⑩布団問題
「うわ、跡がヒトの形になってる!?」
洗濯して干した布団カバーには、クッキリとマキナの横たわった跡がシミになって残り、何を使っても落ちなかった。これは仕方がないので替えようと思う。だが、布団は一組しかないのだ。
市役所から帰宅してマキナの歓迎会を催し、大家と長女(寡黙過ぎて全然話してない)が帰宅した後、それじゃ布団に掛けようと洗濯したカバーを取り込んだ彼は、巨大なエビの魚拓みたいなシミの付いたカバーを眺め、盛大な溜め息を吐いた。
今から買い物に行く訳にもいかず、かといって他に寝具は無い。今夜こそ布団以外で寝て貰おうと口を開きかけたその瞬間、マキナが声を上げたのである。
「判った! 新しい布団が必要なのね!!」
そう言ってマキナが立ち上がり、つかつかと台所に向かうと包丁を握り締めて戻ってきた。
「えっ? ……おい、何を始めるつもりなんだ?」
大伝青年は困惑しながら手を伸ばし、彼女から包丁を奪おうとするも、クルリと背中を向けたマキナはあろう事か自らの掌で包丁の刃を握ると、
「……大いなるイホウゥンディ様、力を貸し与え賜え!!」
そう叫びながらビッと引いて鮮血を滴らせたのである。勿論、洗い立ての布団カバーの上に。
「お前なぁ!! 何してるの!?」
当然ながら大伝青年は驚いて叫び、手当てしてやろうと慌てて棚の上の救急箱から絆創膏を取り出そうとしたのだが、
「ダイジョブです!! 何と言っても我が慈母たる唯一神、力に溢れ強壮なる豊穣の女神イホウゥンディ様の御力さえ有れば……布団足りない問題なんてすぐに解決出来ます!!」
そう言って無茶苦茶ドヤ顔で満足げに、タパタパと血を布団に垂らし続けていくのだ。もう嫌になる位。
「あー、もう何が何だってんだよ……ん?」
大伝青年が諦め気味になったその時、今まで不規則に布団を染めていた血の滴が突然止まると、いきなり真っ赤なシミが魔法陣のような円と三角形へと姿を変え、その中心からムクムクと小さな何かが湧き出すように現れたのである。
【 ……あのねー、こんなしょもない事で呼び出さないでくんないかなぁ? 】
が、現れたのは鹿の角を生やした裸の小人のような生き物で、出てくるなり愚痴りながらクルッと一回りして着衣を纏うと、マキナの足元に近付いて行き、トントンと爪先を踏みながら不機嫌そうに絡み出したのである。
【 ヘイヘイヘイヘイ!! 知恵の化身の私を呼び出して尋ねるより、お隣さんとこに行って借りてくりゃ早いっつーの!! 】
「……そっか!!」
「そっか、じゃねーって! ソイツの言う通りじゃねーの!?」
「……そっか!!」
「あー、もう!! ……判ったよ、行ってくるよ……」
そう言って大伝青年が出て行くと、知恵の化身はアホかと言いたげな顔をしながら消えてしまった。
「あらあら、さっき言ってくれれば直ぐ貸してあげたのに!」
大家の細野さんを訪ねると、軽い調子で言いながら奥へと消え、暫く経つと一揃いの寝具を持って戻って来る。
「申し訳ないです、ホントに……ところでこのお布団、来客用ですか?」
「違うわ~、ウチの旦那が存命の頃に夫婦で使ってた布団よ?」
そう言って軽々と持ち上げて彼に手渡すが、ずっしりと綿の入った高級そうな生地の布団で、おまけにやたらと良い匂いがするのだ。
「こ、これ……ご夫婦の?」
「そうよ? 長女の冬美から三女の夏子まで、みーんなこの中で授かった由緒正しい布団よ♪」
あっけらかんとした赤裸々な説明に、大伝青年は真っ赤になりながら頭を下げ、逃げるように大家の部屋から去って行った。
「……まー、だからって言って……あの娘まで盛りが付くとは思わないけどね?」
右手の指先を顎の下に添えながら、妖しげに微笑みながら彼の背中を見送った。
「おーい、玄関開けてくれー」
(……はーい、ちょと待てー)
両手の塞がった大伝青年がドアの前で声を掛けると、中からマキナが返事をしながらドタドタと走る音が響き、やがてギイと鳴りながら扉が開いた。
「ほら、これ借りてきたからな……今度は汚すんじゃないぞ?」
「うん、判った!」
そんなやり取りの後、時間が過ぎて夜になる。明日は仕事だからと言いながら大伝青年は寝る支度を始め、マキナも着替えて寝ようと同意したが……
「……おい、マキナ。お風呂は?」
「えー? ちゃんとそこに有るよー。どうしたの? ボケちゃった?」
「いやボケてないから。そーじゃなくて君は風呂に入らないのか、と聞いてるんだよ!」
大伝が尋ねると、マキナはそっぽを向いて鼻歌を歌いつつ布団を敷き始めた。
「おいちょっと! ……まさか、風呂が嫌いなのか?」
「……そんな事ないよー?」
「じゃー、行ってこい」
部屋の主である彼に諭されて、マキナは嫌々そうに仏頂面で着替えを持ち、トボトボと脱衣所に行ったので大伝青年は布団を敷こうとしたが、
(ん? ……水の音がしないな)
違和感に気付き、足音を忍ばせながら脱衣所の前まで行くと、ガラス戸の向こうにマキナの姿が見えた。
「……なにしてんの?」
「きゃー、おにーさんのえっち!(棒読み)」
そう叫ぶマキナだったが、さっきまで着ていた服は身につけたまま。どうやらほとぼりが覚めるまで隠れてやり過ごすつもりだったらしい。
「アホか、お前は……今から風呂に入らなかったら、明日の朝飯抜きだかんな?」
「きいぃーっ!! おにーさんの鬼っ!!」
「さっさと入れ!!……はあ、面倒な奴だ、全く……」
しかし朝ごはん抜きは堪えたようで、マキナは渋々ながら同意するしかなかった。