1話 新たな星を創る者
目に飛び込んできたのは、満天の星空だった。
視界いっぱいに広がる黒いカンバスに、白、赤、緑…と色とりどりな輝きが散りばめられている。
星空が見えるのは、上を見上げた時だけではない。
四方、前後左右すべてにわたってどこまでも続く星空が見えた。
すなわちそれは、俺が宇宙にいることを示していた。
視線を下げると、丸い地面が目に入る。
丸い。
地面は平らで、その果てには大きな滝がある、などということはなく、地面は実は球体なのだ。
ということは、知識として知っているが、そんなことを知っていなくても、目の前を見れば地面が丸いことは一目瞭然だった。
なぜならその地面は、その星は、走れば一分もかからずに一周できてしまうほどに、小さかったのだから。
下手をすればその辺の宇宙のゴミと間違えてしまいそうなほど小さな星に、俺は立っていた。
星の地面は、荒れ地だ。
草も木もなければ、土すらない。
黒っぽい岩の地面。凹凸が激しく、その上に大小の石が無造作に散らばっている。
まさに、岩の塊。
状況は不可解を極め、訳が分からなかった。
気が付いたら、俺はこうしてここに立っていたのだから。
その前の記憶は曖昧だ。
俺が誰で、どこで何をしていたのか、さっぱり忘却の彼方である。
記憶のことは一旦保留し、状況確認に努める。
とりあえず、呼吸はできるようだ。
空気があるのか、それとも俺の身体が特殊なのか、それは分からない。
腕を回し、足を動かす。
感じる重力は普通。いや、少し体が重いぐらいだ。
数分で回れそうな星にもかかわらず、強い重力を持っているらしい。
「あ、あー、あー」
声を出せる。音も聞こえる。
差し当たり、息ができないとか、体を動かせないとか、そういう類の問題はないようだ。
しかし、この不可解な状況は……?
俺はどうしてこんなところにいて、こんなところで何をしようと言うのだろうか?
こんな、金も権力も意味をなしそうにない場所で。
クエスチョンマークを頭の中で躍らせながら、歩き出す。
数分あれば一周できるであろう小さな星。
星の全体を確認するのに、時間もかからないだろう。
キョロキョロと星の外観を眺めながら、歩くこと数十歩。
岩場の中に、異質なものを見つけた。
「なんだ……あれは?」
思わず、間の抜けた声が出た。
それもそのはず、そこには、小さな荒れた星にはあまりにも不似合いな、極めて人工的な装置があったのだから。
地面からひょこっと出ている真っ直ぐな棒。
その上には四角い板がついていて、なにやら光を放っている。
荒れた大地の上で、どことなく挑発的な雰囲気の装置だった。
近づいて見ると、それはもう近代的な装置がそこにあった。
タブレットだった。
直線的な棒の上に、斜めに傾いて装着されていたのは、光を放つタブレット。
画面にはいくつかのアイコンがあった。
俺は思い浮かべてみた。
小さな丸い星。
そこからぴょこんと棒が生えていて、棒の先には光るタブレット。
その前に、無言で佇む俺。
「…………」
なんてシュールな光景だろうか。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
とりあえずはタブレットを操作してみるしかないだろう。
推測するに、この装置は星を操作するためのものではなかろうか?
とすると、これは星ではなく宇宙船?
俺は莫大な富を手に入れて、星型の宇宙船でも買ったのか?
しかし、記憶がないのは一体どうして……
そう不思議に思いながらも、タブレットに手を伸ばした時だった。
「ていやっ!!!」
何者かが後ろで叫んだ。
同時に後ろから腰のあたりを叩かれる。
俺は悲鳴を上げることもできずにただただ肩を跳ね上げた。
な、なんだ!?
後ろを振り返ろうとした時、ひょこっと俺のすぐ下から顔が出てきた。
俺の前に回り込んできたのだろう。
「あれー? おとろいてない?」
そいつは不思議そうに首を傾げた。
子供だった。
十歳くらいの、金髪の少女。
前髪ぱっつんで、サラサラと絹のような髪を肩の下まで下ろしている。
宝石のように輝く金色の瞳で、上目遣いにこちらを見ていた。
なにより特筆すべきなのは、その背中から、白い翼のようなものが生えていることだ。
ててんてん、天使のはーね!
なんだこいつは?
「せっかく、隠れて隙をうかがってたのに」
どうやら、少女は最初からいたらしい。
まったく気づかなかった。
ここに俺しかいないと安易に思っていたのは、不注意だった。
子供のような見た目をしているが、油断していい相手とは限らない。
翼はコスプレか何かだと思うが。
一体どうしてこんなところにいるのか?
いや、それは俺自身にも言えることだ。
待てよ? ひょっとしてこいつは俺の知り合いなのか?
だとすれば、馴れ馴れしい態度にも合点がいく。
「お前は誰だ?」
ここで怪訝そうな顔をすれば、こいつは俺の知り合いということになる。
「あたしはめかみイリス。
あなたのサポートに来たの」
少女は明るく笑って答えた。
どうやら、こいつは俺の知り合いではないらしい。
「めかみとは一体なんだ?」
「? めかみ、知らない? 女の神様。
あ、て言っても、正確にはあたしたちは神の使いてあって、神様てはないんたけとね」
女の神。つまり女神のことか。
それと、どうやらこの少女は、時々話し言葉から濁点が抜けるらしい。
間違っていると良くない。一応確認しておこう。
「めかみとは、女神のことでいいんだな?」
「? たからそういってるじゃない」
少女は、さも俺が間違いを犯しているかのように、首を傾げた。
……こいつ。
少し遊んでやろう。
「……おい、濁点と言ってみろ」
「なんて?」
「いいから」
「……たくてん」
「つまりはそういうことだ」
俺は満足して頷いた。
「え? なに? といういうこと?」
少女は不安げに首をかしげている。
俺は無視した。
「それよりも、ここはどこだか知っているか?
女神だとかふざけていないで本当のことを言え」
この小さな星に、初対面の子供と二人きり。
あまりにも異常な状況だ。
しかし、子供の方はまったく狼狽えていない。
それは、この状況を異常ととらえていないからだ。
俺が知らないことを知っている可能性が高い。
しかし、少女の返答は予想の斜め上を行くものだった。
少女はキョトンと目を丸くして言った。
「あなた、なにも覚えてないの?
ふーん、そうなんた。記憶、そこまて消えちゃったんたね」
何?
「いいてすか? よく聞きなさい」
少女は腰に左手を当て、右手の指をピンと立てて教師のようなポーズをとる。
「あなたは死にました。つい昨日のことてす」
はぁ?
「あなたの魂は神様によって作り変えられました。もう、あなたは人間てはないのてす」
何を馬鹿な――
――いや、本当に子供の戯言と聞き流してしまっていいのか?
「あなたの記憶はそのときに失われました。残っているのは、知識たけてす」
――明らかな宇宙空間でも生身で平気な体、失われた記憶。
――同じ星に現われた、妙に容姿の整った少女。
――その背中から生えた、白い翼。
「あなたは、神様から名前と役割をもらいました」
まさか、本当に?
少女が、女神のような輝かしい微笑みを浮かべた。
つい、引き込まれてしまうような――
人間では、決して作りえないような、整いすぎた微笑みを――
少女は告げる。
「あなたは、創造主クリア。
――新たな星を創る者」