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独白

作者: 狡噛 烏兎


雨が上がっていい天気になりました。

だから、死のうと思いました。


生きていくのにはどう足掻いてもこんな苦しみを伴うなら、生きようとする心臓を生きる事で苦しめるしかないのなら、死ぬしかないと思いました。

それでも死ねないのならば、文字を書くしかないと思いました。ただし最初に公言しておくに、文才というものなど御座いませんのでただ駄文が続くだけ、内容もこれもまた目も当てられない見苦しいものでございますから、誰が読んで楽しい訳でもないのです。


随分と歩いた気がするのに目の前にはいつだってどこか見た事のある景色。されどもすれ違っていくひと、ひと。誰か私を救ってはくれないだろうか。勿論救いとは、死であります。

神様がもし、いらっしゃるのならあなたは残酷だ。なぜ生など与えるのです。

ああ、いいえ、私に生を与えたのは神様などではございません。

八つ当たりをしてごめんなさい。

この身を宿した父よ母よまたは父と母の一時の情熱と愛よそれが今こんなにも私を苦しめているのです殴り蹴り、そうしてどうしてあの時ころしてしまってくれなかったのですか。憎しみをぶつける先を見つけたのなら最後まで手を加えてください。目を背け、いなかったこととして、産まれなかった事として、捨ててゆくのなら、本当に消していってくれたら良かったのに。なんの罪も背負わず生きるあなた達は今日も笑っていますか。この命のことは忘れて。


いいえ、いいのです。私は怒ってなどいません。この命に価値は無い一時の感情で出来た命は一時の感情で死して然るべきであるとは思いませんか。貴方たちが盛り上がり作った命が、その時と感情が愛でなく幻でならばなぜ生まれる命も幻であってはくれないのでしょう。

もしくはこの命を終わらせる方法を教えてください。こんな幻で出来た一時の命に優しくしてくれた方々に、迷惑をかけずに自然に死ねる方法を教えてください。生きたくて仕方ない方がいらっしゃるのならその病原菌、死因の全てを私にください。どうぞ私の心臓も、臓器も、欲しい物は全て差し上げます。


線路に飛び込むと多額の賠償金を支払わなければならないと言います。私にそんな財産はございません。私を産んだふたつの存在がそれを払ってくれるのでしょうかそれを罪として。そんな事は望めないことくらい理解できます。


飛び降りた先に誰かがいたとしてもし私だけ生き残り彼、もしくは彼女が死んでしまった時、私は今より重い罪を背負うことになります。生きることより重い罪など到底背負えません。特に私の身内にそんな罪を背負わせられません。生きたいと願っている命は生きていくべきであるのです。


事故でも車などに轢かれてみなさい。こんな生き損ないの命のために罪悪感を背負わなければならない人の感情を思うと、罪を背負うのは生きることより辛いでしょう。私の祖父母─父母に捨てられた私を育て人間にしてくれた祖父母、兄弟にそんな感情を背負わせたくないのは本音です。


首吊りをしたその後の片付けをしようなんてものは、またはその場面を見てしまうものの不快感は底知れないでしょう。


練炭か溺死か。もしくは誰にも気づかれない場所で首を吊ろうとそうして皆私と同じように樹海というものにたどり着き調べるのでしょう。


人の命を取る行為は罪に問われ、自らの命を終わらせる行為に罪は無いのに、どうしてこうも上手くいかないものか。

誰にも迷惑をかけずに、この世の中から消えてしまいたい。ある日突然、誰の脳内からも消えて、肉体の全ても消えてしまいたい。それが本当の死である。


そう考えていると私はまた死ねなくて踵を返した。こうして書き記される携帯の充電だって、まだ半分も減ってはいない。


この意気地無し!!!!!!


意気地がないのです、結局のところ。自らの命を終わらせることは自らの命だけに留まらないことを知ってしまっているから。身内に降りかかる火の粉を気にせずにこの身を終わらせられるほどの度胸がないのです。


ああ、死んでしまいたい。

この身に価値などないのに、この身に掛かる手があたたかくて煩わしい。どうか死なせて欲しい。

いつかプツリと切れて、まるでマリオネットの糸を切るみたいに事切れてしまえる日を願って今日も私は無駄に息をしている。もし心臓が電気を持って動くなら今にでもその電線を切ってしまうであろう。


死にたいと願いながら腹が減る。死にたいと願いながら労働に足を向ける。死にたいと願いながらも、死にたいと思ってしまうこの環境から逃げる勇気もない。

何がこんなにも私に死を覗かせるのか。はたまた、私が死を覗くのか。

理由など大きくはありません。ただ、己の命もその未来にも希望を見い出せないのです。先が暗く、見えない道を歩けないだけなのです。


滑稽、滑稽、滑稽!全てが滑稽で笑えてくる。


足首に絡みついて離れない鎖を切るだけの大きなハサミを、持っていないふりをしている。誰かに愛されたいと願いながら、誰にも愛される価値がないと知っているから、愛される罪悪感で逃げてしまう。かといって一人でいれば自分のために生きなければいけない気がして苦しい。

くるしい。

誰に認めてもらいたい、褒めてもらいたいと願いながら誰かに手放しに褒められることが心底苦手だ。そんな人間でないことは自分が一番分かっているからだ。どうか私を褒めて、どうか私を褒めないで。

矛盾と混沌。いつも心の内にある表裏一体。どれも私で、どれも私では無いような。ああこの複雑な世界で、やはり私は生きてはいけない。出来るだけ、出来るだけ早く、この命を刈り取って欲しい。出来れば自然に、病死がいい。それも医療費や手間などを掛けるのは申し訳ないから医師が手を下すまでもなく、あっさりと。あっさりと逝きたいものだ。


ああほら、私は臆病だ。


希死念慮。

同じように死にたいと思う人でもまた、その胸の内が同じとは限らない。共感出来ること出来ないこと。きっと死にたいと思ったことがない人にはもっと分からない事もあるだろう。分からなくていい。わかる必要も無い。と言うと冷たく感じるだろうか。分からなければいけないことはない。

私を担当したメンタルクリニックの先生が、どうやって死ぬのが一番いいか、と話したので私は意気揚々と、それはもう小学生が満点のテストを見せるみたいに、それは溺死であると答えた。

しかし、先生の答えは「それは苦しいですよ。」と。私はその時自分と先生の間に一人では渡れない溝を感じた。

理解してもらうことは難しい。自分でさえ理解できない部分が多くある心の内を、どうして他人が理解出来ようか。

私はこうしていつも踵を返す。

独白はいつか遺書へ変わるかもしれないが、今のところそんな度胸─敢えて度胸と呼ばせて欲しい─もなく、踵を返すだけだ。


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