第128話 絵を描いた、もう一人
「それで、もう一つのフォルスとアークゲートの反発についてはどうですか?」
続けて当主様が尋ねられたのは、フォルスの覇気とアークゲートの魔力の反発の解消についてです。これに関しても一年ほど前から優先度を高くして扱っている内容ですね。
「ナタを始めとする研究所との協力で、情報上ではある程度形になっています。フォルスの覇気とアークゲートの魔力の解析、さらには当主様がこの前見せたゼロードの覇気の無力化で実際の検証資料が取れたこともあるので。ただ薬として完成させ、服薬できる段階まではもう少しかかるかと」
「ゼロードは役に立ちましたか?」
間髪を入れずに質問が飛びますが、その瞬間に当主様の纏う雰囲気が冷たいものになりました。私の心もすっと冷え付きます。
「はい、できうる限りの実験や情報の収集は行いました。処刑までの時間を考えるとやや短い期間でしたが、ゼロ―ドから取れる情報は全て取ったかと。薬の開発段階が進んだのは言うまでもありませんが、まだまだ完成には遠い現状です」
「順調ではあるものの、ある程度時間はどうしてもかかりますね。ですがそう考えると、ゼロ―ドに対して色々な実験を行うために裏で生かせておくべきだったかもしれませんね」
「そちらに関しても進言しようかと考えたのですが、関わっている人数が多いために露見する恐れがあり、進言を取りやめました」
そう告げると、当主様は、そうですよね、と呟く。
「アークゲートの総力を使えば処刑の実行や死亡後の処理など全てを偽装することも出来たかもしれませんが、今回は厳しかったですね。……いえ、もう済んだことを言っても仕方ないでしょう。ゼロ―ドから得れた情報は生かしつつ、開発を続けてください」
当主様からの命令に、私はしっかりと頷き返した。
「かしこまりました。両家に使用することになると思うので、今後も多数の研究者や医者で、万全の態勢で挑む所存です」
「お願いします」
当主様はこれまでも様々な準備を私に命じてきました。けれどそれは全て、ノヴァさんのためでした。
きっと今回の薬に関しても、将来的に生まれる子供が苦しまないため、という事でしょう。
そしてその準備はこれまで十分に役立っています。ゼロードの監視では彼が『影』と関係を持ったことを事前に掴みましたし、ゼロードのデータを元に彼の覇気を無力化する魔法も役に立ったとか。
レイモンド王子との接近も、ノヴァさんが当主になったときに王族からの余計な接近を防いでいました。
本当にこの人は、一体どこまで読んでいるというのか。
「一つお聞きしたいのですが」
「はい、なんでしょうか?」
報告が終わったこともあり、私は当主様に質問します。
「一体どこまでが当主様の予想通りだったのですか? ノヴァさんがフォルス家の当主になるまで、その全てを予想していたのですか?」
ここまで当主様の希望通りになっている現実に、私は恐る恐る尋ねる。すると当主様は、クスクスと笑った。
「ターニャさんにも同じことを言われました。ソニアちゃんの一件から始まったこの話、まさか私が仕組んだのですか?と」
「…………」
その言葉に、私は緊張します。まさか当主様は小さなメイドを初めから巻き込むつもりで……?
そう一瞬思ったものの、当主様はため息をつきます。
「実の姉にまでそう思われているのは心外ですが、ソニアちゃんに関しては何もしていません。ノヴァさんが嫌いそうな手を、私が取るわけがないではないですか」
「……そ、そうですよね」
良かった。当主様は偉大なお方ですが、大事な妹でもあります。ノヴァさんの事を一番に思っているので大丈夫だと思っていましたが、本当にそうみたいで良かっ――
「だからそれ以外だけですよ。予想通りだったのは」
「…………」
絶句。そんな私を他所に、当主様は話し始める。
「ノヴァさんがフォルス家に、いえゼロードに対して疑惑を持てば、彼はそれを変えるために動くでしょう。フォルス家もアークゲート家と同じく力が全ての家系。ならば私が力を貸すことで、ノヴァさんが次期当主になれるのは確定。仮に力を認めないとしても、フォルス家の中で最も力がある私が強く発言すればいいだけの事。まあ、トラヴィスは心身ともに疲れ切っていたこともあり、意外とさっくり進みましたが。
そうなればゼロードが黙っている筈がありません。プライドが高く、これまでノヴァさんを下に見ていた彼が我慢できる筈がない。そしてその時に彼が行使するのは力以外ありません。
だってこれまでも、その力で通用してきたのですから」
長くこれまでの出来事を話してくれた当主様に、私は固唾を飲みました。
「……そして、全てが当主様の希望通りの結末になった、と」
「もちろん細かいところまでは想定していませんよ。ですが一石が投じられればどのように転がっていくか、それは想定していました。まあ、思った以上に順調に事が進んで、ゼロード周りの監視だけで手が打ててしまったのは拍子抜けでしたが」
ただ、と当主様は続けます。
「いくつか思った通りになっていないことがあります。いえ、正確には誰かの思惑にかき消された、と言った方が良いでしょうか」
「……? それはいったい」
当主様の言うことが分からなくて、私は首を傾げます。ここまで希望通りの結果になっているのに、当主様以外に他に誰か動いている人がいる?
そういった疑問を態度で示して見せると、当主様は小さく息を吐きました。
「今回の一件、私以上に全てを予想して、しかも絵を描いた人がいるんですよ。まあ、人と呼んでいいのかは分かりませんが」
そう言った当主様は不意に顔を背けて、そちらをじっと見る。
私もそちらに視線を向けますが、そこには誰もいません。気配だってない。けど当主様はじっとそちらを見ていて。
「もう出て来てはいかがですか? 盗み聞きは感心しませんよ」
その声に、返事はありませんでした。ですが足音を聞いて、私は初めてそこに誰かがいることに気付きました。
木陰から、人影がゆっくりとこちらへと出てきます。月の明かりが射しこむ空間に、招かれていない三人目が。
現れたのは、メイド服を来た小さなメイドでした。
「あ、あの奥様……私、奥様の事が心配で……どうしてこんな深夜にお一人で……」
知っています。この子が先ほど話題に上がったソニアちゃんです。
どうしてこの子がこんな深夜にたった一人で、しかも私に気づかれることなくこの場にいるのか不思議に思い警戒します。
「その表情で、その声で演技するのは辞めてください。その子はノヴァさんに好かれています。あなたが真似をしていい子じゃありません」
底冷えするほど冷たい声が響き渡ります。珍しく怒っていると、そう感じさせる声色。
私ですら震えるほどの威圧を前に、ソニアという子は一切動じません。驚いてはいますが、震えてはいない。
急に戸惑った表情は切り替わり、作られた笑顔へと変化します。
あまりの急な変わりように、背筋が冷たくなりました。
「賢しい小娘じゃな」
「初めまして、フォルス家の守り神さん。私はレティシア・フォルス・アークゲートです」
「おぉ、しかし礼儀正しい。……儂に名は無い。じゃが守り神と呼ばれているよ」
目の前で繰り広げられる会話を見ながら、聞きながら、私は戦慄します。
私の目の前にいるソニアちゃんという小さなメイド。それがただの小さなメイドではないと、そう気づいたからです。
今まで風なんて吹いていなかったのに、不意に強い風が私達の間を通り抜けました。




