(邪)神官娘が現れた!どうする? 追い返す。→飼う。
我々の認知出来る宇宙の、ずーっとずーっとその先の、その果て無き世界の端よりも、更に遠い先の世界。
どれ程に科学が進歩しようとも、世界の狭間は未だに観測出来ていない。交わるべき世界を隔てる壁があるとしたら、その向こう側にあるに違いない、我々とほんの少しだけ世の理の違う、そんな場所。
……人と魔族の様々な鬩ぎ合いの果てに、その闘いは始まろうとしていた。いや、正確には、今まさに始まる寸前だった。
その娘が纏いし衣は清らかな純白。なれど仕えし神は清廉とは真逆、混沌の化身。
人として生まれながら、その不遇な環境に己の心を大きく削り取られた末に、身も心も魔族の一員として邪神に捧げた娘が、最後の封印から邪神を解き放つ為、そこに居た。
彼女が願うは世界の平穏。しかし、その願いを成就させる為には様々な障害が立ち塞がり、道筋を阻むのだ。そして……今まさに、新たな障害が現れたのである。それは人間社会から派遣されて来た、同じ年頃の若者達だった。
「……ねえ! 私達と一緒に帰りましょう!」
「……で、でも……」
そんな場所に現れた一団は、彼女が失った人としての心を取り戻させる為、必死になって説得を試みる。その試みはやがて実を結び、遂に成功するかに見えたのだが、
「なあ、早く一緒に帰らねぇか? んで風呂入れって……お前かなり臭うぞ」
同性から発せられた、情け容赦無い一言が、全てをぶち壊した。
……その瞬間、一陣の突風が吹き荒れる。誰もが何が起きたのか一目瞭然のそれこそが……強大な邪神が現世へ降臨しようとする証しだった。
「し、障壁が持たないぃ……っ!!」
「諦めるなっ!! まだ、まだだ!!」
一団の一人が全身全霊を籠めて集中するも、その結界は今にも崩壊寸前。だが、傍らの戦士が背中を支えてやりながら、必死に励まし続ける。
その障壁の中で、娘は全身から黒い焔に似た魔導の揺めきを迸らせながら、自ら望んで身を捧げた結果に、恐れ慄きながら次第に忘我の境地を迎えつつあったのだが、
……次の瞬間、彼女は背後の揺めきの中から現れた巨大な手に掴まれて、呆気なく消え失せてしまったのである。
余りにも唐突過ぎる出来事に、一同は一言も喋れなくなるが、そんな彼等の耳にハッキリと聞こえたのは、溜め息混じりの呟きだった。
【……ちょっと張り切り過ぎよ? 頑張るのも大事だけど、もうちょっと余裕が無いとね……】
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日付が変わる直前の住宅地に、昨今の防犯意識と節電思想で作られた、オレンジ色のLED蛍光灯が煌々と灯る。
この付近に在る木造家屋は全て、最近建てられたばかりのデザイン性豊かな注文住宅だったりするような、そんな都会の何処にでもあるような平凡な町。
(……今日も、日付が変わるまで帰れなかったかぁ)
とぼとぼと疲れた足を引き摺りつつ、その青年はアパートの扉の前で、尻のポケットをまさぐりながら鍵を取り出した。
彼は社会人四年目である。だがしかし、そろそろ後戻り出来ない自らの立場を十分理解し、しかし余りにも拘束時間が長い為、新しい就職先を探す時間も作れず悶々と日々を過ごす、典型的な【養分社員】であった。
努力すれば昇進出来るのに、面倒だからしない。かといって適当に手を抜いて自分を守るような悪知恵も無い、無害で扱い易い彼は会社にとって過不足の無い駒だった。
(……スーパー、何も残ってなかったけど……コンビニ弁当は飽きたから食いたくない……)
そんな繰り言を心中で呟きつつ、漸く差し込んだ鍵がシリンダー内でガチャリと嵌まり、ドアの閂を回して外す。
シーン、と静まり返った室内に電灯の白い光が灯り、青年はネクタイを解きながら条件反射でテレビを点け、電気ポットのスイッチを押した。
明日はやっと巡ってきた休み。今夜はとにかく寝よう、買い物は明日に銀行で預金を降ろすついでにしようと思いながら、隣の寝室に入って押し入れの布団を出そうと襖に手を掛けて、
……すーっ、すーっ……
と、中から響く低い寝息に聞き耳を立てた。
ぞわっ、と背筋が凍る。まさか、まさかまさかまさか……ゆ、幽霊!?
(落ち着け落ち着け……こ、ここは事故物件じゃない! 何回も下見したし不動産屋にも通った! でも、受け付けのヒト……何か隠していたら……いや、とにかく警察に連絡……か!?)
そう思考を巡らせながら、彼は震える手でスマホを取り出そうとして、ガタンと落としてしまう。
あたふたと慌てながらしゃがみ込み、その勢いで襖にドシンと頭突きして尻餅。そう、こんな時は誰だって失敗続きになるもんである。
だが、そんな彼の慌て振りが功を奏したのだろうか。襖の向こうの何者かが、小さく呻きながら寝返りを打ち、身を捩らせて襖を押したのだ。
バタンッ、とこちら側に倒れてくる襖は、当然の如く青年の頭頂部を派手に叩き、彼の鼻腔に抜けるような痛打を送り込んだ。
「ふおおっ!!? 痛ええぇ……」
背中の方に倒れていった襖から身体を抜いて、やっとの思いで立ち上がった彼は、押し入れの中に隠れていた相手と、遂に邂逅を果たしたのだが……
「……な、何だよ……こいつ」
目の前に横たわる相手は、見た事もない格好の年端も行かぬ少女だった。
茶褐色の短い髪は千々に乱れ、見慣れぬ装身具は象牙色の牙や琥珀を磨いた未開の部族のよう。頭の上に似たような髪留めが刺し込まれていたが、その意匠もそして質素な貫頭衣もどこか牧歌的というよりは、怪しい呪術師めいた雰囲気が漂っている。
しかし、不審者である事は間違いなく、もしや泥棒かと疑いはしたものの、部屋の戸締まりは抜かりはなかった。キチンと玄関の鍵は掛けていったにも関わらず、このコスプレ娘は何処からどうやって忍び込んだというのか。
ついさっきまで警察に電話するつもりだったスマホを手にしたまま、暫くそんな事を考えていたのだが、次の瞬間……何かに気付いた彼は、思わず叫んでしまう。
「うおっ!? ……こ、こいつ物凄く汗クサイぞっ!!?」
端的に言えば、マジで御免なさいレベル。押し入れの中の見た目だけは可憐な美少女が発する汗と他の何かで、真夏の部室レベルの目に沁みるような臭いで一杯だったのだ。