探すことを諦めた竜は、ひだまりでまどろむ
森の奥、真っ黒な竜のラウリーは、ひだまりの中でまどろんでいました。
さわさわ。さわさわ。
風が草木を揺らして、穏やかな時間が流れます。
あたたかい太陽の光に、まぶたが落ちそうになるのを我慢して。
カサリ、と立つ音に、なんの動物だろう? と見てみると。
そこにいたのは、ラウリーと同じ年頃の、少女でした。
人はめったにやってこない森の奥なのに。
人間を避けていたラウリーは、大きな翼を広げてすぐに飛び立とうとしました。
すると、慌てた少女が大きな声で叫びました。
「待って」
ラウリーが動きを止めて少女を見ると、今度は小さな声で。
「私と、お友達になってほしいの」
と、言いました。
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少女は暇な時間を見つけては、ラウリーの元にやってきました。
他愛のない話をしたり、太陽のあたたかさにまどろんだり。
さわさわと緩やかな風が吹くと、目をつぶって。
そうして一緒に過ごすことの多くなった少女を、ラウリーは不思議に思って仕方ありません。
この少女は、竜が怖くないのだろうか?
「君は、僕が怖くないの?」
「全然」
少女は答えました。
「最初にあなたを見つけた時は、少し、怖いと思ったわ。でも、何度もあなたを見ていたけど、あなたは穏やかに過ごしているだけだったから」
少女は、ラウリーに話しかける何日も前から、ラウリーのことを知っていたようでした。
そして、少女はラウリーの顔を覗き込んで、続けました。
「あなたの瞳は、優しいオレンジ色。そんな竜が怖いとは、思えない」
「……でも、他の竜はわからないよ」
ラウリーは忠告しました。
他の竜は、ラウリーとは違うのですから。
「ふふっ、ありがとう。あなたは優しい竜ね。ねぇ、お名前は?」
「……ラウリー」
「ラウリーね。私は、リシアよ」
リシアは嬉しそうに、友達の竜の名前を何度もつぶやきました。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「ラウリーは、どうしていつもここにいるの?」
ある日、リシアがふいに尋ねました。
大きなラウリーの体を背もたれにして座り、色とりどりの花を編み込みながら。
「君が来るからだよ」
「ふぅん。それより前は?」
リシアはなんとなく気になったのでしょう。
でも、ラウリーは返事に困りました。
ここにいつもいる最初の理由は、人目を避けるため。だけど、もうリシアがいます。
本当の理由は、別にありました。
少し迷って、ラウリーは口を開きました。
リシアになら、話してもいいと思ったのです。
「…………探しものをしていたんだ」
「探しもの?」
リシアは手元に集中して、顔を上げません。
「とても、大事なもの」
「大事なものって、何?」
「……知りたい?」
ラウリーは、リシアをじっと見つめました。
でも、リシアはそれに気付きません。
きっと、問いかけたことにも気付いていません。
花を編み込むことに夢中になっていました。
諦めたラウリーは、顔を背けて、ため息をつきました。
「きっと、僕には見つけられないんだ。だから、諦めて、ここで静かに過ごすことにした」
リシアは何も言いません。
でも、手を止めて、ラウリーを見上げていました。
ため息は、聞こえていたようです。
最後の一編みをして、リシアはラウリーに言いました。
「ねぇ、頭を下げてくれる?」
なぜ? と思いつつ、ラウリーは言われた通りに頭を下げました。
高さは、リシアの目線と同じくらい。
すると、頭にふんわりと何かを乗せられました。
「ふふっ。ぴったり」
乗せられたのは、リシアが編んでいた花の冠でした。
ちゃんとラウリー用に、大きな冠です。
「大事なもの、きっと見つかるわ」
ラウリーの顔に、小さな両手が添えられました。
ちゅ、と頬に優しくキスを落とされ。
驚くラウリーに、リシアは、はにかみました。
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またある日のこと。
やってきたリシアは、ひどく落ち込んでいるようでした。
一体どうしたのかと、ラウリーが心配していると。
「私ね、結婚させられるかもしれないの」
リシアは、ぽつりと言いました。
「お父様はいろんな商売をしていて、うちは裕福だったわ。でも、悪い人に騙されてしまって……」
ラウリーは言葉が出ず、話の続きを待ちました。
「大きな借金ができてしまったの。それで、支払えないなら、私をと」
「そんな、まさか」
「お父様が今、一生懸命どうにかしようとしてくれてるわ。でも、このままじゃ……」
リシアの瞳に涙が浮かびました。
このままでは、望まない結婚をさせられてしまう。
ラウリーは、リシアを助けたいと思いました。
立ち上がったラウリーは、大きな口で、体の鱗をいくつも剥がしました。
黒く、どんな物よりも硬い鱗。古くなったものは、簡単に剥がれます。
「リシア、これをあげるよ。竜の鱗は珍しいから、君の助けになるはずだ」
「ラウリー……! どうも、ありがとう」
リシアはラウリーの鱗を両手いっぱいに持つと、急いで家へと帰っていきました。
ラウリーは、リシアの後ろ姿を見送りました。
そして、思い出していました。
それはずいぶんと前のこと。
ラウリーがまだ、人間だった時のこと。
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ラウリーは、名家に生まれた、たったひとりの男の子でした。
やっと誕生した跡取りに、ラウリーの両親は大喜びしました。
とても厳しくしつけられ、習い事の毎日。
でも、そのぶん愛情をたっぷりと注がれ、ラウリーは素直で優しい青年へと成長しました。
幸せな日々。
それがずっと続くのが、当たり前だと思っていました。
しかし、そうではありませんでした。
ある日、父が大きな借金をつくって帰ってきました。
リシアの父と同じく、騙されてしまったのです。
裕福な生活は、一気に貧乏に。
それだけでなく、毎日お金の取り立てや、嫌がらせが続きました。
両親も、ラウリーも、限界でした。
働いても働いても、貧しくなるばかりでした。
そんな時に、ラウリーの前に、魔法使いの男の子が現れました。
魔法使いは言いました。
「助けてあげようか?」
ラウリーは驚きましたが、藁にもすがる思いで、魔法使いにお願いしました。
「家族を、助けてください」
魔法使いはにっこり笑って、頷きました。
「でも、君と引き換えだよ」
「僕と?」
「そう。僕は君になる」
「じゃあ、僕は?」
「君は、恐ろしい竜になる」
魔法使いは、持っていた杖を振りました。
するとたちまち、ラウリーの姿は変わっていきました。
体は大きく、太い尻尾が生えて。背中には翼もあります。
鋭い爪に、口には鋭い牙が並んで。
黒い鱗の、恐ろしい竜の姿になってしまいました。
「そんな……!」
「助けてって、言ったでしょう?」
魔法使いは、竜になったラウリーの鱗を剥がすと、自分にも魔法をかけました。
魔法使いは、人間のラウリーの姿になったのです。
「僕は君になる。君の家族を助けて、君の家族をもらう」
「どうしてそんなことを……」
「わからないの? 僕が欲しいのは、家族だよ」
魔法使いは、寂しそうに言いました。
そして、続けて。
「元の姿に戻りたいなら、君を愛してくれる人を探すんだ」
また、杖を振りました。
すると今度はとても強い風が吹いて、ラウリーはあっという間に、遠くの国へ吹き飛ばされてしまいました。
それからラウリーがどれだけ探しても、家族は見つかりませんでした。
魔法使いも見つかりません。
そして、こんな竜の姿を愛してくれる人も、見つかるわけがありません。
怖がられるか、鱗欲しさに襲ってくるかの、どちらかでした。
そんなわけで、探すことを諦めたラウリーは、人に会うことのない森の奥にいたのです。
心地よいひだまりでまどろみながら、リシアに、出会うまで。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
リシアを見送ってから数日。
めずらしく、雨の降る日でした。
ラウリーは雨に打たれながら、リシアは大丈夫だろうかと、考えていました。
雨粒が草木に落ち、ポツンっと音を立てます。
それがいくつもの音を重ねて、大きな音となり、ラウリーは気づきませんでした。
背後に、武器を持った集団がいたのです。
一人が、矢を放ちました。
でも、ラウリーの硬い鱗はそれを簡単に弾きました。
先頭の、剣を携えた男が、大きな声で言います。
「鱗には傷をつけるな! 金にならなくなる」
その言葉で、ラウリーはどうして襲われているのかを理解しました。
でも、どうして。
僕がここにいることを、どうやって?
その疑問は、集団の後ろから聞こえた声が教えてくれました。
「ラウリー!」
リシアでした。
拘束されたリシアが、逃げてと、叫んでいました。
「リシア!」
ラウリーは翼を広げ、武器を持って向かってくる男たちを振り払いました。
何度も、何度も、振り払いました。
いくら襲ってくる人間でも、傷つけたくない。
その優しさが、ラウリーの翼をボロボロにしました。
でも、そのうちに、立ち上がれる者もいなくなりました。
すると、剣を携えた男が、ラウリーの前に立ちました。
鱗を傷つけるな、と言った男です。
剣を抜き、ラウリーを目がけて斬りかかってきました。
キィンと、鱗が剣を跳ね返す音。
男は後ろにふらつきましたが、また剣を構えました。
「やめて!」
リシアが拘束を振り切り、男にすがりつきました。
「私があなたと結婚すればいいんでしょう? お願いだから、ラウリーを傷付けないで!」
リシアの必死な様子に、男はニヤリと笑いました。
すがるリシアを突き飛ばし、ラウリーを見て舌舐めずりをしました。
「お前との結婚? それは、他に奪うものがなかったからだ。でもお前は、竜の鱗を持ってきた。こいつの鱗をぜんぶ売れば、俺は大金持ちだ!」
男は、勢いをつけてラウリーに斬りかかってきます。
鱗を傷つけないようにか、狙うのは首です。
ラウリーはそれを避けて、尻尾で剣を弾きました。
遠くへ飛んだ剣は、木に突き刺さり、男は丸腰になりました。
尻もちをついた男は、大きなラウリーを見上げて、怯えた顔をしました。
「……リシアに、二度と近づくな」
こんな男でも傷つけたくないラウリーは、それだけを言いました。
突き飛ばされ、座り込んだリシアはラウリーに手を伸ばしました。
ラウリーもリシアに近づこうと、男から目を離しました。
すると途端に、リシアの顔がひきつり、悲鳴を上げました。
「だめっ————!!」
ラウリーのお腹に、痛みが走りました。
見てみると、丸腰だと思っていた男は短剣を持ち、ラウリーの鱗の薄いお腹に突き立てていたのです。
ニヤリと笑う男に、ラウリーは低くうなりました。
手で振り払い、尻尾で男を弾き飛ばしました。
男は木に背中を打ちつけ、気を失いました。
ラウリーも、そこで倒れてしまいました。
リシアがラウリーのそばに駆け寄ります。
「ごめんなさい、ラウリー。ごめんなさい。私が安易に、あの男に鱗を見せてしまったから……」
泣きじゃくるリシアは、ラウリーの頭を抱きかかえました。
「……いいんだよ、リシア。怪我はしていない?」
頷くリシアに、ラウリーは安心してまぶたを閉じました。
お腹の傷が、とても痛みます。
雨水とともに、あたたかいものが流れていくのを感じました。
「ラウリー、ラウリーお願い。目を開けて」
リシアが言いますが、ラウリーはだんだんと眠くなってきてしまいました。
体から力が抜けていきます。
「探しもの、まだ見つけていないんでしょう? ラウリー、目を開けて」
「探しもの……」
ラウリーはうっすらと目を開けました。
オレンジ色の瞳に、雨に濡れた、泣き顔のリシアが映りました。
「もう、見つけたよ」
ラウリーはぼやける意識で、リシアを見つめました。
「————君だ」
それだけ振り絞って言うと、ラウリーはまたまぶたを閉じてしまいました。
リシアはラウリーをぎゅっと抱きしめました。
閉ざしてしまったまぶたに、そっとキスを落として。
「私もだよ」
こぼれた涙が、雨粒と一緒に、ラウリーに落ちました。
いくつもの雨粒がラウリーをすべり、硬い鱗を流していきます。
鋭い爪も、口に並ぶ鋭い牙も。
太い尻尾も、ボロボロの翼も。
そして、お腹の傷も。
淡い光をまとったラウリーは、形を変えていきました。
リシアの腕に抱かれた、まったく違う姿の青年。
驚いたリシアでしたが、目を覚ました青年の瞳はラウリーと同じ色。
優しいオレンジ色の瞳が、リシアを見つけて、微笑みました。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
森の奥、青年のラウリーは、ひだまりの中でまどろんでいました。
さわさわ。さわさわ。
風が草木を揺らして、穏やかな時間が流れます。
あたたかい太陽の光に、まぶたが落ちそうになるのを我慢して。
カサリ、と立つ音に、愛しさで目を細めました。
「ラウリー、帰りましょ」
迎えに来たリシアは、以前よりも小さくは見えません。
それでも、ラウリーよりは小柄な少女。
華奢な手を取れば、頬を染めて。
嬉しそうに、はにかみました。
やっと見つけた、ラウリーの大事なもの。
竜の姿でも愛してくれる、リシアの「愛」。
先に歩き出そうとするリシアに、ラウリーは声を少しだけ大きくしました。
「待って」
振り返るリシアに、恥ずかしさで目をそらして。
今度は、小さな声で言いました。
「……僕と、結婚してくれる?」
さわさわと、草木が音を立てました。
小鳥のさえずりは、まるで祝福しているかのようです。
ひだまりの柔らかな光がきらきらと輝き、リシアとラウリーを包みこんで。
手を取りあったふたりは、幸せに微笑み合うと、誓いのキスをしました。