01
「わっ!?」
取引先の魔道具屋に入る前、突風が吹き、被っていたフードが脱げそうになった。
慌てて手で押さえ、しっかり被り直す。
そろりと周囲を窺って見るが、誰も気にした様子がない。
ルアルはほっとして、魔道具屋のドアを開く。
背負っていたリュックと手提げから魔法薬を取り出して、カウンターの上に一つずつ置いていく。
月に一度まとめて納品しているので、その量は意外と多い。
この町は田舎のため、魔道具屋が魔法薬も取り扱っている。
この魔道具屋のオーナーの娘であるアンヌが、カウンターの上に置かれた魔法薬を一つ一つ手早く確認する。
その間、魔法薬を持ち込んだルアルは、魔道具が置かれている店内をゆっくりと見てまわり、時間を潰す。
魔道具のことはルアルにはよく分からないが、先月来た時とそう変わらない品揃え。
特に真新しいものはなかった。
「ルアルちゃん、お待たせ!今月もいつも通り。ありがとうね」
「いえ」
「次もお願いね!(数はどうしようかしら。隣国で増えていた魔獣がこの国境沿いにも出るようになったと聞くし、宗主国から王立軍が来たって話だし。お父さんも言ってたけど、いつもの量だと足りなくなりそうなのよね。いつもよりもう少し傷薬や痛み止めがあると安心だけど……。でも、これ以上量を増やしてもらうのはきっと厳しいわよね。重いだろうし、無理をさせてしまいそうだし。他の魔法薬師さんに頼んだほうが……。んー、でも効き目はルアルちゃんが持ってきてくれるのが格別なのよね。……駄目元で、聞くだけ聞いてみよう)……うーんとね、来月の納品数について相談があるのだけれど、いいかしら」
ルアルはアンヌの心の声を聞きながら、(やっぱりアンヌさん、好きだな……)と思う。
アンヌが充分ルアルを気遣ってくれているのが伝わってくるからだ。
「来月は傷薬と痛み止めをもう少しだけ増やしてもらうことってできないかしら?……お母様と相談しないと決められないわよね?」
「あ……」
魔法薬を作っているのはルアル自身。
しかし、ルアルがこの店に初めて訪れたのはまだ十一歳くらいだった。
そのため、『母が作った魔法薬です』と言って、魔法薬を買い取って貰ったのだった。
それから何も聞かれないし、わざわざ訂正もしていないので、今でもそうだと思われていた。
「もちろん無理はしなくていいけど(できる範囲で増やしてもらえると嬉しいんだけど。ずっとこの量でやってるし、やっぱり無理かなぁ。無理よね。やっぱり大丈夫って――)」
「少しなら、大丈夫です」
「ほんと!?お母様に相談しなくて大丈夫?」
(言ったら怒られてしまうかな。でも、初めのころと違うし……)
良くしてくれているアンヌに、実は初めからずっと自分が作っていたとは言いづらい。
けれど、まだ母が作っていると思われているのも、嘘をつき続けているようで嫌だった。
「実は……私が作っているので」
「そうだったの!?いつから!?」
「えっと、結構前から…………すみません」
「そうなの!?(まぁ、作り手が変わっても格段に高品質だからいいけど……)」
「…………」
「それなら、少しでも増やしてくれると助かるわ!実はね、隣国で数年前から魔獣が増えていたんだけど、国境沿いにも出始めているらしいの。まだこちらには被害がないらしいけど」
「……怖いですね」
「ね。それで、ついに最近になって宗主国から駐留軍も派遣されて来たというの。もしも、こちら側で怪我人が出たら薬が足りなくなるかもって心配だったのよね。だから助かるわ!あ、もちろん無理しないで、ルアルちゃんができる範囲でいいわよ!」
「分かりました」
「ありがとう!気をつけて帰ってね(あー、言ってみてよかったわ。ルアルちゃん大人しくて嫌なことを嫌と言えなさそうだから迷っ――)」
パタンと魔道具屋のドアが閉まると、ルアルの頭に流れ込んでくるアンヌの声が途切れた。
(ふぅ……。アンヌさん私にも優しいし気を使ってくれて、いい人だな。ずっと嘘をついていたのは申し訳ないけど。でも、本当は私が作ってるって言えて、少しすっきりした。――さてと、今日は何を食べようかなぁ)
月に一度、魔法薬を扱う魔道具屋への納品のために町に出て、納品後に食堂でご飯を食べる。
去年から新しく取り入れた習慣。
ルアルにとって、唯一の楽しみ。
取引先である魔道具屋を出ると、真っ直ぐに食堂がある方向へと足を進める。
その時また強く風が吹いた。再び脱げそうになるフードを慌てて手で押さえる。
しっかり被り直してから、手提げ越しに今手にしたばかりの売上金の小袋を触って確かめた。
ジャラリという感触に、今月も自分の作った薬を買ってもらえた嬉しさと、無事にお金を手にできた安堵でニマニマする。
ここは、とある大きな国の従属国になっている小さな国の端にある国境沿いの小さな町。
国境沿いにあるから旅人も多く、旅人向けのお店や宿屋も多い。
小さい割には活気のある町。
地元の人もそれなりにいるけど、町の中には旅装の人々が目立つのが、この町の特徴だった。
(あーなんか。おもしれぇことないかな)
(えっと、ここから次の町に行くには……?)
(やべぇ、そろそろ旅の資金が底を突く。ギルドに寄ってみるか)
(あぁ、あの子か。……ん?)
(んー?迷ったか?……いや、こっちの道か)
ルアルは、人の心の声が聞こえる。
すぐそばに人がいて、その人が心の中で喋っていると、それが頭の中に話し声のように流れ込んでくる。
今はもう普通に話している声か心の声か聞き分けられるが、幼いころは聞こえてくる音がどちらなのか分からなくなることもあった。
そして、強制的に頭の中に声が流れ込んでくるので、結構うるさい。
何かに集中していれば、さほど気にならないが、慣れた道を歩いているだけの今はよく聞こえてしまう。
だから人の多い町中には住まず、誰もいない森の中の小屋に住んでいる。
月に一度、魔法薬や魔法陣を納品するために町に出る。
その後、食堂でランチを食べてから、買い物するのが決まり。
今日は毎回買う小麦粉や干し肉、卵とバター、それに枕カバーを新しくするための布などを買って帰った――――
〈ルアル!おかえり!〉
十年前からルアルの住処になった森の中の小さな小屋。
その小屋が近くなった時、音もなく静かに滑降してきた鷹が近くの木に留まり、ルアルに話しかける。
人の心の声が聞こえるルアルも、通常、動物の声までは聞こえない。
だけど、彼の声は出会った時から何故か聞こえていて、話ができる。
もう十年以上の付き合いで、ルアルにとっては友達であり家族であり、特別な存在。
「ピッピ、ただいま。はい、いつものお土産」
〈やった!〉
「私が買うかどうか監視していたくせに」
食堂の近くにあるクッキー屋さんで買ったクッキーを袋から一枚取り出す。
それを空中に放り投げると、ピッピは木からサッと飛び立ち、足でキャッチ。
近くの岩の上に移動すると、啄み始めた。
〈相変わらず美味いぞ!〉
「そう。良かった」
今なら、「鷹ってクッキーなんて食べるのかな?体に悪そうだからあげちゃ駄目かも」と思えるが、ルアルがピッピと出会ったのはそんなことも知らない子供のころ。
ヒナという程小さくはなかったものの、今よりも小さかったピッピを庭の奥にある森の中で見つけた。
その時、ルアルに向かって〈腹減った!〉と必死にアピールしてきた。
持っていたクッキーを差し出してみたらハグハグと食べて以来、ピッピはクッキーが大大大好物になった。
(あ、そうだ……)
しばらくピッピのもぐもぐタイムを見ていたけど、やることがあるのだと思い出す。
アンヌに薬の増量を頼まれたから、少し頑張らないといけない。
頼られたことが嬉しいルアルは、気合いが入っていた。
(よし。薬作りを始めよう!材料は足りたかなぁ)
〈ん?もう始めるのか?今日渡しに行ったばかりじゃないか〉
ちなみに、ピッピにもルアルの心の声が聞こえる。
心の中で独り言のつもりで言っても、反応されることがよくあるため、互いに隠し事はできない。
「国境沿いで魔獣が多く出るようになったらしいの。宗主国から駐留軍が来るほどなんだって。それで、薬が必要になるかもって。次はいつもより多く納品してほしいって頼まれたんだぁ」
ルアルの言葉尻に少し浮かれた様子を感じ取ったが、ピッピは特にそこには触れない。
〈ふぅん。確かに良くない空気は感じるな。だけど、こちら側は大丈夫だろ。そんなことより、今日のクッキーはいつものより小さくないか?〉
(あ、バレた)
実は、今まで買っていたクッキーよりも一回り小さくて、少しだけ安いクッキーを買ってみたのだ。
薬作りに使う道具の中に新しくする必要があったのだが、思っていたより少しだけ高かった。
それで、ピッピのクッキー代を削らせてもらった。
(何も言わずにあげたらバレないかと思ったのに。違いに気づくなんて結構目ざとい)
〈おかわりをくれ!〉
「駄目だよ」
〈なんだよ。ルアルのケチ。一枚の大きさが小さいんだから、もう一枚くらいいいだろ!〉
「おかわりしたら次に買いに行く前になくなっちゃうよ。それに、一日一枚までって約束!昔、欲しがるだけあげていたら太っちゃったこと忘れたの?」
〈ムッ。ピィーーーッ!!〉
子供のころ、クッキーを欲しがるピッピが可愛くて、強請られたら強請られただけクッキーをあげていたルアル。
しかし、ピッピの体は次第に丸々してきた。
その結果、飛ぶ時に体が重すぎて長く飛べなくなってしまったことがあったのだ。
ピッピも流石に困るらしく、それから一日一枚までという約束をしている。
そのことを指摘すると、欲望のままに食べると太る自覚があるのか、拗ねてバサバサと飛んでいってしまった。
(ふふっ……拗ねて怒った声も可愛いんだから)
〈ルアル!全部聞こえてるぞ!〉
(あ……ごめんごめん)