②シャワーと食事
チーン、と四度目のベルがレンジから鳴り、ホカホカと湯気の上がる唐揚げが解凍されたその時、風呂場から奇声とも矯声ともつかぬ奇妙な声が響き、青年は迷った末に脱衣所へと向かった。
……約三十分前の出来事である。
「だーかーらー! 食いたかったら風呂だ、風呂に入れ!! シャワーでいいから身体を洗えってんだよ!!」
直ぐに食事をしたかった彼だが、とにかく臭いの元を何とかしたかった。だから娘を半ば強引に脱衣所へと連れていった青年は、身振り手振りでアピールしながらシャワーを出してみせ、続けてボディーソープをスポンジで泡立てて実演し、頭も身体も洗うように懇願したのである。
最初はなにやら抵抗する意思を見せていた彼女だが、食事にありつく為には代償として風呂に入らなければならないと理解したらしく、不承不承ながら装身具を外して脱衣カゴに納めると、やがて青年が居る事も気にせず衣服を脱ぎ始めたので、彼は慌てて退散したのだ。
それから少しの間は静かな夜に相応しいシャワーの音、そして暖かい湯が導き出す穏やかな時間が過ぎ、その間に彼は食事の準備を始めた。
だが、そこで唐突に閃いたのが、娘の着ていた服を洗濯するべきじゃなかろうか、という事だ。ならば洗っている間は何を着せるべきか? 絶賛独身時代を謳歌中の彼は女性向けの服は持っていない。下着も同様である。
まあ、何とかしようとタンスの中をかき回してシャツやスウェットを引っ張り出し、出来るだけ密着系のボクサーパンツなら穿けるかと考えたその時、風呂場から奇声が聞こえたのだ。
甲高い金切り声が響く風呂場と脱衣所を隔てるドアは、やはりと言うべき擦りガラスである。駆け付けた青年が様子を窺うと、向こう側の風呂場でしゃがみ込んだ娘が悲鳴をあげている。どうやらボディーソープが目に入って踠き苦しんでいるようだ。
はあ、何だよ……と思いながら仕方なく青年がドアを開けると、カギの掛からないそれはあっさりと動いて湯気がもうもうと脱衣所に押し寄せ、視界はあっという間に妨げられる。
ピーピーと喚く娘の背中越しに手を伸ばし、シャワーヘッドを掴むと湯を出して暫く湯温が上がるまで待ち、何も言わないと驚くだろうと思いながら、
「……いーか、今からここ、お湯掛けるからな?」
そう断りながら泡だらけの頭をポンポンと触り、撫で付けるように手を動かしながら湯を掛けてやる。
前屈みになったまま俯いた娘の髪を流してやると、ゴワゴワしていた髪も次第に指先で解れ始め、泡が流れていくに従い騒いでいた娘もやっと静かになった。
ホッとしながらシャワーを当てて背中や腰の泡も流していくと、娘は何か呟きながらホゥと息を吐き、そして彼に顔を向けるとここだと言わんばかりに額をぺちぺち叩きながら、湯を当てろとせがむ仕草をする。
……未熟な鎖骨と、痩せた肩。そしてやや膨らみかけた胸部と肋骨が丸見えになり、青年は黙って視線をタイル壁へと振り向けながら、顔に残る泡まで全て流してから、バスタオルを彼女の頭に被せ、そのまま黙って風呂場を立ち去った。
(……くそ、何だよあいつ……ガキのくせに)
青年は脱衣所のカゴに分かり易く替えの服を入れてから、異臭を放つ脱ぎ捨てられたままの衣服を摘まんで洗濯機に放り込み、多めの消臭漂白剤と共に洗剤を投じ、スイッチを入れてから脱衣所を出る。
何故、さっきは年端もいかぬ少女に苛立ちを覚えたのか判らぬまま、テーブルに並べた食事から昇る湯気をぼんやりと眺めていると、脱衣所から再び娘の発する声が聞こえてくる。
Tシャツにスウェット、それとボクサーパンツの組み合わせである。まさか上下逆に身に付けて頭からパンツを被るんじゃないかと心配したが、ガラッと扉を開けてやって来た娘の服装は、たった二回の五十パーセントの博打が無事に成功した様子でホッとする。だが、パンツはどうかと一瞬だけ考えてはみたものの、確認するのは止めにした。
「あー、うん……約束通り、飯にしよう。ほら、座れって」
彼が呟くと、娘は頭に載せていたバスタオルでガシガシと髪に残った水気を取り除いてから肩に掛け、そのままトコトコと歩くと向かいの椅子に座り、テーブルに置かれたフォークに暫し視線を向けてから、無言で掴んで祈り始めた。
「……、……、、…………、……。」
何やら異国の祈祷だかお呪いだか判らないが、暫くモゴモゴと口の中で念じていた少女は、トンと左手をテーブルに載せてから右手に持ったフォークを唐揚げに向け、ブスッと突き刺した。
はしゅっ、とそれに噛み付いた娘がもにゅもにゅと口元を動かしてゆっくり咀嚼し、慎重に口の中の唐揚げを吟味しながら目を瞑る様子を眺めていた青年は、今さらディーガン(完全菜食主義者)だったらどうしようと一瞬考えたが、
カッ、と刮目して鼻からハフンと息を吐き、続け様に二口目を被り付きながらハムハムと食べる彼女の表情を見守ると、
「……ま、腹空かせてりゃ何でも旨いか」
そう言ってから、自分も遅めの夜食を始めた。でも、一人で味気無い食事をするよりも、無言ながら時折とろんと目尻を垂らしつつ、幸せそのものの微笑む娘の顔を見ながら食べる冷凍食品は、独り身の今まで食べたどの食事よりも旨かった。