④朝になったら、追い出す…!
彼は夢を見ていた。
その夢では、自分の部屋の中で普通に横たわり寝ていた。そして目を覚ますと天井を見上げながら、ついさっきまで起きていた事を思い出していた。
……なんだこれ。明晰夢とか良く言うが、こんな感じなのか?
モヤモヤとした気持ちのまま、夢の中で彼はそう思いながら僅かに身をねじって寝返りした。
……目の前にあの娘の寝顔があった。
ビクッ、と思わず仰け反りそうになりつつ、寝る直前までさんざん眺めながら交番に連れて行くべきか悩んだ相手が、直ぐ真横で寝ている事に驚いていた。いや、何か……この夢、おかしいぞ?
先ず、身の回り全てが正確に認識出来て、ついでに娘の服装や寝ている布団まで記憶通りである。通常の夢ならば細部は省略されて記憶には残らない。或いは認識しようと思う事すら無いものだ。
そして、チラリと壁に掛かった時計の時刻を確認すると……どうやら今は深夜二時半。つまり、寝て直ぐに夢を見ているなら当然の時間なのだが、もし夢から覚めて起きているなら、実感が必ず伴う筈。にも関わらず、目覚めた記憶は無い。
そんな風に判然としないまま思慮を巡らせていると、視線を感じ真横を向いた瞬間、寝ていた娘が彼をジッと見詰めていた。
視線が重なり合い、その大きく美しい瞳から目が逸らせず見居っていると、
《……ああ、やっと繋がったよ!》
と、口を開けぬまま正確に伝わる言葉で喋ったのだ。しかし彼は夢の中の事だから、と全く疑い無くその事実を受け入れていた。
《……そーそー、気持ちを楽にして!》
再び彼女が言葉を伝えた時、それはどうやら思考を何らかの手段で彼に伝播させていたようで、一度目を閉じて集中する素振りを見せてから、再び思考を伝えてきたのだ。
《……あんまり、長く続けられないから……》
《……ただ、これだけは伝えたくて!》
《……ありがとー!!》
そう、思念の糸を彼に送った後、彼女は目を閉ざして眠りにつき、夢は突然終わりを告げた。
再び彼が目を覚ました時、最初に視界に入ったのは見慣れた天井の模様だった。
(……夢か? 何だか変だったな……)
長く続いた連勤で疲れ切って帰宅し、そのまま寝てしまったのだろう。畳の上で布団から飛び出した状態で目を覚ましたのだ。
まあ、それはいいとして……何だろう、この匂いは。
寝起きのまま横たわりながら、彼が一番最初に感じた違和感は、寝室に漂うボディーソープの匂いだった。いや、記憶に残るいつもと同じ香りと何一つ違わないそれ自体に問題は無い。問題は、その匂いが部屋の中一杯に充満していた事だ。例えばそう……自分以外の誰かがシャワーを浴びながらそれを使い、その相手が直ぐ横で寝ているような……
「……んふ、ふぅ……♪」
ガバッ!! と突然身体を起こして寝息の主を確認すると、やはり自分の布団に横たわりながら、掛け布団を跳ね除け足をおっ広げた状態で眠る、昨夜の侵入娘がそこに居たのである。ヘソ丸出しで。
チュン、チュンチュンと雀が三羽鳴きながら電線の上で忙しなく動き、パートナーを巡って激しいバトルを繰り広げている。そんな様子を耳で確かめつつ、彼は居間から未だ目覚めぬヘソ出し娘を眺めていた。
薄い褐色の肌は艶やかな象牙のようだが、良く見れば手足の各所に大小の傷がある。もしかしたら、余り恵まれていない環境で生活してきたのかもしれない。
髪の毛は昨夜の入浴で綺麗に洗われて異臭は無いが、あの押し入れから放り投げた時は脂と汚れで固まり、見るも無残な様相だった。あれは本当に酷かったが……風呂が家になかったのだろうか。
風呂と言えば、洗濯した彼女の衣服はまだ干していなかった。そう思い出して立ち上がり、脱衣所に入ると洗濯機の中に手を入れて洗濯済みの服を取り出す。
……うーん、昨夜は只のコスプレ衣装だと思ったが、そんな生易しい代物じゃないぞ。
そう思う彼の手中に収まった衣服は、そのゴワゴワした手触りから、やはり綿か麻の植物生地なのだろう。しかもわざわざ同じ素材の糸を使って縫い合わせてあり、当然の如く製品表示タグの類いは全く見当たらない。つまり、手の込んだ手縫いの衣服ながら、その素材は滅多に見ない程に貧粗なモノなのだ。コスプレにしては随分と拘りが過ぎやしないか。
……いや、考えても仕方ない。だって、今日中に出て行って貰うからだ。
自分に向かい、そう言い聞かせるように思い直しながら、彼は手に持った貫頭衣を干す為にハンガーに掛けて軒先に吊るした。だがしかし、流石に気まずさを感じて室内に干した。
そう言えば装身具がまだ有ったな、と思い出して脱衣カゴの中を見てみると、やはり底に飴色の牙や琥珀色の樹脂を繋げた民芸品じみた首飾りや何やらが置いてあった。
これ、洗えるのかと思いながら手に取ると、ツンと鼻を突く酢っぱい刺激臭が鼻腔を襲い、昨夜の悪夢が脳裏に甦る。とっさに洗面台に移して手近にあった制汗スプレーをブシューッと発射し、やれやれと思いながら何気無く洗濯機の中を確認すると、面積の狭い小さな布が残されていた。まさかと思いながら手に取ると、妙に歪な五角形の布を張り合わせた、貫頭衣と同じ粗末な生地で出来た下着だった。
うーん、色気も何もないな……と両手の指先で摘まみながら眺めていると、背後から視線を感じて振り向いた。
……その肌着の持ち主と、視線が合った。
一瞬の沈黙を経て距離を詰めた彼女が豹の如く近付き、勢いをつけて振り抜いた右手で宙に漂っていた肌着を掴むと、キッと彼を睨みつけてからズカズカと布団まで戻り、肌着を抱き締めながら再び横になってしまった。