第167話 シアの軌跡
メイドさんからシアが帰ってきたことを聞いた俺達は三人で彼女の執務室に向かった。扉をノックすると声が聞こえたので入れば、執務机の奥で仕事を片付けていたシアが不思議そうな顔をする。
「ノヴァさんにユティにオーラ? 皆さん揃ってどうなさったんですか?」
全員で押しかけてくるような状況にシアも少しだけ困惑しているようだ。そんな彼女に、俺は口を開いた。
「シア、教えて欲しいことがあるんだ」
「はい、なんでしょうか?」
「かつてのアークゲート家について……シアの母であるエリザベートや姉であるメリッサについて聞きたいんだ」
「…………」
驚いて目を見開いたシア。しかしそれもほんの僅かな時間で、ユティさんやオーロラちゃんに目線を一瞬だけ向けると長椅子を手で指し示した。
「分かりました。そちらで話しましょう」
シアに言われたとおりに長椅子に移動する。ユティさん、オーロラちゃんは少し緊張気味だ。それは俺だって同じこと。
誰かが座る場所を決めたわけではないものの、俺の横にシア、そして向かいにユティさんとオーロラちゃんという配置に収まった。
「それで……オーラはともかく、ユティからは話を聞いているんですよね? どこまで話したんですか?」
「……私が生まれてから今に至るまでを簡単に。正確には……」
シアに促されてユティさんはさっき話したことをより簡潔にして話していく。聞けば聞くほどに俺としては怒りを隠し切れない内容だけど、シアはそこまで気にしていないようで、ただ黙って聞いていた。
ただメリッサをシアが殺めたんじゃないかという部分を話している時だけは、少し眉をひそめていた。その態度にユティさんは申し訳ありません、と謝っていたけど、シアはいえ、と一言口にしただけだった。
ユティさんが全てを話し終えて一息つく。黙って聞いていたシアは、なるほど、と呟いた。
「まずは……ノヴァさん、この話をするのが遅くなってしまって申し訳ありません」
「いや、いつかは聞かせてくれると思っていたからそこは大丈夫。シアの方も気にしないで」
正直に気持ちを伝えると、シアはありがとうございます、と微笑んだ。
彼女は俺の方を向いたままで言葉を続けてくれた。
「今の話ですが、概ねユティが言った通りです。ただ少しだけ異なる部分があるのでそちらを説明しますね」
「うん、お願い」
「10歳まではユティが語った通りです。ですが10歳でノヴァさんと知り合った後、すぐに今のように魔力が扱えたわけではありませんでした。ノヴァさんによって従うという事を覚えた私の魔力ですが、それを完全にものにするために約二年の月日を費やしました。
もちろん辛いこともありましたし、たまに魔力が暴走しかけることもありましたが、その度にノヴァさんの事を考えて乗り切っていましたね」
最後の方は少し照れ臭いのか、恥ずかしそうに視線を逸らしていたけど、俺の存在が幼き日のシアの支えになっていたのは素直に嬉しく感じた。
「ノヴァさんのきっかけが効いていたのか、二年間で私の魔力はある程度制御が効くようになりました。同時に私はこの力でノヴァさんに何かが返せるのではと思い、裏で色々と行動を開始しました。正直その頃の私はノヴァさん以外はどうでもいいと思っていまして、誰にもそのことを伝えなかったんです。むしろ魔力が制御できると家の方に知られると時間が奪われると考えていましたから」
「……お姉様がノヴァお兄様に夢中なのは知ってたけど、小さな頃からだったんですね」
オーロラちゃんの言葉に、シアははっきりと頷いた。
「出会った後から今までノヴァさんの事を考えなかった日はありません。それに……実は暴走しそうになったときもノヴァさんの事を考えると少し和らいだんです。その時に力を貰えている気がしまして……今となっては、きっとノヴァさんの姿を思い描いたことで、私の中の魔力が昔従わされたことを思い出して和らいだんだと思いますが……」
「ノヴァお兄様の力ってすごい……」
オーロラちゃんの言葉に、自分のことながらそう思う。10歳の頃の自分の何気ない行動で、ここまで変わるのかと思ってしまったくらいだ。それが良い方向への変化だったから良かったけど。
「ここから私は魔力を隠すのみならず、隠れて移動をしたり気配や痕跡を消すような方法も模索し始めます。さらに母や姉が戦地に赴いているときには図書室に侵入して独学で魔法を学んだりもしました」
「そう……だったのですか?」
ユティさんも初耳なのか驚いている。シアはユティさんの方を向いて、はっきりと頷いた。
「はい、実は結構な頻度で侵入していました。痕跡を消すのは徹底していましたし、魔力も自然と力を貸してくれたので誰にもバレることはありませんでした。母が屋敷に居たら流石に気づいたかもしれませんが、母が滞在している時は一貫して部屋から出ず、大人しくしていたので隠し通せました」
誰にも知られることなく、たった一人でシアは自分自身を高めていたという事だろう。それを魔力が手助けしてくれていた、ということか。
「本に記載された魔法を習得することは容易でした。どんな魔法でも私の魔力ならば量は足りますし、アークゲートの魔力ならば魔法を使用すること自体は容易ですからね。難しい部分も心の中で魔力に聞けば何とかなりますし。……ただまあ、時折隠匿の魔法でも隠し切れないほどの魔力が漏れることはありましたが……一度か二度、屋敷内で小さな騒ぎになったこともありますからね」
「ああ……そう言えば一時期メイド達がざわついていた時期がありましたね」
「それですね。そして魔法のみならず、図書室で他にも色々なことを学びました。加えてノヴァさんがフォルス家の人物なのではないかと思い始めたのもこの頃です。確か誰かが話しているのを聞いたのがきっかけだったかと。ノヴァという名前も珍しいものでしたからね」
10歳の時、出会った俺はシアのように長い名前じゃないから当然だけど、彼女に本名をそのまま伝えていた。だからシアは俺がフォルス家のノヴァと早い段階で結びついたのか。
そう思っていると、俺の左手にシアの右手が重なった。
「最初に知ったときは胸が躍りました。ああ、あの時出会ったノヴァ君は、ノヴァ・フォルスって名前なんだって……ですが同時に私はあることにも気づいてしまいます。私の属するアークゲート家と、ノヴァさんの属するフォルス家は長年の確執があると。
だからこの時に、私を助けてくれたノヴァさんにもう一度出会うために当主になることを決めました」
「シア……」
子供の頃に出会った俺にまた会う。たったそれだけのために、彼女は10歳からの長い月日を費やした。費やしてくれた。それに対して申し訳ないと思うけど、同時に嬉しくもあった。左手を翻して彼女の手を握りかえした。
シアは微笑み、そしてユティさんの方を見る。
「全ての準備が整ったのは17歳の頃です。ノヴァさんと出会ってから7年。私は魔力を完全に制御することも、現在あるほぼすべての魔法のみならず、新たな魔法を創造することすらできるようになっていました。
ですが、私が当主の座を母から簒奪する時期を見計らっているときに、アークゲート家で一つの事件が起こりました。姉、メリッサ・アークゲートの戦死です」
「……では、当主様はメリッサお姉様の戦死とは無関係だったのですね。申し訳ありません、勘違いしていたようで」
シアの言葉を聞いて、ユティさんが頭を下げる。俺がなんとなく予感していた通り、シアがメリッサを殺害したという事は無さそうだった。
けれどシアは困ったように笑って、どうでしょうね、と呟いた。
「……私はもちろん、直接あの人を亡き者にしたわけではありません。ですがダリアさんからその時の話を聞く限りでは、間接的にあの人を殺害したのは私だと、そう思いますよ」




