第154話 想定する事、ありえると少しでも思う事
別室で汗を流し、再び礼服に着替えた俺は外会場の方に戻ってきていた。会場を見渡すとユティさんとオーロラちゃんは二人で貴族の人と、ノークさんは別の貴族の人と話をしているようだった。
「ノヴァさん」
声がして振り向くとシアが立っていた。どうやら俺が戻ってきたことに気づいてこっちに来てくれたらしい。彼女は俺を見ていつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「ダリアさんとの試合、お疲れさまでした。惜しかったですね」
「うん、でもシアの防御魔法を使っちゃったから、ルール違反しちゃったんだけどね」
ちょっとやらかしてしまったなと思い、苦笑いしながら頭を掻くと、シアは首を横に振った。
「確かにそうかもしれませんが、私は嬉しかったですよ。ノヴァさんに信頼されているようで」
「俺はいつだって心からシアの事を信頼も信用もしているよ」
「……ノヴァさん」
嬉しそうにはにかむシアを見て、俺も嬉しい気持ちになる。ふとその時、遠くからこちらに歩いてくる人影に気づいた。先ほど素晴らしい戦いを繰り広げた相手であるダリアさんだ。
彼女もまた汗を流しに行っていたけど、意外に早く帰ってきたようだ。女性だから長いかななんて先入観があったけど、そんなことはなかったらしい。
「やあノヴァさん……お邪魔だったかな?」
「ダリアさん……いえ、大丈夫です」
俺はダリアさんに笑顔で返す。すると隣に立つシアも笑顔を浮かべてダリアさんに話しかけた。
「ダリア将軍、先ほどの戦い、お見事でした」
シアの言葉に、ダリアさんは困ったように眉を下げた。
「レティシア殿、出来ればその……ノヴァさんのように、さん付けで呼んでくれないだろうか?」
「あら、ではダリアさん、と。敬語は癖ですので気にしないでください。それと私の事もレティシアさん、で構いませんよ」
「……善処する」
どこか様子のおかしいダリアさん。彼女はチラチラとシアの様子を窺っているようだったが、やがて小さな声で尋ねた。
「その……レティシアさん、恨んでいないのか?」
「? なにがです?」
「私はあなたの――」
「ダリアさん」
何かをダリアさんが言いかけたところで、シアは彼女の声を遮った。意図的に発せられたのが分かるくらい、鋭い一声だった。
「戦争とはそういうものです。互いの陣営の誰かが必ず死ぬ……いえ殺される。それを軽く考えろとは言いませんが、彼らの上に私達は立っている。……前を向かなくてはならないんです」
「……あなたが……そう言うなら……」
シアとダリアさんの話を聞いて納得した。ダリアさんは戦争をしていたコールレイク帝国の将。そしてシアは今のアークゲートの当主だ。つまりまだ戦時中であれば、この二人は激突する軍隊の長同士ということになる。
それにシアが当主になって戦争が終わるまで、コールレイク帝国との戦争は長引いていた。その間に両陣営で戦死者や負傷者だって出ただろう。そういえば、その戦争でいくつかの隊が敗北した、みたいな話を小耳に挟んだ気がする。
その時に戦死した人だっているはずだ。シアは、彼女自身の大切な人は戦争で亡くなっていないって前に言っていたけど、ダリアさんからすれば今は和平を結んだとはいえ、気にしてしまうんだろう。
「それよりも、先ほどはノヴァさんと戦って頂き、ありがとうございました。それとオズワルド国王陛下の提案に乗らないで沈黙してくださったことも」
「いや……流石にこの会場で私とノヴァさんが本気でぶつかり合うのはマズイだろう。話は聞いているが、レティシアさんと遜色ない強さなのだろう? ……下手すれば王城が更地になるぞ」
え? 俺がシアと同じくらい強い? いやいやそんなわけないだろう。と思ったけど、シアはクスクス笑った。
「確かにそうですね」
そうなの? いやいや、シアならともかく俺が全力で戦ってもそこまではならない……よね?
けどそんな俺の思いに応えてくれる声はなく、シアもダリアさんも笑っているだけだ。
「……まあ、本気のあなた達と戦ってみたかったというのはあるがな」
そこまで行ってからダリアさんは笑顔を引っ込め、真剣な表情になる。
俺とシアを順に見て、ゆっくりと口を開いた。
「ノヴァさん、レティシアさん、今この場で正直に言う。この国も、コールレイクもあなたたち二人の動向には注目している。マリアベル皇女とレイモンド王子がご結婚なされた以上、コールレイクは最もあなた達を注目していると言っていい」
「……気をつけろ、ということでしょうか?」
ダリアさんの真剣な声音に、シアもまた笑顔を消して対応する。俺もまた、まっすぐにダリアさんを見た。
ダリアさんは首を横に振って、否定の意を示す。
「少なくとも私の知る限り、コールレイクにあなた方と表立って敵対しようとする者はいない。心の裏までは分からないがな」
けどそれは、俺が思っていた否定とは違っていた。コールレイクには居ない。ということは。
「そしておそらくだが、この国にも居ないだろう。私が言っているのはそういう事じゃない」
と思ったけど、この国でもなさそうだ。どういうことかと思ってダリアさんに視線で話の続きを促す。彼女は大きく息を吐いて、続きを口にした。
「古来から今に至るまで、人は他の人を従えて発展してきた。むろん一部が親愛や友愛、愛情があって手を取り合ったこともあれども、だ。その際に用いられたものが何か、レティシアさんはよく分かるんじゃないか?」
「……力、権力、金銭、あるいは絡め手などですね」
「ああ、声に出していて気持ちの良いものではないが、それが事実だ。そして今挙げたそれら全ては貴方達に通用しない。人は力ないものを従えることは出来ても、力あるものを正面から従えることは出来ない」
「ええ、だからその場合は別の手法か絡め手を使う」
「その通りだ」
しかし、とダリアさんは続ける。
「正面からの力も、別の手法も、絡め手も通用しないという相手に出会った場合に人はどうするか。当然多くの人は諦めるだろう。何をしても敵わない相手ならば、するだけ無駄だ。せめてその相手の怒りが自分に向かないようにおとなしくする。それが普通だ」
しかし、とダリアさんはさらに続ける。
今回の、しかし、にはとても強い力が籠っていた。
「何事にも例外は存在する。本当にごく少数の者はそれでも行動を始める。その先に破滅しか待っていないように思えても、世の中のほとんどの人が無謀だと、命を捨てる行為だと吐き捨てたとしても、行動するものがいる。
それは正義のためや世界のため、自らの大切なものを守りたいため……自分が悦に浸りたいため……理由は様々だ。だが忘れないことだ。人間の欲望は、そういった行動を引き起こさせる」
「「…………」」
俺とシアは、ダリアさんの言葉をただ黙って聞いていた。
「そんな相手が、そのうちあなた達の前に現れるかもしれない。いや、現れない可能性の方がはるかに高いだろう。だが、このことを覚えておくのは、心に留めておくのは、悪い事ではない」
「そう……ですね」
俺はダリアさんの言葉を頭の中でかみ砕いて、そしてよく心に言い聞かせた。いつかシアや俺の大切な人を害する人が現れるかもしれない。そう思っておくことは、大切なことだと。
隣を見れば、シアもまた俺の事を見ていた。その瞳の中に少しだけの不安を感じて、俺は彼女の手を取った。強く握りしめて、大丈夫だと言い聞かせるように。
シアと初めて会って、最初に強く思ったことを思い出す。そうだ、俺はあの時から思っていた。
――シアのことを、守りたいと
絶大な力を持つ彼女と比べたら、俺の力は足りないかもしれない。それでも守りたいと、そう思ったんだ。
俺達の様子を見ていたダリアさんは、小さく笑い、体を横に向ける。
「とはいえ、貴方たちなら大丈夫だろう。……私はここら辺で失礼する。ノヴァさん、貴方との戦いはとても楽しかった。もし良ければ、次回も頼みたい」
「はい、こちらこそ、次回があればぜひとも」
言葉を交わしてダリアさんは俺達の元から去っていく。そんな彼女の背中を俺とシアは見送っていた。
レイさんとベルさんの結婚式典は、その後も何事もなく終了した。結果としては大成功だったし、ダリアさんと知り合えて、しかも戦えたのは良い事だった。
それに彼女と話を出来たこともだ。シアを始めとする大切な人を守る。それもしっかりと心に再び刻んで、俺はまた日々を生きていく。




