第160話 二人の、将来のために
夜も深まった頃の夫婦の寝室に、響くのは本のページをめくる音だけ。俺は今日一日の仕事を終え、就寝前に本を読んでいた。隣の椅子にはシアの姿もあって、彼女もまた本を読んでいる。俺達は時折、就寝前にこうして時間を過ごす。語り合うこともあれば、今のように静かに本を読むだけの時もあった。
テーブルの上にはサリアの街で購入し、シアに贈った栞が置かれている。プレゼントした後にすぐに使ってくれているみたいで、買ってよかったと思える瞬間だ。
ある程度本を読み終えたところで、一旦本を閉じて膝の上に置き、背もたれに体を預ける。ふぅ、と一息ついた。
「もうお休みになりますか?」
「ううん、ちょっと休憩しているだけ」
「そうですか」
シアが俺の方を向いた後に、再び視線を自分の本に落とすのを感じた。目を瞑っているからこそよく分かるけど、シアの声音はとても穏やかで、それを聞いて俺も心が穏やかになる。
さっきの本の内容を頭から追いやって、少し考えに更ける。ここ数日、色々なことがあったけど一番大きいのはアランさんの件だろう。二人が心を通わせたのは、言うまでもない。
「…………」
目をつむったままで考える。今考えたアランさんの協力もあって、南側の貴族との仲は良好だ。もちろんレイさんともそれなりに上手くやっているし、アークゲート家の皆ともいつも通り。就任した当初はバタバタしていたけど、最近はそれも落ち着いてきて余裕も出てきた。
そうなってくると、考える時間も増える。それはその……子供についてだ。貴族にとって、というよりもどんな家でもそうだと思うけど、世継ぎが大事だって言うのはフォルス家だって例外じゃない。
シアとは再会して、結ばれて、結婚して、そういったこともして……次の段階に進んでもいい頃だと、個人的には思う。
……息子や娘……かぁ。
頭の中で、まだ見ぬ未来に出会う小さな姿を思い浮かべる。男の子なら男の子で、強い意志を持った子に育ってほしい。俺よりもシアに似た方が強そうではある。
そして女の子なら女の子で、こちらもきっとシアに似た可愛い子になるだろう。ひょっとしたら姉妹だからオーロラちゃんやユティさんに似た子になるかもしれないけど、それでも可愛くて、皆から愛される子になるに違いない。
男の子なら俺が剣技を教えたいし、ギリアムさんに覇気を教えてもらうのも良いだろう。いやひょっとしたら女の子でも剣に興味を持ったりするかもしれないな。でも個人的には女の子なら魔法をシアから習って欲しいかもしれない。
いや、それこそフォルスの覇気とアークゲートの魔法の両方を持ったすごい子供になるかもしれないのか……いや……いやいや?
そこまで考えて、俺は一つの事に思い至った。
普通に考えればフォルスの覇気とアークゲートの魔力を持った、すごい子供が誕生するかもしれない。けどそもそもこの二つの力は反発する。もしも一つの体に二つの力が存在するようなことになれば、その子はどうなってしまうのか。
「…………」
目を開けて、背もたれから体を起こす。
いやそれだけじゃない。俺はフォルス家の覇気を扱えず、それゆえにアークゲートの魔力との反発が起こらない唯一の存在だ。それは……子供にも遺伝されるのか?
もしも仮に遺伝されるなら多少は考え方が楽になるけど、遺伝されない、あるいは男の子にしか遺伝されないなら、それはそれで問題の解決にはならない。
「……ノヴァさん? どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
「あ……ああ……ちょっとあることを思いついちゃって……」
シアに言われて、俺は一旦思考の海から戻ってくる。心配そうなシアの表情を見て、大丈夫だと告げたけど、彼女は本を膝の上に置いて俺の方をじっと見てくる。
「何を思ったんですか?」
「……今考えていたのは、俺についてだよ。ほら、俺ってフォルス家の覇気が使えないから、アークゲートの魔力が効かないでしょ? それって子供に遺伝するのかな、って思って」
「……なるほど」
納得したように頷くシア。彼女に相談すれば何か分かるかも、そう思ったけど。
「結論から述べると、ノヴァさんの性質は子供には遺伝しないと思われます」
「……え?」
何か分かるどころか、答えを言われて俺は目を見開いた。
「実は、少し前にユティに頼んでノヴァさんの体質について調べてもらっていたんです。フォルスの覇気が使えない事や、アークゲートの魔力を従えられることについて。正確なことは分かりませんが、少なくとも私もユティも、今のノヴァさんの力は先祖返りだと考えています」
「先祖……返り?」
確か遠い祖先の力や姿が、離れた子孫に隔世遺伝することだっけ? と思って聞き返すと、シアは頷いた。
「その可能性が最も高いです。ですので子供に遺伝する可能性はかなり低いのでは、と私達は考えています」
「……俺の体質? については分かったけど、それはそれで問題があると思うんだ。俺の体質が遺伝しないなら、子供はフォルスの覇気とアークゲートの魔力を持つことになる。それは……子供が苦しむことになるじゃないか……」
遺伝しないという事が分かって、生まれる子供が苦しむという可能性に至る。それは何とかしないといけないんじゃないか、そう思ったけど。
「はい、ですのでそっちも考えています」
「……え……っと?」
シアは穏やかな表情のままで続けた。まるで心配ない、と言わんばかりの態度に、少しだけ困惑する。そっちも考えているっていうのは、どういう事だろうか。
シアは膝の上の本をテーブルの上に置いて、俺を見て微笑んだ。
「私がノヴァさんと再会するよりも少し前、縁談を申し込むときから、フォルスの覇気とアークゲートの魔力の問題については何とかしなくてはならないと考えていました。ですから現在、王都のナターシャとユティに依頼してこの二つの反発を少なくする薬の開発を行ってもらっています」
「……へ? 薬の……開発?」
「はい……とはいえ現時点で結構時間がかかっているのですが完成にはまだ時間がかかるらしく。とはいえ数年以内には完成する予定です。隠しているつもりはなかったのですが、ノヴァさんが不安になるなら先に話しておけば良かったですね。すみません」
「い、いや……それは別にいいけど……」
シアの話だとかなり昔から準備してきたみたいだし、話すタイミングがよく分からなくなっていた、みたいな感じだろう。きっと俺の体質に関してもそうだと感じた。それ自体は別にいいけど、そんなに前からフォルスの覇気とアークゲートの魔力について考えていてくれたのかと、驚いた。
「私も同じです」
「……え?」
「ノヴァさんとの間の子供には、健やかに育ってほしいですから。フォルスの覇気やアークゲートの魔力に翻弄されないで、もちろん両家のしがらみにも囚われずに」
「シア……」
シアもまた、俺との未来の事を考えてくれている。いや俺以上に、考えてくれていたんだ。それが嬉しくて、心が温かくなった。
「ノヴァさん、明日時間ありますか? これも良い機会ですので、よければ王都に一緒に行きませんか? 開発している薬の現状について、お知りになるのも良い事かなと」
「うん……そうだね。仕事もそこまで溜まっていないし、夕方くらいからなら行けると思う」
「ではそのくらいの時間に、執務室の方に迎えに来ますね」
シアの言葉に頷いて、俺は自分の本をテーブルの上、シアの本の隣に置く。
そうして立ち上がって、シアに手を伸ばした。彼女は俺の手を取って、席から立ち上がる。
手をつないだままで、俺達はベッドへと向かっていった。




