輝ける銀の鱗
忘れもしない。
あれは5月13日のこと、西の空に虹がかかった日の朝のことだ。
私は銀色に輝く龍を見たのだ。
しかし誰も信じてくれなかったし、信じて欲しいとも思わなかった。
いや。本当は信じて欲しかったのだけれど、信じなくても当然だと思ったのだ。
もし龍をみたのが私ではなく他の誰かだったなら、私もそんな昔話みたいな話を信じなかっただろう。
だから私は独り、龍を探しに出掛けた。
どこへ行けば会えるのか勿論わからなかったから、取りあえず龍が飛んでいった方へと走った。
ドン!
空ばかり見ていた私は、細い四つ辻で人とぶつかってしまった。
勢いがあったせいか尻餅をついてしまった私に手を差し伸べてくれたのは、若い男の人だった。
知らない人だったが、その格好から神主を呼ばれる人だという事はわかった。
「大丈夫ですか? ケガは・・・していないようですね」
優しい顔。
長い髪を白い紙紐でグルグルと巻いて、まるで正月の締め飾りのようだった。
この人に魅入っていた私は、心配そうに覗き込まれ慌てて頭を下げる。
「もしかして、どこか痛いのですか?」
「ご、ごめんなさい!」
「くすっ。元気がいいねです。ところで、急いでいたんじゃありませんか」
言われて首を振る。
「ううん。りゅ、龍を探していたんだ」
「龍・・・? 龍を見たのですか」
優しい問いかけが、とても嬉しかった。
本当に言葉では言い表せないほど、私の心は嬉しさでいっぱいだった。
「うん。銀色の龍を見たんだ」
「銀色の龍ですか。それならきっと嵐のことですね」
「え? 嵐? 龍のことを知っているの!」
胸が躍った。
龍に会えるかもしれない!
もしかしたら揶揄われているだけかもしれない、大人が子供の話に合わせてくれていただけなのかもしれないのに、私は溢れる期待に瞳をキラキラと輝かせて神主を見上げていた。
神主はそんな私の頭を撫でて、いたずらっ子のように微笑う。
「楓神社へ行ってごらん。運が良ければ龍に会えるよ」
「本当!?」
「ええ、きっと」
「やったー!
私は嬉しさのあまり、思わず神主に飛びついてしまっていた。
あのね!
龍に会えるんだよ!
母は少し不思議そうな顔をしていた。
何に対してそんな顔をしたのかはわからない。
わかるのは「楓神社」の名前に反応したという事。
「楓さまによろしく伝えておくれ」
母はそう言った。
知り合いなんだ
その時の私はその程度にしか思わなかった。
長い石段を登って辿り着いた楓神社は、私が知っているどこのどの神社とも違って見えた。
静かで、安心できて・・・
「おい。そんな所に突っ立って何やってるんだ」
頭上から降ってきた声。
文字通り頭の上。御神木らしい大木の上に声の主はいた。
「そんな所に登ったら、バチが当たるよ」
「俺は特別だ」
ふわっ
音もなく、まるで風のように飛び降りてきた男。
「・・・すごい」
目の前に立つ男の人は細くて長い、栗のような色の髪をしていた。
「何見てんだ。俺の顔はそんなに珍しいか」
そう問われ、顔が熱くなった。
男の人が笑っている。
笑わないで欲しい・・・
泣きたくなった。
「嵐。小さい子を苛めて楽しいですか?」
柔らかな声。
振り向くとそこにはあの神主がいた。
「楓。終わったのか」
「ええ」
穏やかな黒い瞳。
この人が母の言う「楓さま」だったのか。
私の見ている前で神主は男の人に、とっても綺麗な玉を渡した。
なんだろう?
もしかして龍が持っているという光玉かもしれない。
そんな私の考えを見抜いたのか、神主が小さく笑った。
「これは龍のものではなく、ある人間のものなんだよ」
「へぇ。金持ちなんだ」
思わずそう漏らした私に、男の人が何か言ったような気がした。
そんな気がしただけで、本当に何か言ったのかはわからない。
私は男の人を見上げていた。
男の人が私を見て、少し眉を顰める。
「おい、楓。こいつ、もしかして・・・」
「ええ。彼女の息子さんですよ」
「そうじゃなくて・・・」
口篭もり、少し考え込んでいる男の人に私は首を傾げる。
どうしたんだろう?
それに、彼女というのは私の母のことらしいし・・・
「知っているの? 母さんのこと・・・?」
神主は優しく笑っている。
笑って・・・
「知っているさ。お前のお袋さんだけだからな。楓を打ん殴ったのは」
え?
男の人を見上げたとき・・・
銀色の龍がいた。
手を伸ばせば触れることのできる位置から私を見ていた。
掴まれた光玉がとても美しい。
「ご感想は?」
優しい声と共に肩に置かれた手。
胸が大きく高鳴っていた。
「す、すごい。本物だ」
私の視線は龍に奪われ、心臓が壊れそうなほど興奮していた。
夢でも見ているようだ。
「嵐。お願いしますね」
神主の声に反応するように、龍の首が高く持ち上がる。
「うわぁ」
いつの間にか、私も風になって龍と共に空を駆けていた。
「・・・さん」
母の声に、私は目を覚ました。
独特の鼻をつく匂い。
白い服を着た人は、確か私の主治医。
そして、ここは療養所。
私はもう1年以上もここにいた。
龍は?
あれは夢だったのだろうか?
いや。夢ではない。
私の手の中には、銀色の鱗がある。
美しい宝。
お袋さんに感謝しろよ。
毎日お前のために楓神社へ来ては、熱心に願掛けしていたんだからな。
耳に残る声。
母の泣き笑いの顔が、とてもくすぐったかった。