私もその時は結構自分の力に自信を持っていたのもあったからというのもあるんですけど……実は許せないことを言われて、ほんの少しだけ我を失いかけたことがあったんですよね」
笑顔でそう言うシアだけど、当時の事を思い出しているのか少しだけ笑顔が黒い気がした。見てみればユティさんやオーロラちゃんもシアを見て顔を青くしている。
あの温厚なシアがここまで怒るなんて、メリッサとかいう人は相当馬鹿な事をやらかしたみたいだ。
「その時に魔力が漏れ出てしまったみたいで、気づいたときには、あの人は顔を青くしていました。あの人はそのまま逃げるように去ってしまいましたが、本能的に恐怖していたのだと思います。
そしてここからはダリアさんから聞いた話になるのですが、あの人はダリアさんとの一騎打ちの際に途中から様子がおかしくなったそうです。挑発のつもりで『妹の方が優秀らしいじゃないか』とダリアさんが言ったところ、急に動きが極端に悪くなったと」
「妹の方が、優秀?」
聞き返すと、シアは頷いた。
「ダリアさんはユティか、あるいはどこかでオーラの事を聞いて言ったんだと思います。彼女からしてみればなんてことはない戦闘中の挑発のつもりだったんでしょう」
「……ですがメリッサお姉様は、私でもなくオーラでもなく、当主様の事を思い出した」
ユティさんの挟んだ言葉が真実のように思えた。シアも頷いて、そうでしょうね、と呟いた。
「結果としてそれまでより動きが格段に悪くなったメリッサはダリアさんに及ぶことはなく、その場で打ち取ったそうです。彼女から直接聞きましたが、最後は同じ人物とは思えないほどに弱体化していたと。
……戦闘中に強い恐慌状態に陥れば、それも無理はないでしょうね。そんなわけで間接的には私が原因だと、そう考えています」
「……でもそれって、結局罰が当たったってことですよね? メリッサとかいう人はお姉様にかなり上から当たってたみたいだし……個人的にはざまぁみろって感じですけど」
メリッサに会ったこともないオーロラちゃんがひどく辛辣な意見を口にする。ただこれに関しては俺も同意だ。ユティさんとシアから聞く限り、メリッサという人はかなりシアの事を下に見ていて、魔法で害したこともあるみたいだし。
同じような兄を持っていたから分かるけど、同じようにそうなって当然だと、そう思った。
「オーラ、死者の事をどうこう言うのは……それに私は特に気にしていませんから」
苦笑いしながらそう言うシアだけど、彼女からは本当にどうとも思っていないっていうのが伝わった。俺がゼロードの事を今は何とも思っていないように、シアにとってももう過去の出来事になっている、ということだろう。
そう思っていると、シアはさて、と話を切り替えた。
「あの人についてはこんなところですが、その後の母についてもお話ししますね。と言っても、ユティが話した通りです。私はしばらく後……その時にはもう18歳になっていたと思いますが、母に当主の座をかけた決闘を申し込み、ここからは離れた場所で私達は人知れず激突しました。月の見えない真夜中だったと思います。
……正直母は強くはありましたが、それでも私の方が上でした。彼女が使う魔法の全てを分析し、その全てを無効化して、最終的にはどんな魔法も届かないようにして勝利しました。意外とあっさりと勝ってしまったなと……今でもそう思っています」
「……シア?」
そこまで話したシアは普段のシアとは少し違うように思えた。何かを堪えているような、辛そうな、そんな表情だった。
手を強く握ってみても、それは一向に和らぐことはなかった。
彼女は大きく息を吐いて、俺の方を見る。
「化け物」
時が、止まった気がした。
「そう、母に言われました。最後の最後、地面に伏した母に、言葉の限りに罵倒されながら言われた、今でも耳に残っている言葉です」
微笑むシア。けれどその笑顔はとても悲しくて、見ているだけで胸が締め付けられるような感じがした。
「ノヴァさんに出会ってから、母と決闘をするまでの8年間。私の中にはノヴァさんしかありませんでした。それだけでよかった筈なのにその時になって初めて、私の中にはもう居ないと思っていた昔の私が泣いた気がしました。
……私、ノヴァさんと会うまでは母に認められたかったんです。メリッサのように、ユティのように、オーラのように……別に認められなくても、ただ見てくれるだけでも良かった。その瞳に、私の姿を映してほしかった。私にとって、母はただ一人の私自身を見て欲しかった人だったんです。
少なくとも生まれてからの10年間は、それだけのために必死になって生きてきたんですから」
あぁ、と俺は思った。シアは今でこそ俺の事をよく考えてくれているし、俺達の幸せの事を考えてくれている。けれど路地裏で初めて会ったとき、彼女は自分の不甲斐なさを嘆いていた。姉妹と同じように出来ない自分を責めていた。
そして俺と再会してから、彼女が我を失うほど取り乱したのは母親に関することだけだ。
シアの中で、母親であるエリザベート・アークゲートは大きな存在なんだと、そう感じた。それはきっと今もだ。悲しそうに笑っているのが何よりの証拠だろう。
「ちょっとは期待もあったんです……強くなった私なら母は見てくれるかもしれない。ひょっとしたら喜んでくれるかもしれないと。
けれど向けられるのは敵対心や怒りといった強い感情ばかり。見てはくれていても、流石に辛いものがありました」
「……シア」
「すごいですよね。実の娘に対して殺してやるとか、地獄に落ちろとか言ってくるんですよ? 本当……酷いなぁ……って」
「シア……シア、もういいよ」
聞いているのも辛くなって、俺はシアを止めにかかる。けどシアは止まらなかった。その口から紡がれる声音は、子供が泣いているように思えてならなかった。
「だから一度だけ、言ったんです。私はここまで強くなったよ、と。その一言で全てが伝わればいいと思いました。少しでも母が私の事を見て、そして認めてくれればと。意識を失う直前の母に、願いを込めてそう言ったんです」
もう、シアは止まらなかった。誰も止めることは出来なかった。俺もユティもオーロラちゃんも、悲痛な面持ちで彼女を見るしかできない。
「お前なんて、産まなければ良かった。私の全てを奪う化け物め」
その言葉が、やけに耳に響いた気がした。
「……それが母の最期の言葉です。それを聞いて気絶した母を、心の中がぐしゃぐしゃになった私はゲートでどこかに飛ばしました。本当ならその場で殺害するのが正しかったんでしょうけど、どうしてもできなかった。だから少しでも気持ちを辛くしないように、ゲートの座標をめちゃくちゃに設定して母をその中に落としました。繋がった先はきっと、大空か深海か、あるいははるか遠い世界か……いずれにせよ、もはや母はこの世にはいないでしょう。
こうして私は母を殺し、当主の座を簒奪しました」
シアは俺が両手で握る自分の左手に、右手を重ねた。俺を見て、言葉を紡ぐ。
「すみませんノヴァさん……正直メリッサについてはまったく気にしていないのですが、母に関しては少し思うところがありまして……」
「俺の方こそごめん……辛いことを、話させたね」
「いえ……ただ、しばらくこうして手を握っていて頂けると嬉しいです」
頷き返すと、シアはまだ少し寂しさの残る笑顔を浮かべた。
俺達の間に沈黙が落ちる。誰も何も話さなかった。ユティさんは静かに俯き、いつもは明るいオーロラちゃんも悲しげな表情で俺やシアを見つめている。俺もシアも、何も言わずに黙っているだけだ。
この日、俺はアークゲート家の過去を知った。けどそれは必要なことだったと思う。こうして四人揃って静かに黙っているだけでも、何もしていなくても、心の整理がつくまでの短いけど十分な時間が必要だった。
そして十分な時間が過ぎれば、俺達は普段通りに動き始めた。誰から言ったかは忘れたけど、アークゲート家の屋敷で夕食を全員で食べた。その頃にはシアの執務室での重々しい雰囲気はなくなっていて、いつもの日常に戻っていった。




