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⑫二つ枕を並べて



 浅い眠りの中で、大伝青年は甘く芳しい香りを嗅ぎ取って、幸せな気持ちで一杯だった。


 隣に住む大家の細野さんや、娘の冬美さんがお風呂に入っているタイミングで換気扇の下を通る際、本当にこの世の中で売られているシャンプーなのかと疑いたくなる程の芳香で、クラッと気が遠くなる事がある。彼は二人に恋心を抱いている訳ではないが、それでも良い物は良いのだ。



 今の彼は爽やかな柑橘系のフレッシュな香りと、清潔感に溢れる石鹸を彷彿とさせるその匂いに、陶然としながら、


 (うーん、我が家のボディソープも良い仕事するなぁ……まるで隣に女性が寝てるみたいだ……)


 そう思いながら、ゴロンと寝返りした。





 ……隣に女性が寝ていた。





 「……うおっ!?」


 叫びながら跳ね起きると、離れて寝ていた筈のマキナが自分の布団から脱け出て、こちらに敷かれた布団の中に入っていた。


 「おい、お前の布団はそっちだろ!?」


 驚きながら指差す先は、彼女が出たままもぬけの殻の布団だが、マキナはふるふると首を振り、


 「ううん、おにーさんの布団で寝る……」


 そう言って眼を閉じたのだ。


 (……いやいやいやいや、ちょっと待て! 確かに俺は彼女の面倒を見ろとは言われたが、まさか()()()()()()を見ろとは言われてないぞ!?)


 と、大伝青年は頭の中で吠えてみたものの、遥かに年下のマキナを相手に、力ずくで追い出すなんて出来る筈もない。


 困り果ててじっとしている内に、マキナは本当に寝てしまう。すーすーと可愛らしい寝息を立てて眠る彼女からは、夢の中と同じ芳香が漂い、正気を保つのもやっとである。


 「……もう、どうにでもなれ……」


 仕方なく自分も寝る事に決めた大伝青年だったが、結局寝られたのは明け方近い時間だった。



 ……で、その結果はこれである。


 「ち、遅刻だーっ!!」


 ガバッと起き上がり、慌てながら着替え始める大伝青年の背中を、マキナは不思議そうに眺めながら目を覚ます。


 「おにーさん、何をあわててるの?」

 「か、会社に行く時間があと十分しかないんだよ!!」


 そう叫ぶ言葉の意味を暫く考えてから、マキナはうんと頷いてから、声に出して確かめた。


 「……間に合えばいいのかな?」

 「そ、そりゃ間に合えばいいけど後八分で出社出来ないよ! 会社まで電車で四十分掛かるんだぞ!?」


 駅から全力疾走で十五分の平凡な住環境で、おまけにバスも通っていないのだから、彼の慌て振りは致し方ない。


 しかし、落ち着いた表情のマキナが掌の絆創膏を剥がして血を滴らせながら、何か得体の知れない存在を召喚した瞬間、大伝青年は彼女の真意を即座に悟ったのである。



 「……我求めたりっ!! 光よりも(はや)き異形の馬を!!」


 (……ああ、こりゃ乗っちゃダメな奴だな)


 その瞬間……ドスンッ、とベランダの方から巨体が地に足を着ける音と地響きが鳴り、黒い影が窓越しに立ち上がる。


 恐る恐る彼がその方を見ると、電信柱と同じ高さの首を伸ばし、岩のような外皮に覆われた身体、そして足とも脚とも言えない六本の蠢く触手を備えた異界の生物が立っていた。


 「ええっと……あれに乗れと?」

 「うん! すっごく速いよ!!」


 彼の隣に並びながらマキナが答えて窓を開けると、見上げる高さからぬーっと首が伸ばされてくる。その首に載った頭は巨大な一対の複眼、そして三つの眼と蜘蛛のような牙を生やした口。どう見ても彼の知っている馬と類似点は皆無である。


 「……今日は病欠し「はい! 行きましょー!!」


 思わず身を(ひるがえ)そうとした大伝青年の腰を勢い良くマキナが蹴ると、彼の身体を大きく開いた顎が捉え、がっしと掴むや軽々と持ち上げて背中の上にポイと投げ落とした。


 「ねぇ、噛まれたよね!? 今あれに噛まれたよね!!?」


 真っ青な顔で脇腹からトロリと血を流しながら大伝青年が訴えるも、マキナは気にせず異形の頭に掴まり彼の後ろに降り立つと、


 「さあ! カイシャに行きましょー!!」

 「完全無視ですかっ!?」


 颯爽と叫び、彼の質問には答えず出発を促す。すると、その生き物はグンと首を真上に伸ばし、口を開いて大きく呼吸する。


 こおおおおおぉっ……と、大気を吸い込んで喉を膨らませると、突如呪文のような何かを唱え始めた。


 【……り、り、り、りい、りり……い、いあ、いあ……ふぐるらむぅ、ふぐるむるぅ……】


 そして次の瞬間、何の前触れも無くブゥンと鈍く震えながら巨体が宙に舞うと、大気を切り裂きながら一瞬で恐ろしい程の速度を出し、そのまま直進し遠く離れていた場所の大きなマンションの壁面まで跳躍する。そして一切の物理法則を無視し弾かれたように壁面で跳ね返り、次の場所へと跳躍していく。


 「ビ、ビルがなんで無事なのか、聞きたくないな……」

 「……ん? あー、私も判らない!」

 「……だよなぁ……」


 そうして何度か理解しがたい方法で加速を繰り返し、あっという間に会社の屋上まで到着すると、マキナは再び血を垂らして呪文を唱え、召喚した名状し難い何かを綺麗に消し去ってしまった。


 「いやー、速かったなぁホント! ……でも、あんまり長い時間、この世に出しておくと周辺一帯の生き物を見境無く食べちゃうらしいんだよね~」

 「……代償が高過ぎじゃん……」


 無事会社に着いたものの、マキナは帰る方法が無いという理由で暫く一緒に居ると言い出した。



 「だいじょーぶ! 他人から見えなくなるようにしながら待ってるから!」

 「……一番不安になる待ち方だなぁ」


 こうして遅刻を免れた大伝青年は、マキナを伴って屋内へと向かって歩いていった。


 


 


 

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