⑧マキナの過去
おいおい、随分と物騒な動機だなと大伝青年は耳を疑い、思わず隣のマキナの表情を見た。
「……私が人柱になればきっと……何もかも、まっさらになるんだ、って思ったの」
そう呟くマキナの表情は、生き生きとした十代の少女のそれではなく、落胆と絶望の連打で打ち拉がれて虚ろな仮面のようだった。
異なるこの世界でマキナと名を授けられた少女の故郷は戦乱の坩堝と化し、人は生まれても成長する余裕はなかった。生まれた赤子の多くは立つよりも早く命を落とし、幼子となって歩き出せるまで育つ者は更に乏しく、走って逃げる術を得られなかった者は等しく死に絶えた。
その戦乱の元凶は人と人の争いが始まりだったが、力に劣る勢力が勝つ為に選んだ手段は、魔族と呼ばれる陰に潜む存在と手を結び、遥か昔に封印された退けられし太古の神、【邪神】の封印を解いて現出させる事だった。
魔族にとって、人間同士の争いなど自滅を早める愚行でしかなかったが、自分達の領地に逃げ込んで来たマキナの一族は、様々な交易と労働力として重宝されたのだが、最も有益とみなされたのは……【血】だった。
いや、別に魔族が人々の血を吸った訳では無く、多様な儀式や呪術に不可欠の【生け贄】に変わる代償として、彼等が奉じていた退けられし神々への捧げ物に、マキナの一族の【血】を用いたのである。
彼女を始め、一族の女性に色濃く受け継がれてきた魔力を含む【血】は、現世との交わりを失い劣化の一途だった【邪神】を繋ぎ留め、現世への復活を望む魔族達に必要不可欠な物となった。
……しかし、【血】が与える魔力は、僅かな時間しか【邪神】(くどいようだがその眷属)を現世に繋ぎ留める事が出来ず、遂に彼等の目的を阻止せんと集められた人々、【勇者の一団】が一族の中で最も高い魔力を保有する娘を止める為に現れた時、
(……もう、私しか居ない……)
彼女は、一族最後の生存者だった。
育つより早く子が死ぬのは、他の子供を一人でも多く生かす為に、捧げられたから。
何の事は無い。彼女が名付けられたマキナと言う呼び名は【魔力を有し者】と言う意味でしかなく、その一族は自分達の子供を供物として切り売りした結果、滅んでしまっただけなのだ。
しかし、彼女は違った。最後の一人になり、もう自分しか【邪神】との繋がりを保てない存在だと気付いた時、自らの全てを捧げて復活させようとした。
……だが、悲しい事に【邪神】は余りにも弱体化していた。全く異なる世界へと封印され、そこで残された様々な能力を消さぬよう娘達へと授けてしまった為、最早復活の余力は残っていなかった。
しかし、そんな事は知らなかった【マキナの一族】の娘は、復活を信じて異界との門を開き、【邪神】を召喚しようと残る魔力を全て解き放った。その結果……僅かに開いた門の向こう側から伸びた【邪神】の手に掴まれた彼女は、一瞬で異なる世界へと運び去られ、二つの世界を繋げていた門も閉ざされたのである。
「……だから、私がおにいさんの部屋に来た理由も良く判んないんだ……」
そう述べるマキナの小さな肩を眺めながら、大伝青年は全てを悟ったのだ。
(……えっ? つまり……うちのアパートの大家が元邪神だったから引き寄せられて、たまたま隣の部屋の押し入れまで飛ばされてきただけって訳!?)
結局、たまたま大家の細野さんが【邪神】だったから大伝青年は巻き込まれ、マキナも押し入れから引き摺り出されて大股開きでひっくり返ったのだ。
「……まあ、それじゃ仕方ないよ。はあ……何だか疲れたな」
酷く重い話にも関わらず、その元凶は特定の誰かでは無かった。マキナも自分も単純に巻き込まれただけだし、大家は大家で今は普通の管理人。【邪神】だの異世界だのと聞けばややこしく感じるが、結局は門を閉じてマキナを連れて来たのも、ある意味では当然の結果だ。
そう割り切ってしまえばどうと言うことは無い。彼は前向きに考える事にした。流石は激務で鍛え上げられた一流の社畜である。しかし当の本人にそんな自覚は全く無いのだが。
「……よし、今夜はメンチカツとコロッケにするか? それで大家さんも呼んでお前の歓迎会をやろう!」
大伝青年はそう言って立ち上がり、向かいに店を構える精肉店へとマキナを連れて歩き出した。その店先でまだ字の読めないマキナは、口伝えで聞いた商品名から何か読み取ろうとして、
「……ころっけ? めんちかつ??」
「ああ、うん……ま、食えば判るよ」
そんなやり取りをしながら辺りに香ばしい匂いを漂わせる店先に二人で並ぶ。
「はい! お次の方お待たせ! 何にすんだい?」
「えーっと……それじゃこれとこれ……それにこれを十個づつお願いします!」
やがて自分達の番になり、白衣姿の中年女性店員と気さくに話す大伝青年。そんな彼の背中をマキナが眺める内に、手渡された紙袋に詰められた山のような揚げ物と共に、家路へと着いた。
「カンパ~イ!!」「かんぱい……?」
大伝青年とマキナ、そして大家の細野さんと長女の冬美さんの四人が集まり、マキナの歓迎会が始まった。
帰り際に隣の大家さんの部屋に向かい、マキナの歓迎会をしないかと誘ってみると、シャワー浴びたら二人で直ぐ行くからと即答された。
「そうそう! どーせ向こうに行っても直ぐにジリ貧になるだけだし~、この娘だけ残しても不幸になるだけ!!」
歳に似合わずキャハハと軽いノリで笑いながら、缶チューハイをパカパカと空にして、大家さんはその時の事を教えてくれた。でも、真相が果たして彼女の言う通りなのか、大伝青年には確かめようもない。
けれど明るく快活に話す細野さんの言葉に彼は、
(……まあ、いーか)
と特に気にする事は無かった。