第三十九話 身の破滅
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「お父様、一体どうなさったの?」
「エヴァ!このアバズレが!!」
真っ赤な顔の男爵があっという間にエヴァの目の前までやって来ると、勢い良く振り上げられた手がエヴァの頬に叩きつける。あまりの痛みと衝撃で、エヴァはそのまま床の上へと倒れ込んでしまった。
いつもは優しい人が、天使のようにかわいいねと言ってくれる人が、
「お前がそんなにふしだらな娘だとは思いもしなかった!」
と、叫びながら、もう一度手を振り上げたので、ダグマーラが慌てたように飛びついた。
「あなた?一体、何を言っているのです?暴力はやめてください!」
「お前がきちんと娘を見ていないからこんな事になるんだ!」
腕にしがみついていたダグマーラを床に投げ捨てると、男爵に変わってエヴァの婚約者であるサイモンが、
「ツィブルスキ侯爵子息であるアレクセイ様と直接話をしてきたんだけどね」
と、突然、意味不明な事を言い出した。
「アレクセイ様はとある舞踏会で、エヴァ、君と一夜を共にしたと言っていた。その時、君は初めてを彼に捧げていて、アレクセイ様もその事実については証言してくださるとまで言ってくれている」
はあ?いったい何を言っているわけ?
エヴァは可愛らしい顔をあからさまに引き攣らせた。
「香水瓶に用意したトマトジュースをシーツになすりつけておくんだっけ?痛がる演技の後にシーツの跡を見せたら、処女だったと信じない男はいないらしいよね?わざわざシーツに鼻をこすりつけて確認する人も居ないのは確かだよ」
サイモンはにこりと笑う。
「僕は婚約者が居る身でありながら、君の誘いに乗って、男女の関係を持つまでに至ってしまった。君が初めてを散らしたと訴えるから、僕は責任を取るためにアグニエスカ嬢と婚約破棄をする事となったわけだけど、そもそも君の初めてはアレクセイ様が散らしていたそうだよね」
「そ・・そ・・そんな!嘘よ!嘘!嘘ばっかり言わないで!」
「初めては経験がある男に捧げるのが最近のレディの嗜みなのだろう?」
「そんな事があるわけないじゃない!私はサイモン様に初めてを捧げたの!貴方を愛しているから!」
「あんな奴、どうでもいいのよ。顔だけが良いだけの奴って本当に頭は空っぽよね。だっけ」
サイモンの美しい瞳が歪な形に歪んでいくのを目にしたエヴァの身体がブルブルと小刻みに震え出す。
痛む頬を押さえながら立ち上がろうとするけれど、体が震えてうまく立ち上がる事が出来ない。倒れた母も、立ち尽くす父も、誰もエヴァを助けてくれない。
ソファに座ったままのサイモンは、
「君が友人のクリスティーナに言っていた僕に対する言葉だよね?」
歪んだ笑みを口元に浮かべた。
「ああ、だけど、そんな事はすでにどうでも良い事なのです」
サイモンはパスカ男爵を見上げた。
「すべての元凶は、彼女の誘いに乗って婚約破棄をした僕にあるのでしょう。僕は爵位継承を放棄して、平民の身分に落ちる事をすでに承諾されています」
立ち上がったサイモンは、
「前から上司には相談をしておりまして、平民身分となっても今の役職で働かせてもらえる事になったのは幸いでした。という事で、私はすでに生家であるパデレフスキ家を放逐されたというご報告と、エヴァ嬢との婚約はそちらの瑕疵による破棄という形で手続きを進める確認と」
そう言いながらステッキを手に取ると、
「我が伯爵家と進めていた商談も破棄する形となります。後は、あなた方の今後に幸ある事を願っております」
乱れた髪の毛を整えた執事が開ける扉から、悠々とした様子でサイモンが出ていくと、執事はサイモンを見送りに出るために、後ろ手に応接室の扉を閉めてしまった。
見事なタイルの装飾が施された応接室に、
「あなた・・・」
母が父を呼ぶ声だけが響いている。
私、色々と痛い思いもしたし、自分の部屋に帰ってもいいかしら?そうエヴァが考えながら母の方を見ると、無言で首を横に振られた。
「エヴァ、先程のサイモン様の言う言葉は本当の事なのか?」
「はい?」
「色々と言っていただろう?それはすべて本当の事なのか?」
「い・・いいえ・・すべてでっち上げの嘘ばっかりでしたけど」
「だったら、例えツィブルスキ侯爵子息が証言をしたとしても、私たちには何も問題はないという事になるんだよな?」
「ああ・・それは・・」
アレクセイ様ったら!どんな時でも女性の味方になってくれるのではなかったの!
エヴァの表情の変化に気がついた様子の男爵は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、ありえない事を口にした。
「私は爵位を返上する」
「はあ?お父様、正気なの?」
「正気に決まっているだろう!そもそもお前らなんかを家に引きれた私が悪かったんだ!」
男爵の苦悶の叫びが木霊する。
「何が相手がスコリモフスキ家であっても大丈夫だ?愛があれば何からも勝つことができるだ?絶対にアグニエスカと仲良くします?お姉様と一緒に暮らすのが楽しみ?全て嘘!嘘ばっかりだ!」
男爵は地団駄を踏みながら叫び出した。
「アグニエスカは食事すら与えられず放置され、スコリモフスキ家に保護される始末!こちらの不備を挽回しようと考えて、美丈夫として有名なサイモン様との縁談を組めば、あろうことか体を使って邪魔に入る始末!私が知らぬ間に弁護士と結託してアグニエスカを追い出し!アグニエスカに対する醜聞を撒き散らす事に生きがいを感じているようなお前らに!私の気持ちがわかるのか!」
「まあ!貴方だってアグニエスカの事が疎ましかったのでしょう?」
驚く母の言葉に、叫び声が上がる。
「あれだって私の娘だ!エヴァだけが私の娘というわけではないと何度言ったら分かるんだ!」
男爵の顔は赤黒く変色していき、
「お前を愛したのがそもそもの間違いだった!お前らの甘言に乗った私が間違っていたのだ!」
血走った目を今まで愛していた妻と娘に向ける。
「今回の騒動の所為で我が家が取引していたすべての商談が破棄される事となった。資産をすべて売ったとしても、返しきれない借金が残る事になる」
「う・・嘘でしょう!」
「嘘じゃない」
男爵はジャケットを床に叩きつけながら言い出した。
「ダグマーラ、エヴァ、今すぐ選べ、私とこのまま一緒にいて、最後には借金の肩代わりに娼館に売られる道を選ぶか?それとも、ここで離縁して私との縁を切ってしまうか?どちらを選ぶ?」
「り・・離縁・・離縁がいいです」
娼館だなんて冗談じゃないわよ!
エヴァが思わず手を挙げながら訴えると、ダグマーラは大きなため息を吐き出しながら、
「エヴァが離縁を求めるのなら仕方がないわね」
と、さも自分は離縁なんか求めていない、みたいな風を装いながらパスカ男爵を見る。
「それじゃあ、離縁届けはそこのテーブルの上にある。今すぐサインしろ」
サイモン様が平民落ちなんだもの、お父様だって平民落ちっていう事よね。だったらここで手を切って、お母様の実家に身を寄せた方がいいのかも。
「旦那様、準備は出来ました」
応接室に戻ってきた執事のヤヌシュが小さめのスーツケースを二つと、その上に2着の外套を置いて壁際へと引き下がる。
「な・・まさか・・・」
母が愕然とした声をあげると、
「離縁を選んだら、何も持たせずに追い出せと言ったのだが、それでは哀れだとヤヌシュが言うのでな」
怫然とした表情で父が言う。まさか、この荷物のみで出て行けって事?
「私のお気に入りのドレスは?」
「すべてを売り払う、お前自身を売らずに済んだ事を幸運に思うんだな」
「お母様!」
母は無言で首を横に振っている。
エヴァはギリギリと歯軋りをしながら下を俯いた。
こうなった時のお父様って、何を言っても駄目なのよね!後から泣いて帰ってきて欲しいと言ったって知らないんだからね!
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