⑭悪霊退治で開運しよう!
ごっ、と大気を切り裂きながら迫る刀に、マキナの命運は尽きたかに見えたが、
「よいしょーっ!!」
【……な、何だとぉ!?】
さっと差し上げたマキナの掌で、悪霊の折れた刀は容易く掴まれる。そのまま動きが止まったかに見えたが、ジリジリと刀はマキナの掌から遠ざかっていく。
【……解せぬっ! たかが小娘如きに我が太刀が退けられるとは……】
「おじーちゃん! もう年なんだから無理しちゃダメだよ!!」
しかしマキナは余裕綽々で言い返すと、首飾りを掴んで魔力を籠めながら再び血を屋上の床に垂らした。
「さーて、それじゃ久々に……我が主たるイホウゥンディ様の登場と参りますか!」
ばっ、と両手を高く差し上げたマキナは、旧くから伝わりし召喚の呪文を叫ぶ。無論、向こう側の世界と異なり《こちら側》の世界には彼女の奉じる神が実在する為、詠唱するマキナに迷いは全く無かった。
《……黒き森よ! 静寂の泉よ! 広大な平野を越え、その道を此処へと繋げて導き賜え!!》
その瞬間、晴れ渡る空から一条の雷が突如屋上に落ち、激しい風が吹くと竜巻と化していくうちに、何かがマキナの目の前に降り立った。
「……あのねー、ヒトがシャワー浴びてる時に召喚しないでよね~?」
竜巻が晴れて視界が戻ると……そこに居たのは、バスタオル一枚だけ身体に巻き付けた大家の細野さん。勿論、彼女は邪神の類いなのだけど、今はセクシーな格好のまま召喚されちゃったようである。
「そんな訳で神サマ! あのぼーれーおじーちゃんをやっつけて貰えないかな?」
「……あのね、マキナちゃん。ヒトの話はちゃんと聞かないとダメよ?」
手に持ったタオルを頭に巻きながら大家さんがマキナを諭すが、そこに割り込んで来たのは当然ながら骸骨の亡霊である。
【……今度は何だ……女か、否……!?】
素手で太刀を退けたマキナにも強気で応じていた亡霊が大家さんを見た瞬間、明らかにたじろぎ一歩後退し、狼狽え始める。
【こ、この禍々しい重圧は一体……いや、違う! 神格を備えているだと!?】
「あらぁ~? 随分失礼な言い方ねぇ~! まるで私がおばーちゃんみたいじゃない!!」
大家さんはそう言うと身体に巻いたバスタオルを解き、艶やかな白い裸体を露にしたかに思われたのだが、そのタオルの下には黒く渦巻く闇が垣間見えるのみ。まるで深淵の宇宙がそこに広がっているように見えたその時、突如巨大な毛むくじゃらの腕が闇の向こう側から突き出し、骸骨の亡霊を鷲掴みにする。
「……まあ、たかだか千年そこら居た位で、偉ぶるような凡庸じゃ、私の相手にはならないわね……」
大家さんはそう言いながら、不気味な腕で容易く亡霊を深淵の闇に引きずり込むと、何事もなかったようにバスタオルを巻いて何もかも覆い隠してしまった。
「うわぁ、一発で終わっちゃったね!」
「……小骨が多くてあんまり美味しくないわぁ、コイツ……」
唐突に訪れた幕引きにマキナが駆け寄ると、大家さんは何故か口元をモグモグと動かすと、小さな骨をプッと吐き出した。
「ねー、亡霊は居なくなったけど、会社は良くならないかな?」
「ん? そうね~、地脈の流れはスムーズになったけど、まだまだ弱いわ。じゃ、もう少し景気付けしとこーかな?」
そう言って大家さんは屋上の床に手を着くと、肘の辺りまでズブズブと突き入れて暫くジッとしていたが、何かを掴んだようだ。そしてその脇にマキナもしゃがみ込む。
「……んー、有ったわ。地脈の分岐がコレだから……ここを千切ってギュッとすれば……」
「えー、でもまた亡霊がやって来たら同じじゃなーい?」
「だったら新しい鎮守を据えれば……あ、そーだ思い付いた!! この前見た時、大伝クンのご先祖が彼の頭の上に浮遊してたわぁ♪」
……そんな屋上のやり取りとは無関係の、総合商社アソマンのオフィス内。
昼過ぎになっても休憩に入れない大伝青年が、溜め息を吐きながら受話器を置きながらふと見ると、時計の針が二時に差し掛かる。勿論、謝罪と釈明で時間を取られていた彼に休憩を取る余裕は無い。
(……はあ、まーた休憩無しか……仕方ないから買い溜めしといたシリアルバーで……)
そう思いながら引き出しを開けた彼の視線が、オフィス入り口のドアを勢い良く開けながら飛び込んで来る数人のスーツ姿に向けられる。
「……おいっ!! 大伝君はこの部署だよなっ!?」
その中の一人、アソマン社の海外支店長が血相を変えて叫びながらオフィスを進み、たまたま通り掛かった総務部の女子社員を掴まえると、大声で質問し始める。
「急いでいるんだ! 大伝君は何処に居るんだ!?」
「は、はい!? あ、あそこに居ますが……」
彼女が勢いに負けて怯えながら振り向き、彼の居るデスクを指差すと、
「済まん! 急いでいるんでな!!」
そう詫びながらドカドカと小走りに駆け寄って、大伝青年の前で立ち止まった。
「……君が、大伝社員かね?」
「あ、はい……何かありましたか」
見慣れぬ上司の登場に、戸惑いながら答える彼の肩を支店長はぐわしと両手で掴むと、興奮を隠さず一気に話し始めた。
「何かあったか、じゃないッ!! 君が出した提案書をたまたま何処かで見たアップルパイ社のCEOが偉く気に入ったそうだ! それで自分の会社と我が社で協同企画としてやらないか、とついさっき打診してきたんだよ!」
「……えええっ!? あの企画書をっ!?」
大伝青年が驚くのも無理はない。何故なら提携会社同士で案を出す合同コンペが有り、部署に必要な数合わせで提出したその場しのぎの企画で、彼自身も深く考えて立案したような代物ではない。それが提携会社の親会社へと流布していく中、一番先の大会社のアップルパイ社まで到達したようだ。
「うーん、あれが採用されるなんて、鮭が川を遡って水道の蛇口まで来るレベルじゃないかなぁ……」
「そんな事はどうでもいい!! アップルパイ社のCEOは今直ぐ君と直接話したいそうだ! 急ぎたまえ!!」
そう叫ぶと部下と共に彼の両脇を抱え、そのまま連れ去ってしまった。
(……あれー? おにーさん居なくなっちゃったぞ?)
そんな騒ぎを知らぬマキナがオフィスフロアに戻ると、裳抜けのカラになった彼の机の上に、シリアルバーだけがポツンと残されていた。