⑥大家さんの秘密
気を失った大伝青年は、再び明晰夢の中で意識を取り戻した。そしてやはりと言うべきか、室内には大家の細野さんと例の娘が居たのである。
《驚いたかしら? まあ、こーいう形であなたとお話するのは初めてよね》
テーブルの椅子に座り、起き上がったばかりの彼に向かって細野さんが語り掛ける。そして彼女の隣に座る少女も、真面目な顔で目を覚ました青年に向かって、
《大丈夫~? 私は慣れてるけど、お兄さんは痛い所とかなーい?》
と、彼の身体を心配する素振りを見せる。それにしても、言葉が通じない筈なのに、夢の中では話が出来るのが不思議である。
「あの……まず、彼女は一体何処の誰なんですか?」
しかし、それよりも今一番知りたいのは、彼の部屋に現れた少女の正体である。勿論、それを知っている大家の事も、だが。
《……そうね、大伝くんは並行世界、と言うのを信じてる?》
「……よく【違う世界が沢山ある】っていう奴ですよね。まあ、信じてるって聞かれたら……正直言って判らないです」
そりゃそうよね、と言いながら細野さんは指先でテーブルに置かれたコーヒーカップを掴み、
《……私とこの子は、同じ世界からやって来たのよ。但し、私は追放されてココに来たんだけど》
カップの中身を回して一口飲んでから、再び語り出す。
《向こうの世界で、私は【邪神】って呼ばれる存在だったの。でも、別に何か悪い事をしてた訳じゃなくて、ただ向こうの主神と折り合いが付けられなかったから、排斥されただけなんだけど》
「えっ!? 邪神って……でも、どうして神様から人間になろうと思ったんですか?」
《うーん、そうね……私が最初に追放されてココに来た時、元の世界に戻って復権を目指すか、それとも新しい世界に馴染んで暮らすか……悩んだわ》
《……でも、私は直ぐに復権は諦めたの。だって、コッチの世界の方が居心地良かったし、三人の娘に自分の力を受け継がせたから、その成長する姿を見たかったのよね》
そう説明してから、傍らで大人しく話を聞いている娘の頭を優しく撫で、続いて大伝青年に彼女の事を話し始めた。
《……で、この子はね……向こうの世界で、私を復活させようとしてた神官の娘よ。勿論、血の繋がりとかはないんだけど》
そう言ってから娘の額に軽く掌を当て、ボオッと青白く光らせながら目を瞑る。やがてその手を額から離すと、青白い光は消え失せていた。
《これでこの子も、こちら側の言葉を話せるわ。後は君が色々と教えてくれれば助かるんだけど……》
チラッ、と上目使いで彼の顔を見てから、少しだけ考える素振りをし、やがて思いが纏まったのか姿勢を正すと、
《そんな訳で、今日から大伝くんが面倒を見てくれないかな。代わりと言っては何だけど……家賃、割安にしてあげるわよ?》
ギュッ、と胸元を両肘で挟むようにしながら前のめりになり、テーブル越しに細野さんが彼に懇願する。そんな風にお願いされれば、黙って頷く選択肢しか無いに決まっているのだ。
「……ん、あれ? いつの間に寝てたんだ……」
テーブルの脇に倒れていた大伝青年は目を覚ますと、時計の針は十時を過ぎていた。何があったかと思いながら起き上がってテーブルの上を見ると、朝食はあらかた失くなっていた。
「……いつの間に食ったんだろ、いや……そう言えば……」
その割りに食べた記憶が無いのも変だが、と思いつつ片付けようと散らばる皿を集めていると、真ん中に置かれたコーヒーカップの下に二つ折りにされたメモが残されていた。
「何だこれ。えーっと? ……あっ!」
そのメモには達筆な文字で、こう記されていた。
『 忘れないようにメモしておくね。この娘はもう会話に苦労する事はないわ。それと君、今日は休みじゃない? だったら市役所に行って彼女の住民票作りを手伝ってきて♪
大家の細野より♡ 』
そしてメモの中には小さく折り畳まれた紙片が挟んであり、それは住民登録に必要な個人証明書と印鑑証明の委任状だった。
「……これ、本物かなぁ? コピーだと表面に偽造防止の文字が浮かび上がるから……本物なのか……」
彼の手に収まっている紙片は折り目も少なく、明らかに彼女が現れてから取り寄せたようにしか見えない。しかし、その文面に記された生年月日や移入日はかなり前に設定されていて、ついでに娘の本名欄にはご丁寧に『細野 マキナ』と大家の親戚みたいに書いてあったのだ。
と、その紙面に目を奪われていたせいで、問題の本人が直ぐ傍に居た事を思い出して、
「おい、何だか判らないけど……君の名前がここに書いてあるよ。読めるか?」
申請書を差し出して見せてみる。その紙をチラッと見てから、娘は胸を張り堂々とした姿勢で、
「……勿論! 全く読めないよ!!」
と力強く言い放ち、大伝青年はそれを聞いて思い切り落胆しながら、ともかくこれから市役所に行こうと彼女を促した。
しかし、言われた方は彼が玄関で靴を履いても動こうとせず、その様子に何かあったのか娘に声をかけようとすると、
「……言い遅れたけれど、私はマキナ! これからご面倒をかけまーす!」
なんて、ちょっとこそばゆくなるような挨拶をしてくるので、彼も少しだけ恥ずかしくなったのだが……
「それはそうと私……靴がないよ?」
靴入れを指差して男物の履き物しかない事を示し、何とも残念そうな表情になった。