鬼
ポウッ
ポウ、ポウッ・・・
穏やかで優しい風が感じられるようになった夕暮れ時、石灯籠に明かりが灯る。
誰がやるわけでもないのに自然と油に火がつき、小さいながらも歴史を感じさせる楓神社を美しく照らし出す。
畏怖と親しみが混在した、何とも言えない不思議な空間。
ガサガサ
ふいに何種類ものカエデが異様に揺れ、石灯籠の灯りが風の流れを無視するように激しく動いた。
“えーん。えーん。痛いよぅ”
神社へと続く長い長い石段のずっと下、聞こえるはずのない石段の下の方から女の子の泣き声が聞こえてくる。
心の中にまで木霊するような泣き声と、複数の足音。
「なんという事を・・・」
石段の上、見えるはずのない登り口を見据える人がいた。
紫色の袴を穿いた青年だ。
石灯篭の揺らめく灯りに照らされる顔は険しく、そして哀しげだ。
やがて懐から小さな和紙を取り出すとそっと息を吹きかけ泣き声のする方へと手を指し伸ばす。
ふわっ
指先を離れた和紙が、柔らかな羽毛が舞うように夜の闇に消えていく。
ザワザワザワ・・・
風が紅葉を揺らしていた。
きゃぁははっ・・・
境内に楽しそうな笑い声が響き渡る。
5歳くらいの小さな女の子が地べたに寝転がり何かと遊んでいる。
白い人の形をした手の平ほどの、それは「式神」と呼ばれるもの。
とても愛らしい、微笑ましい光景。
「楓。一体何を考えている」
「・・・何がですか?」
比較的長い黒髪を白い紙紐でグルグルと、まるで簀巻きか何かのように1本に束ねた神主の楓が、女の子をじっと凝視している遊び人風の男、嵐を見上げる。
細く、楓よりも長い栗色の髪が日の光りに輝いていた。
嵐は睨むように楓を振り返る。
「あれは、この間殺された人間だろう? どうする気だ」
そう言って、顎で女の子を指し示す。
楓は静かに微笑んで嵐から視線をそらすと、遠い目で女の子を見る。
「あの子は・・・殺されたあと、うちの神社の入り口に置き去りにされました。だから、私は迎え入れてあげただけです」
はぁ
嵐は深く息を吐き出し、楓の髪にそっと触れる。
「まぁ、いいけどな。楓、後になって自分が哀しむような事だけはするなよ」
「・・・ええ」
二人の見ている視線の先、女の子は無邪気に笑っていた。
月のない夜。
楓は石段の上から里を見つめていた。
サワサワ
風に紅葉が揺れ、静かな音を奏でている。
「何をしている」
ふいに後ろからかけられた嵐の声に、楓は振り向きもせずに答える。
「あの子のご両親が泣いています。そして、憎んでいます」
「一人娘だったからな。・・・どうする気だ」
言葉は楓の意見を求めているが、その口調は答えなど聞かなくてもわかっているようだった。
楓は口元に小さな笑みを浮かべる。
「嵐。貴方ならばどうしますか?」
「・・・」
答えるかわりに嵐は楓の前に手を差し出すと、その手の中に小さな光り玉を作り出していく。
あたたかみのある光り玉はやがて片手では収まり切れない大きさにまでなると、静かにその動きを止める。
ポワッ
一瞬大きく揺らめいた光り玉の中に、丸くなって眠る女の子の姿が見えた。
楓はそれを両手で救い上げるようにして受け取ると、なんでもないように二つに分ける。
「憎しみは時に思いもよらぬモノを生み出します。この子のご両親には、そういったモノを生み出して欲しくはないものですね」
二つに分かれた光り玉のうち、美しく優しく輝いている方を夜の闇へと転がす。
「夢枕か。少しでも憎しみが癒えるといいが」
人の心は脆いからな
小さな嵐の呟きに楓はそっと瞳を閉じ夜空を仰いぐ。
ころん
手元に残っていた、もうひとつの光り玉。
鈍く、怪しい光りを放ったそれが楓の手を離れて闇に転がる。
「鬼が出るか。蛇が出るか。どちらにしても結果は同じ。命の重さを軽くみた罰だ」
楓の肩に手を置き、里を見据えて低く笑う嵐の声に交じり何とも言えぬ奇怪な笑い声がした。
多少の無邪気さを含んだ女の子の声が。
* * * * * * * * * *
「もう昔の話です」
まだ若いだろうにどっぷりと老け込んだ男が、楓と向かい合っていた。
男は、御神木の木陰で遠い目をしている。
「当時の私は親からも見放されるほどの極道で、本当にいろんな悪さをしました。人に危害を加え、ケガをさせてみたり骨を折ってみたり・・・そして、一度だけ。一度だけですが、小さな女の子を仲間と一緒になって殺してしまった事もあるんですよ」
理由は忘れましたが
そう言って、男は小さく息を吐き出す。
「・・・何故、私に?」
静かすぎるほど静かな問いに、男は小さく笑う。
「何故でしょうね。ここへ来た理由さえもわかりません。ただ・・・仲間たちは皆、苦しみながら死んでいきました。私もこの有り様ですし、きっとバチが当たったのでしょうね」
「少しは、悪いことをしたという気持ちがおありなのですか?」
穏やかなのにどこか冷たい口調。
楓と男との間に奇妙な沈黙が流れた。
ザワザワ・・・
木々を揺らして吹き抜ける風。
男はその問いには何も答えず、ただ疲れきった笑みだけを口元に浮かべる。
「そろそろ帰ります。それでは」
軽く頭を下げ、男はどこか怪しげな足取りで楓に背を向けて歩き始める。
楓は何も言わずに黙って男の後ろ姿だけを見つめていた。
ニイッ
男が石段に差し掛かった時に見えた、小さな女の子の笑い顔。
光る瞳と。
小さな角と。
「うわぁぁぁ・・・!」
悲鳴に近い男の叫び声と、石段を転がり落ちる音。
そして
クスクス・・・
キャハハハ・・・
楽しそうな女の子の笑い声が、空高く消えていった。