第113話 トラヴィスは去っていく
次期当主となってから数十日後、俺は実家のフォルス家で父上からの引継ぎを受けていた。当主として覚えることは多いけど、その引継ぎ作業も一段落しようとしている。
業務を補佐してくれていたローエンさんは継続して俺を支えてくれるし、俺の屋敷からはジルさんも続けて手伝ってくれるそうだ。
さらに驚いたことに、シアがアークゲート家からラプラスさんを補佐に着けてくれるとの話も出ていた。突然の申し出に驚いたけど、当のラプラスさんは「ぜひ旦那様のお役に立たせてください」と少し嬉しそうだった。
『私の代になってからラプラスは半ば隠居しているようなものでしたが、彼女は元々誰かを補佐するのが好きなんです。ユティのようなタイプですね。新たなやりがいが出来て嬉しそうですよ』
とシアは言っていたので、その言葉に甘えることにした。
「……とりあえず、現段階で伝えるべきことは全て伝えた。あとは他の貴族達との交流や、実際にやっていく中で覚えたり、気になるところは変えればいい」
「父上、ありがとうございます」
引継ぎ業務そのものは上手い具合に運んだと思っている。俺も父上も思うところはあれど、現当主と次期当主という関係ならそこまで気にすることはないからだろう。
今日で引継ぎも終わったということで、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「その……リーゼロッテ母様は……」
「しばらくは部屋に閉じこもっている……私が悪い、と自分を責める一方でな……そうではないと、ずっと励まして夜は側にいるのだが、すぐに切り替えるのは難しいだろう」
目じりを下げて目線を伏せる父上。
ゼロードの一件以降、リーゼロッテの母様はふさぎ込んで部屋から出てこないらしい。父上が部屋に入ることは出来るけど、ゼロードの暴走のきっかけが自分にあると思い込んでいるらしい。
自分がゼロードを励ましたりしなければ、と言っているらしいけど、リーゼロッテの母様が悪いようには思えなかった。けど母様の気持ちはそんな論理的なことで片づけられることじゃない。
「ゼロードの最期の場には私だけで行くつもりだ。リーゼロッテにも最後まで見守ってもらうべきかと考えたが、あの様子では……な」
父上の気持ちも分からなくはない。俺にとってゼロードはもう兄ではないけど、彼にとってはまだ息子なんだ。でも同時に妻であるリーゼロッテ母様を想う気持ちもあって、考えて考えて、そして出した結論なんだろう。
それに対して、俺が何か言う資格があるわけはなかった。
寂しげな顔をしていた父上は気持ちを切り替えるように息を吐いて、俺をじっと見つめる。そこには父としての姿ではなく、当主としての姿もあった。
「最後に……お前にフォルス家当主として伝えておくことが一つある」
「? まだ何か?」
引継ぎ作業は一段落したと言っていたけど、それとは別件だろうか?
「これは作業ではなく、心に留めておくべきことだ。我が家に伝わる守り神について、お前に伝える。これから話すことは誰にも他言無用だ。無論お前の妻であるアークゲートの当主様にもな」
「…………」
シアに話すな、と言われたけど、正直それを護るつもりはあまりなかった。
俺はシアに対して隠し事をしたくないと、心から思っているから。でも守り神ってなんだ?
父上はそんな俺の内心は知らないので、続けて口を開いた。
「時折、フォルス家には守り神という存在が現れるという。どう現れるのかは伝わっていないが、当主にだけは分かるそうだ。また当然だがフォルスの血族の中に守り神は現れない。使用人の中に現れるというのが通説だな。
そして守り神が来てくださることで、フォルス家はさらに繁栄する。それが我が一族の当主のみに伝わる伝説だ」
正直、父上が何を言っているのかよく分からなかった。伝説だとか、守り神だとか、それでフォルス家が繁栄してきたとか、意味の分からないことだらけだ。
とはいえ頭ごなしに否定するにも父上の目は真剣だし、嘘を言っているようには思えない。
「……では、その守り神を護ればいいので?」
「いや、干渉してはいけない。特別扱いなどもってのほか。どんな姿をしていようとも、それとして扱うのだ。メイドならメイド、執事なら執事、といった形でな。
それが当主に課せられる、試練だ」
「はぁ……まさか、父上が使用人に対しての態度を厳しく言っていたのは、このためだったのですか?」
昔から不思議に思っていたことがある。父上は俺達に使用人に対しては厳しく当たるなと強く教えてきた。特にメイドに手を出すようなことは絶対に許さないと。
だからゼロードもターニャには目をつけていても手は出さなかった。出せば父上が怒ることがよく分かっていたからだ。
けれどそれが、守り神なんていう理由だなんて。
「……そうだ。そして忘れるな。守り神が護られなかったり、当主が過度に干渉したり、守り神の存在を次期当主以外の者に漏らした場合、守り神の加護は消える。それが我々に伝わる伝説だ……荒唐無稽だと思ったか?」
「……正直に申し上げると」
ただ父上の言葉を纏めて考えてみると、これまでのフォルス家の中に一人だけ当てはまりそうな人物がいる。
ソニアちゃんじゃないだろうか?
雇われるにしては幼いし、フォルス家の使用人の中で彼女だけが異質だった。
ソニアちゃんが守り神っていう事なのか?
それなら納得は出来なくても、分からなくはない……かもしれない。
「気持ちは分かる。だが私の父は実際に守り神に試されて、護りきったという。それゆえにフォルス家は少しだが栄えたと。とはいえ私の代では現れることもなく、北のアークゲートに差をつけられる一方だったがな」
「? ソニアちゃんがその守り神だったのでは?」
話を聞く限り、小さなメイドのソニアちゃんがその守り神とやらじゃないのかと思って尋ねたんだけど。
「……いや? 確かに悪い事をしたとは思っているが、彼女は違う」
「……はぁ」
父上の話を聞いているうちにソニアちゃんがそうだろうと思っていたのに、違うらしい。
「……まあ、我らに出来るのは子が出来たときに使用人を蔑ろにしないように教育することくらいだ。これは代々続いていることで、私も父から強く言われた……ゼロードに関しては、そうはならなかったがな……ノヴァも大丈夫だとは思うが、守ってくれ」
「……了解しました」
その癖には俺に対する当たりの強さに関しては無視が多かったよな、と父に対して内心で毒を吐く。使用人に対する心遣いの少しでも俺に対して向けてくれれば良かったのに、とは思うけど、まあ今更だ。
どうせフォルス家に繁栄を与える守り神とフォルス家の覇気を使えない出来損ないじゃ、使用人と実の息子でも思うところは違うんだろうし。
まあ、俺は絶対に父上のような父親にはなりたくないけど。
あと正直なことを言うと、守り神とやらに関してはあんまり信じてない。ソニアちゃんがそうっていうなら、分からなくはない……いや納得はしないけど、まだ分かった気がした。
けど彼女でもないし、ただそんな伝説があるっていう事だけ聞かされても、信じろって言う方が無理だ。
守り神について話しているときの父上、ちょっと目に光がなかったように思えるし、なかなか表に出さないだけで、ゼロードの一件で心に深い傷を負っているのかもしれない。
現に今も、ひどく疲れたような顔をしている。
「これで本当に終わりだな……」
「…………」
遠くを見て、父上はそう呟いた。心の中でなにか見ているものがあるのかもしれないし、そもそも視線の先には何もないかもしれない。それは父上にしか分からないことだ。
「……私は、リーゼロッテと共に隠居する。もう小さな屋敷も用意しているからな。
もし何かあったらいつでも連絡をしてくれ。いや、ローエンがいるから問題はないな」
「……はい」
そう言って父上は部屋の出口へと歩いていく。そしてそのまま扉へと手をかけて、けど手を下げて、振り返った。
「ノヴァ……お前に最後に、謝らなければならないことがある」
「……はい?」
「先ほどの言った守り神。それを守るために、私はお前に手を差し伸べなかった。ゼロードやメイドのお前に対する酷い仕打ちを知っていても黙認した。リーゼロッテに、ローエンに、助けるなと告げた。
いつか来るかもしれない守り神を守るために、お前が責められていることを良しとした。お前を避雷針とした」
「…………」
父上の言葉を頭の中でかみ砕いて理解していく。そうか、守り神の話を聞いたときは変な話だなんて思ったけど、それを信じている父上はそういった行動を取ったのかと理解して。
少しの怒りが、頭に登ってきた。
父上は深く、頭を下げる。
「何一つ出来なかった、いや何一つしなかった父を許してくれとは言わない。もちろん許せないだろう。だが、謝らせてくれ」
「……なにを……勝手なことを……」
胸が、締め付けられる。こんなのは父上の身勝手だ。
最後の最後に、自分が謝りたいから謝っているだけだ。
でも話さないことも出来たのにこうして話して謝ってくれたことを認める自分もいる。
父上の事は父親として最低だと思っていた。今新しいことが分かったことで、そこに怒りが沸く。思うところだってある。見てみぬふりをした父上を許すことは到底できない。できないけど。
『今の私は、これまでの人生の中で一番幸せです。だってこんなにも私の事を思ってくれるノヴァさんがいるんですから』
『なにが……あったとしても……今のノヴァさんには……ん……私がいます……よ……』
夜に語り合ったシアの言葉が頭に浮かぶ。
結局のところ、今の父上の言葉に強すぎるほどの怒りを感じているわけじゃなかった。
幸せな今から見た、所詮は過去の話だと、そう思ってしまっている自分がいるから。
だから俺はまっすぐ父上を見つめて、はっきりと口にする。
「許しません、絶対に」
許すつもりはない。だから、あなたは。
「トラヴィス・フォルス。あなたはただ、遠く離れた場所で俺達が作るフォルス家が栄えるのを黙って見ていればいい。それがあなたに対する、一番の罰だ」
そう冷たく告げれば、父上は力なく笑った。
「……そう、だな」
踵を返し、父上が扉を開く。
「フォルス家当主として、お疲れさまでした」
その背中に最後の一言をかけた。父として決して許せなくても、当主としても思うところがあるとしても、ただのフォルス家当主に対して俺の思う事を正直に投げかけた。
「…………」
一瞬動きを止めた父上は、けれど振り返ることも何も言うこともなく部屋を後にする。
閉じる執務室の扉と一緒に、トラヴィス・フォルスの時代は幕を下ろした。
この数日後、父上はリーゼロッテの母様と共にフォルスの屋敷を後にする。
それを最後に、彼がフォルスの屋敷に足を運ぶことは二度となかった。




