第132話 あの日見た強さとの距離
今は俺の屋敷になってしまったフォルス家実家の中庭。そこで動きやすい服に着替えた俺は木刀を構えていた。
時間は昼食をとった昼を過ぎて、夕方になりかけている時間帯。
「……やはり良い構えだ。長い年月を費やして、真摯に剣に向き合ってきたのが良く伝わるよ」
普段なら剣の訓練は朝方にやるのにどうしてこの時間に木刀を構えているか。それはこの人――フォルス家の剣術指南役でもあるギリアム・ストアドさんが来訪してくれたからだ。
以前の別邸でのゼロードの事件の折、彼と剣の稽古をする約束をした。あの後は俺が当主になるための引継ぎや、実際に当主に就任してからの業務にあいさつ回りなんかで急がしくて時間が取れなかったけど、本日約束を果たすことが出来た、というわけだ。
俺の目の前には同じように木刀を構えるギリアムさんの姿があって、それは何度か見た父上やゼロードの構えと一緒だった。
「……ノヴァくん、覇気は使用しない。今この場は、ただ剣術だけの勝負だ」
ふぅーと大きく息を吐いたギリアムさんは少しの間だけ目を瞑り、集中力を高めている様子。それをみて、俺も意識を完全に切り替えた。周りの景色を遠ざけ、ギリアムさんにのみ集中する。
「君の力を、見せてくれ!」
目を強く開くと同時にギリアムさんは地面を蹴る。初手は正面からの攻め、それを視覚して、振り下ろされる一撃を木刀で防ぐ。
「っ!」
かつて幼き日に数回だけ見たギリアムさんの剣。俺が自分の想像で敵を作るときに、最後に考える最も強い人。彼の剣は鋭く、重いものだった。
予想通りに。
力を込めて木刀を弾き、素早く返す動きで振り下ろす。当然のようにギリアムさんは反応してくるものの、その動きも十分に目で追えた。
打ち込まれた俺の一撃はギリアムさんの木刀に防がれる。けれど、打ち込んだ瞬間に少しだけギリアムさんの木刀がブレた。
「っ!」
体内に貯め込んだ息が漏れる音を聞く。俺ではない、ギリアムさんのものだ。やや苦しそうな表情を見て、素早く追撃に切り替える。力を抜き、再び入れての打ち込み。さまざまな角度からギリアムさん目がけて振り下ろし続ける。
俺が想像していたのは幼き日に見たギリアムさんの剣。その頃に比べてギリアムさんの剣はきっと成長しているだろう。
けど俺も成長している。それこそ、幼き日の俺とは比べ物にならないほどに。
あの日見た剣は届かないと思うほどに遠かっただろう。そしてその距離を保ったまま、俺は大人になった。そして今の俺からその距離を保ったギリアムさんを、いつの間にか幻視していたのだろう。だから本当の彼は、実はそこまで遠くにはいなくて。
「くっ……」
その距離はなくなっていた。
「ここまで……とはっ……」
むしろ、追い抜いていた。
俺の一撃一撃がギリアムさんの体力を奪っていくのを感じる。彼も隙を見て反撃してくるものの、それを防ぎ、反撃ときっかけになった隙を封じるように意識しながら打ち込む。
状況は圧倒的に俺の方が有利。このまま押し切れる、そう確信するくらいには。
「まだ……だっ!」
剣を受けていたギリアムさんが不意を突くような形で急に屈み、膝を伸ばす動きと共に打ち上げてくる。俺とギリアムさんの大きな差があるとすれば、それは経験と技術の差。それをもって、ギリアムさんは勝負を決めに来た。
けど
迫る木刀に、振るった木刀の柄の部分を勢いよく当てることで軌道を逸らす。肩を強く掠めたものの、戦闘に支障はない。驚くギリアムさんの表情が目に映った。
これまでの戦いの中で、俺はギリアムさんの太刀筋を全て目で追えていた。もっと言えば、そのほとんどに反応もできていた。
調子がいい。そんな言葉をこれまでの俺なら使っただろう。実際それは間違いない。
けどそれを越えるような、なんというか強さの壁を越えたような、そんな気がする。ギリアムさんとの強さの距離が思ったよりも遠くなかったのは、想定したのが幼き日に見た彼だったから。
けど距離を無くして、追い越したのはきっとこっちが理由だ。
俺はシアの力を受けたあの日から、彼女の力によって本来の限界を越えている気がする。
もちろん今はシアの力は受けていない。けど体はシアの力を受けたときのことを覚えている。今の俺には絶対に出来ない反応、動き。けどそれは体の記憶として残っていて、あそこまでの力は出せなくても、それに少しでも追いつくことは出来る。
まるで激流が流れた後には広がった水無川の跡があるように。そこを流れる水はそれまでよりも速く流れるように。
俺の剣は、フォルス家の剣術指南役すらも越えていた。シアが、越えさせてくれた。
流れるようにギリアムさんの首筋に木刀の刃の部分を沿える。もちろん刃なんてないから傷つくことはないけど、これで決着だ。
しばらく唖然としていたギリアムさんは、大きく息を吐いて口を開いた。
「……見事だ、ノヴァくん。君ほどの剣の使い手を私は知らない。今までも、そしてきっとこれからもだ」
その言葉に、胸の中で歓喜が湧きおこる。木刀を下ろして、頭を下げた。
「ありがとうございます……ギリアムさん」
「……礼を言うのは私の方だ。このような素晴らしい剣を見るのみならず味わえたこと、これほどの喜びはない」
そう言ったギリアムさんが動く音を聞いた。頭を上げて、俺は目を見開く。ギリアムさんは片膝をついて、俺に頭を下げていた。忠誠を誓う騎士のような姿だった。
「ノヴァ・フォルス様……もし叶うなら、この私、ギリアム・ストアドを改めてフォルス家の指南役にしていただけないでしょうか? 私はあなたの……旦那様の元で剣を振るいたい。旦那様の元に集う者や、将来は旦那様の子に剣術を授けたいのです」
彼の言葉に、全身に衝撃が走った。
こんなこと、誰が想像できただろうか。今までは出来損ないと言われて、ギリアムさんに指導すらつけてもらえなかった。
そんな俺が彼に膝をついてもらえて、しかも指南役になりたいと願われるなんて。
胸の中で沸き起こる言葉に出来ないほど強く熱いものを感じながら、俺は口を開く。
「……ギリアムさん、ぜひお願いします。あなたが継続してフォルス家の指南役について頂けるなら、これほど嬉しいことはありません」
「……ありがたき、お言葉」
頭を上げてギリアムさんは微笑む。一点の曇りもないその微笑みは幼き日に見たような懐かしさを伴って。
俺は自然と笑顔を浮かべて、彼に微笑み返した。




