第146話 社交界の華
私、ライラ・ヘッセンは貴族であるヘッセン家の夫人だ。嫁いだ家は貴族であるものの、そこまで格式は高くない。下流貴族という言葉がよく似合うだろう。
そんな私でも、重要な仕事はいくつかある。例えば、夫が不在の間の屋敷の管理などが当てはまるだろう。そしてもう一つ挙げるとすれば、今参加している夫人同士の交流会だ。
この交流会は私の嫁いだ家よりも格式の高い家の夫人が多く参加する。だからいつも緊張しているのだけど、今日は会場の雰囲気が少し違っていた。
ざわついているというか、緊張している?
気になった私はよく交流会で一緒に話をするビードロ家の夫人、アリアナさんに会場の隅で声をかけた。
「ごきげんようアリアナさん……なにやら会場の様子が変だけど、何かあったの?」
「あ、ライラさん、ごきげんよう……それが、今回の交流会にフォルス家の奥様が参加するそうなのよ」
「フォルス家の奥様? ローズ様ならこれまでもずっと参加しているじゃない」
ローズ・フォルス様。私達が属する南側の大貴族フォルス家のカイラス様の奥様で、南側の交流会でもっとも有名で力があるご夫人。
社交界の華なんて言葉があるけど、私の中でこれに当てはまるのが他ならぬローズ様だった。
けどローズ様はこれまでこの交流会に欠かさず参加しているし、むしろ主催者の一人の認識だ。それなのにここまで会場の雰囲気が変になるだろうかと思って首をかしげていると、アリアナさんは首を横に振った。
「ローズ様じゃないわ、フォルス家当主様の奥様、レティシア様が参加するそうなの」
「……え?」
レティシア様。
その名前はもちろん知っている。さっき挙げたカイラス様もフォルス家だけど、レティシア様の夫はそのフォルス家の当主であるノヴァ・フォルス様だ。けど名前を知っているのはノヴァ様の妻だからじゃない。
「アークゲート家の当主様が……この場に?」
恐る恐る尋ねてみると、アリアナさんは首をしっかりと今度は縦に振った。
レティシア様は北側の最大貴族アークゲート家の当主でもある。つまり彼女はこの国では夫人としてではなく、当主として有名なのだ。そんな大物が、たかが夫人の集まりにどうして? と思った。
「だから皆さま緊張しているみたい……ただ私は姿を見たことがないから少し楽しみではあるんだけどね」
緊張しつつもややうずうずしている様子のアリアナさんを見て、私は納得する。この人は結構スリルを楽しむような人だった筈だ。この状況を楽しんでいるんだろう。
「そうね……私も姿は見たことはないわ。親睦会や次期当主就任の発表式には参加していなかったから」
夫は目にしたみたいだけど、屋敷の留守を預かっていた私はレティシア様を見たことがない。そしてそれはアリアナさんも同じだったみたいで、首を小さく縦に何度も振っていた。
「参加した人に聞くと、驚くほどに美しいお方みたいよ。思わず見とれてしまった、と聞いたわ。私、北側のラーゼフォン家の夫人であるルナーラさんと面識があるんだけど、ノヴァ様の妻になったと噂に聞いたときに話をしたら、レティシア様は憧れの存在だって言っていたわ。今日のことを話したら、多分ルナーラさんに羨ましがられるでしょうね」
「そんなになの……」
アリアナさんと話をしながら、チラリと目線を向ける。そこにはこれまでの交流会の主役だったローズ様が綺麗な笑顔で立っている。けれどその笑顔にはどこか冷たさがあった。
「あっ、ライラさん、来たわよ!」
アリアナさんの声に振り返るとこの大きな部屋の入り口の扉を開いて、一人の女性が中に入ってきた。
「…………」
その人が部屋に入ってきた瞬間に、その場の時間が止まったようだった。
それをしたのは、もちろんレティシア・アークゲート様。真っ先に目に入ったのは、夜空のように綺麗な黒い髪。その中に整い過ぎた顔で美しい笑みを作っている。その微笑みは、まるで女神の笑顔のようだった。
そして視線を少しだけ下に向ければ、彼女は淡い紺色を挿し色にしたこちらも淡い黒のロングドレスに身を包んでいた。黒髪に黒いドレスは普通ならば少し暗い印象を受けるのだけど、レティシア様が美しい笑顔を浮かべているのもあってか、とても魅力的に見えた。
夜の空で光り輝き、人々を魅了してやまない月。
そんな感想が頭をよぎった。
レティシア様は立ち止まって天井を見上げる。あまりの彼女の美しさに、誰も声を出せない。誰も声をかけられない。この場でもっとも交流を持つべき方なのに誰も動けないのが、彼女の美しさを鮮明に物語っていた。
不意にレティシア様は手を伸ばす。天井をゆっくりと、すっとなぞった。
たったそれだけで、空中にキラキラした欠片が無数に浮いた。いったいどういう仕組みか分からないけれど、その欠片は室内の明かりを反射して会場をさらに明るくする。
太陽の光よりも白い光で私達は照らされた。隣に立つアリアナさんが白い光を受けて、輝いて見えた。
「まぁ……」
「すごい……綺麗……」
「美しい……」
夫人方が口々に言葉をこぼしてしまう。まるで幻想的な世界に自分が迷い込んだみたいだと思っているんだろう。私もそう思っている一人だ。
「レ、レティシア様……よ、ようこそいらっしゃいました……」
驚き、感嘆する夫人たちの中で真っ先に我に返り、声をかけたのはローズ様だった。ローズ様もレティシア様もどちらも同じフォルス家の夫人。きっと以前から交流はあったんだろう。
ただ遠くから見ていて思ったけど、レティシア様に近づくローズ様と、それを微笑んで見守るレティシア様にはなぜか大きな差があるように思えた。
「ごきげんよう……で良かったんでしたっけ? ローズさん」
あまり貴族の婦人同士の挨拶に慣れていないのか、そう聞くレティシア様。それに対して、ローズ様は作り笑いで応えていた。
「え、ええ……大丈夫です、ごきげんよう、レティシアさん」
「はい。ところで部屋が少し暗かったので魔法で明るくしましたが、良かったでしょうか?」
「か、勝手になされるのは本来、困ることなのですが……」
回りを確認したローズさんは、ひきつった笑みのまま答えた。
「周りのご夫人方も喜んでいるので、今回は問題ありません。むしろありがとうございます」
「あら? そうでした? すみません、次からは気をつけますね」
「い、いえ……」
言っていることもやっていることも、普通ならば注意されてしかるべきだし、そうでなくても内心で侮られるようなことだ。けれどレティシア様がなされたことだから、夫人達の中で彼女の株が下がることはなく、むしろ上がっていることだろう。
婦人特有の挨拶が分からないのは、こういった場ではなく夫たちが参加するような当主会に参加しているから。
部屋の照明に関しては私達を美しくしてくれたのみならず、彼女の魔法の力を見せてくれたから。
今この場でもっとも人目を引いているのが……つまりこの場における社交界の華が誰なのか、夫人たちは、いえ私達はよく分かっていた。
「レ、レティシア様、見事な魔法でした! こんな魔法が見られるなんて、私感動です!」
「あら? 美しい方、お名前を伺っても?」
「は、はいっ、私はアーリアル家のレイラと申します!」
「ふふっ、レティシアとレイラで同じレから始まる名前ですね。よろしくお願いします、レイラさん」
「は、はいっ!」
アーリアル家の夫人の一言をきっかけに、レティシア様の回りに次々と夫人が集まってくる。今使った魔法はどんなものなのか、そのドレスは北側で有名なものなのか、そういった話が聞こえてきた。
「す、すごいわね……ってあれ?」
アリアナさんの方を向いてみると彼女の姿はそこにはなくて、会場を見回して見ると、既にレティシアさんを囲む集まりの中に居た。こういうときの彼女の行動力は凄いと言わざるを得ない。
私もそちらに近づく途中で、ふと視界の隅に集団が映った。
ローズ様が、ぞっとするような作り笑顔でレティシア様の集団を見つめていた。
そちらに目を向けないようにして、私はレティシア様を囲む場に合流する。
「レティシア様、初めまして、私はエリアス家のナタリアと申します。こんな幻想的な魔法を見せて頂いて、私は幸運ですわ」
「エリアス家……あぁ、ノヴァさ……いえ、夫が挨拶に行ったときに有意義な話を当主のミハイルさんと出来たと喜んでおりました」
「まあ、夫も喜びますわ。帰ったらお伝えしておきますね」
ナタリア様の言葉で、レティシア様を囲んでいた私を含む夫人たちははっとした。この交流会は夫人達の交流のみならず、夫の仕事にも影響を与える可能性があることを思い出したのだ。
「ナタリアさん、好きなものはありますか?」
「好きなもの……ですか?」
「話が急過ぎましたね……それでは好きな動物はいかがでしょう?」
「そうですね……可愛らしい動物が好きです。小さいと見て愛でたくなりますね」
凛々しい顔つきのナタリア様だけど、実は可愛い動物が好きらしい。それを聞いたレティシア様は手を上に向けた。
水……いや氷が浮かび上がり、ゆっくりと形を作る。氷で出来たのは、小さな可愛らしい動物だった。木の実か何かをほおばって、小さく食べている。
「ま、まあ……」
それを見てナタリア様は興奮した声を上げた。可愛さに内心で悶えているのか、少しだけ頬が赤くなっている。
「これは北に住むユキリスと呼ばれる小動物です。特に雪解けの頃に木の実を見つけて食べる姿が女性に人気なんですよ」
「なんて可愛らしい……ユキリス……確かに毛が少し長いですね。寒さに対応しているのでしょうか?」
「そうだと思います。北側の動物は体毛が長く、厚いものが多いので。そういえば、レイラさんは好きなものはあるんですか?」
氷で描いたユキリスを宙に浮かべたままで、レティシア様は最初に話しかけてきたレイラさんに声をかけていた。レイラさんは突然の質問に驚いた様子を見せる。
「え、えっと……私は動物ではなくて花なのですがサンフラワーが好きです」
サンフラワーは南側で見られる花の名前。ただ今は季節の関係で見ることは出来なかった。
レティシア様は少しだけ考えるそぶりをした後に、左手を動かした。先ほど作ったユキリスが少しだけ動き、それを目で追うナタリア様が視界に映る。
レティシア様の左手の上で、光が集まる。光り輝く石のようなものが集まって、形を作っていく。そうして出来上がったのは、サンフラワーの形をした石の構造物だった。
「す、すごいですレティシア様!」
「南の花ですから、氷ではなく石で作りました」
「サンフラワーの事、ご存じだったんですね!」
興奮したようにそう言うレイラさんに、レティシア様は微笑んで告げた。
「夫の住む南側の事ですから……なるべく多くの事を知っておきたいと思っていますよ。愛する人と話す時間を伸ばせますからね」
「ま、まあ……」
これまでの笑みとは違う穏やかな笑みに、一同が釘付けになる。
その後も、レティシア様はこの交流会の中心に居続けた。いや、君臨し続けた。
常人離れした美しさに、魔法の力、さらには話をしていて心地良い声色に雰囲気、こちらを気遣ってくれるような話題の選出。
キラキラ光る部屋も相まって、私には、いや夫人達には天使か女神のように見えていただろう。
「それにしても、皆さんと話をするのは楽しいですね。これなら次回の交流会も参加してもいいかもしれません。夫も、気に入ったらこれからも楽しんできて、と言ってくれましたし」
「はい、ぜひ次回もお越しください!」
「夫から聞いていましたが、ノヴァ様は穏やかで心優しい方なのですね」
「ええ、レティシア様の言葉の節々から、ノヴァ様が素晴らしい方だというのが伝わりますわ」
「ふふっ」
たった一回で交流会のほとんどの夫人と仲良くなったレティシア様は、今後も交流会に参加することになる。
その中に私の姿もあったことは、言うまでもないだろう。




