①臭うような美少女
「くあああああえああえああーーっ!!?」
深夜にも関わらず、彼は奇声を上げながら押し入れから少女ごと布団を引き摺り出すとそのまま放り投げ、鼻を摘まみ目から涙を流しながら咳き込んでしまう。
「げぇほっ!! うええぇーーっ!?」
激しく込み上がってくる胃液を押し戻しつつ、酸っぱさと塩辛さそして強烈な発酵臭を帯びたヒト型の異物を視界の中に納めつつ、タンスの上に置いてあった消臭スプレーを手に取った。
「おええぇ……悪臭退散っ! 悪臭退散んんんーっ!!」
そう繰り返しながら、しゅぴっしゅぴっと少女と布団にスプレーを吹き掛け続ける。すると霧状に散った天然由来の消臭成分が柔らかく彼女の全身を包み込み、しっとりと柔肌に寄り添って少しづつ臭いの原因物質をミクロレベルで抑制(製造会社曰く)。そうして暫く噴霧を続けた末、スプレーボトルを半分消費して漸く消臭に成功したのである。
「……んふ、んんん……んぅ?」
と、消臭スプレーの成分が含む薬用アルコールの揮発による冷却効果で、ちょっと肌がヒヤッとした少女が、やっとこ目を覚ました。
「ふああああぁ……んふぅ、んん……♪」
が、しかし。ちょっとだけ反応するとゴロンと寝返りして二度寝した。その結果、青年は遂にブチ切れた。
「おおいっ!! 何で二度寝してんだよ馬鹿クサ女!!」
「ふにいぃやあっ!?」
がっしと掴んだ布団を振るい、上に転がっていた悪臭源を駆逐すると、娘は投げ捨てられた野良猫宜しく悲鳴をあげながら畳の上を勢い良く転がり、部屋の壁で止まるとそのまま綺麗に大股開きでひっくり返った。
「あーっ、もう!! 布団にすげーシミが出来てるぅ!!」
しかしそんな少女の恥態には目もくれず、青年は殆ど空になった消臭スプレーを投げ捨てると、急いで布団カバーを外して脱衣所の洗濯機に運び、無言のまま洗剤と共に投げ込んだ。
ぐううぅーっ、ごとんごとん、と洗濯機が動き出し、続けて水道栓から水がじゃぼじゃぼと音を立てながら流れ込む。頼もしい全自動洗濯機は真面目にひたむきに動き続け、彼の布団カバーから身元不明な乙女由来の臭い原因物質を生地から浮かせ、泡の表面へと剥離させていった。
……さて、と。そう言いながらテーブルまで戻った彼は、ひとまず考えを纏める為に椅子へと腰掛ける。漸く落ち着けるようになった今、早急に解決すべき問題は山積みである。
まず、飯だ。レトルト食品は多少ある。何とかすれば一食分は適当に揃えられるし、まだ冷凍庫に何かあるだろう。
次に風呂だ。シャワーで十分。今から湯を溜めるのは時間が掛かる。
そして布団。カバーを洗ってしまったので直に寝るしかない。布団が汚れるかもしれないが、背に腹は代えられぬ。初秋の夜は冷え込むのだから。
……いや、そうじゃない! だから、そうじゃないんだよ!!
そう思いながらキッ、と彼が視線を振り向けたその先には、だらしなく太もも丸出しで失神している消臭済みの娘が、まーだ消え失せぬままひっくり返っているのだ。
そんな姿を確認した彼はテーブルの椅子からスッと立ち上がり、すたすたと近寄って逆さま娘の前に立つ。
こんな姿勢にもかかわらず、失神しているのか、相変わらず足はびろーんとおっ広げたまま。股に食い込んだ布地は局所をしっかりカバーしているものの、ぴっちり覆っているだけにまるでセクシーな下着そのものである。
……下着? いや待てコイツ……そもそも、何を着てるんだ?
今さら気付いた青年は消臭済み少女を正常な姿勢に戻してやると、改めて彼女の服装を見直す。
先程はコスプレだと思っていたが、ならば目の前の娘が身につけている衣服は、ナイロンやポリエステル生地でミシンで縫った衣装が普通だろう。しかし、どう見ても生地は粗く編まれた麻か、それに近い綿等の天然素材にしか思えない。化繊アレルギーかと一瞬思いもしたが、そんな敏感肌な奴が発する臭気で鼻がおかしくなるなんて、有り得ない。
と、そう思った矢先に娘がパチリと目を開き、青年と目を合わせると同時に呟いた。
だが、続いてその口から発せられた言語は聞き覚えの無い複雑なイントネーションで、全く理解出来なかったのだ。
無論、彼もスマホを翳して翻訳機能をフル活用してはみたものの、該当する言語も単語も検索されず、やがて困惑と共に試みは中断された。
それにしても、コイツは何処から来たのだろうか。青年は当然沸き上がる疑問の答えを見つけようとはしたが、コミュニケーションの手段が無ければどうしようもない。
だったら、警察に引き渡そう。明日の朝になったら警察官を呼んで、家出少女とでも何とでも言って連れていってもらうしかない。
そうと決まれば、飯を食おう。とにかく食って、シャワー浴びて、寝るんだ。明日は休みなんだから、それが一番だ。
寝室の真ん中で膝を抱えたまま動かない少女を放置して、青年は食料品をひっかき回し、冷凍パスタと唐揚げ、そして菜っ葉のお浸しをタッパーから取り出すと、電子レンジで温め直す。
チーン、とお約束のベルが鳴ると同時に、視界の隅の少女の肩がビクッ、と動き、レンジからパスタを取り出す青年の横顔を見詰める視線を感じ取る。
だが、何にしても意志疎通が出来ないのだから、仕方ない。
少しだけ気にしてはみたものの、相手からアプローチが無いまま次の唐揚げに取り掛かった瞬間、衣擦れの音と共に畳の上を裸足のまま、娘が居間に向かってそろりそろりと音を忍ばせて近付いて来る。
(……食いたけりゃ、そう言ってみろって)
自分でも大人げないなと思いつつ、彼は唐揚げをトレーから皿に移そうとして、まーいいやと思いそのまま取り出した。
そして最後のお浸しをテーブルに並べた瞬間、居間と寝室を隔てる襖の横から、きゅるるるるぅ……と自己主張の強めな腹の虫の鳴き声がハッキリと聞こえ、彼は諦めと共に盛大な溜め息を吐きながら、もう1つ同じセットを温め直す事にした。