第130話 名もなき神が消失した日
「ふむ、時間がかかったの」
夜の散歩をしながら、儂は先ほどの事を考える。あの小娘、なかなか記憶の改ざんが効かなくて手を焼いた。じゃがしっかりと儂の事は記憶から消えたようで、これで終わり。
以前、昼間にソニアのフリをしてノヴァの小僧に遠回しに聞いた限り、あれは守り神の事を信じておらん。無視でいいじゃろう。そしてトラヴィスの記憶からは、ソニアが守り神であったことはもう消してある。
最後の仕上げとしてあの小娘たちの記憶からソニアが守り神であることを消したから、これで全て終わりじゃ。今回は数が多くて少し面倒だったのぉ。
「さて、屋敷に戻ってソニアの部屋で――」
「こんばんは、守り神」
――
世界が、止まるような衝撃を覚えた。聞こえてくるはずのない声、そして聞こえる筈もない言葉。
振り返れば、そこには誰もいない。けれど奥からゆっくりとこっちに近づいてくる。
さっきまで話していた小娘が、近づいてくる。
「ば……かな……」
明らかに儂の力が作用した実感があった。小娘の中からは儂に関する記憶は消えた筈だし、だからこそ小娘はもう一人の小娘を連れて消えた筈だったのに。
小娘が歩き、月明かりに照らされる。儂をしっかりと見て目線を決して放さない。
瞳の中には、儂を『識って』いる確信がある。
「どう……なって……」
「どうでした? 記憶を失ったフリは? 初めてでしたが、上手かったでしょうか?」
満面の笑みを浮かべる小娘。しかしその背後に、あまりにも大きすぎる怒りを感じる。重々しい雰囲気を感じる。体が、震えはじめる。
「ありえん……そんな……馬鹿な……」
「ありえますよ。私の魔力は私にとって有害であるものを自動で遮断します。毒なども効かないのですが、あなたの記憶を改ざんする力も遮断してくれたみたいです」
ありえん……儂の力を、遮断? そんなこと出来る筈がない。あっていい筈がない。
しかし小娘は儂の動揺は無視して口を開いた。
「一つだけ聞きたいことがあります。ここ最近のトラヴィスの体調不良。あれもあなたの仕業ですか?」
「は、はぁ? 知らん、そんなことは知らんぞ」
「そうですか」
「な、なにを……」
声をかければ小娘が一歩。その小柄な体格の背後に儂では理解できぬ何かを幻視し、背後に崩れるように倒れた。
――恐ろしい
「私はずっと思っていました」
――恐ろしい
「ノヴァさんを苦しめたものを、許さないと」
――恐ろしい
「私が許せないものは多く、その中にも順位がついています。例えばゼロード。幼きノヴァさんに暴力と暴言を浴びせた塵。あれは中々の高順位……いえ、これは良いイメージがありますね、低順位? なんて言えば分かりませんが、まあそういうことです」
――恐ろしい
「ですがトラヴィスから話を聞いて、私がもっとも怒りを抱いたのはあなたです。だってそうでしょう? あなたが居なければそもそもノヴァさんが苦しむことはなかった。あなたのために避雷針になることもなかった。そうですよね?守り神」
――恐ろしい、なんていうものじゃない
殺される。直感的にそう思った。強すぎる程の怒りが儂の体を外部から貫いて巡り、頭がチカチカする。命の灯が、先ほどまで穏やかに灯っていた火が、強風に煽られている感覚。
「私は別に、あなたが何をしようとどうでもいいんです。家を繁栄させたい? どうぞご自由に。人間の醜さや弱さを見て悦に浸りたい? どうぞご自由になさってください。
あなたどころか、誰が何をしていても、正直どうでもいい。本当にどうでもいいんですよ」
すっと、それまでの笑顔が消えた。無表情を経て、怒りの表情へと切り替わる。今まで多くの者を見てきたから分かる。あれは憤慨じゃ。
「でもノヴァさんが苦しんだなら話は別です。……絶対に許さない」
気付けば後ろには木の幹があって儂の前には小娘、いや、レティシア・アークゲートがいる。
理解できない恐ろしい怪物が、いる。
――忘れろ! 忘れろ! 忘れるんじゃ!
必死に怪物の頭から儂の記憶を消すように祈り、力を行使する。存在しなければどれだけ相手が強くても関係はない。だからすぐに消えろと、忘れろと告げる。忘れてくれと、希う。
――忘れろ! 忘れろ!
「あぁ、そうです守り神」
けれどレティシアは、怪物は、急に表情を作られた笑顔へと戻して儂の名を呼ぶ。
――やめろ……呼ぶな
「守り神、ソニアちゃんの体を傷つけてはダメですよ。その子はノヴァさんが気にかけていて、オーラの友人でもあるんですから。ほら」
――やめてくれ、儂の名を呼ばないでくれ
両手を怪物の片手で捕まれ、もう片方の怪物の手は儂の背中に。横抱きにされるような形は本来なら安心感を与えるのかもしれん。じゃが儂の体の震えは止まらない。
歯はカチカチと鳴り、体は寒いのか震えが止まらない。終わる。儂が終わるという確信がある。
「守り神、さっきも言いました。私はあなたを決して許さない」
――やめてくれ、名を呼ばないでくれ
「ですが、どうやって守り神だけを消すのか」
「はぁーっ……はぁーっ……」
そ、そうじゃ、儂はソニアを器にしておる。じゃから儂に危害を加えるという事は、ソニアに危害を加えるという事。それは怪物にもできな――
「そこで考えて、私の中にお願いすることにしました。どうやるのか分かりませんが、きっと私の中の魔力なら守り神を……あなただけを消してくれるはずです」
耳元で聞こえる言葉に絶望した。怖いとか、恐ろしいとか、そういうのじゃなく。
ただ許してほしかった。
「だってそうですよね? そっちの干渉を防げたんです。なら私の方からあなたに干渉することも出来る筈です。ね? 守り神?」
儂は、手を出してはいけないモノに手を出してしまった。
手を出すことで、きっかけを与えてしまった。考えるのも恐ろしい結果を引き起こす、きっかけを。
「ほら、すぐ終わりますからね。口を閉じましょうね、守り神」
「むぐっ……」
背中に回していた筈の手が儂の口を覆う。そしてそれと同時に、圧力を感じた。
儂を左右から押しつぶすような、絶対的な圧力。
けれど涙で染まった視界には怪物の姿以外映らない。儂の体が押しつぶされようとしているのではない。
儂自信が、押しつぶされようとしている。
「んー! んー!」
「ほら、暴れないで。この体はソニアちゃんのもの。暴れて傷つけちゃダメですよ。守り神」
――やめて
押しつぶされる
――やめて
押しつぶされる
――許して
痛い。怖い。冷たい。暗い。
「さようなら、名もなき守り神」
潰れる、潰れる……消える
--やめて、許して、殺さ
――
×××
月明かりの下、ぐったりとしたソニアちゃんの目元の涙を拭います。確認しましたが彼女は眠っているだけで、体に外傷はありません。
魔力にお願いしたので、きっと精神にも傷はないでしょう。
彼女の小さな体を抱き上げて、ゆっくりと屋敷へと向かいます。私も小柄なので、少し運ぶのが大変ですね。
「ん……んん……」
「すぐにベッドに戻しますからね、許してください」
腕の中で夢を見るソニアちゃんに微笑みかけて、私は歩きます。
今回の一件、私としての結果は上々でした。ノヴァさんを苦しめたゼロードは失脚した後に処刑。
トラヴィスは遠い地で隠居し、二度とフォルス家の敷地を踏むことはありません。
そして過去のノヴァさんを苦しめた根本的な原因である守り神はこの手で消し去りました。
面白味もないカイラスや、やり方に反感を持っているであろうライラックなどはいますが、フォルス家に対する私の怒りはこれでほぼ消えたと言ってもいいでしょう。
加えてノヴァさんはフォルス家当主になり、フォルス家を新しくしようとしています。そんな彼は会った当初とは少しずつ変わってきていて、活き活きとしていると感じられます。
私的にはまだまだ与え足りませんが、ノヴァさんとしてはこれ以上ないほど満たされて頂けている事でしょう。私もノヴァさんが幸せでとても満足しています。
ノヴァさんが幸せで私も幸せ、私が幸せでノヴァさんも幸せ、素晴らしいですね。
「とりあえずは一段落、と言ったところでしょう」
気になることはありますが、おおむね上手くいっています。問題はありません。
「ふふっ、そうなると次の目標は皆で幸せに、ですね」
ノヴァさんに与える、という段階は終了しました。ですから次はノヴァさんと、彼が大切にする人との幸せを護る段階でしょうか。
立ち止まって月を見上げ、「あぁ、そうですね」と呟きました。
段階が変わっても、私がすることは変わらないですね。
月から視線を外して、愛しい人が眠っている屋敷への道を再び歩き始めます。
私の後には誰もいません。
これまで報告を受けていたユティも、守り神も。
振り返り、ただの闇を見つめて私は微笑みます。
良かったですね守り神。あなたがあれだけ願っていたことは叶いそうですよ。
だってもう、どうでもよかった存在として私の記憶からは消えようとしていますからね。
それにしても、結局守り神はノヴァさんに存在を悟られることすらなく、消えていきましたね。そもそもノヴァさんは守り神の事なんて信じていないでしょうし。
歴代の当主に影響を与え、そして愉しんできたであろう守り神が、最後には当主であるノヴァさんに認知すらされないなんて。
とんだ皮肉ですね。
こんにちは紗沙です。
以上で第2章終了となります! 今回の最後はシアに閉めてもらいました。それにしても1章が全37話なのに、2章は93話、2倍以上のボリュームになってしまいましたね。ですが楽しんでいただけているようで嬉しいです。
さて、本作品は一応次の第3章で終了予定です。こちらもなかなかに長丁場になりそうです。第2章ではVSゼロ―ド、もといフォルス家にスポットが当たっていましたが、第3章ではアークゲート家が大きなキーワードになります。
こちらも楽しみにして頂ければ幸いです!




