思い出を共有する人
(塔子)
そんなことが春にあって、夏が過ぎて、秋になった。
息子の引っ越しのとき、迷っていたなっちゃんは結局、東京で就職をした。月に一回ぐらいなっちゃんが仙台に来て会う生活を続けている。まぁ今のところ別れたという話は聞いていない。
とある週末の夜、お店を閉めた後にタケコさんと売り上げの集計とか事務作業をおしゃべりしながらしていたら、清一から電話が来た。
「なに?」
「明日の夕方から、時間取ってくれない?」
「別にいいけど、なに?急に。」
「大事な話があって。あの、父さんも一緒。」
眉を寄せた。
「なに?」
「あ、それはまた、明日ちゃんと話すから。場所決めてまた連絡するね。絶対空けといてよ。」
電話が切れた。清一にしては、なんか、強引だったような……。
「清一君ですか?」
「ああ、うん。なんか急に会いたいって。」
「そうですか。」
「変なの、旦那も一緒にって。なんだろ?」
あ、言い間違えた。
「ええっと、元旦那。」
「わざわざ言い直さなくてもいいですよ。」
その後、タケコさんが目をキラキラさせた。
「それは、あれじゃないですか?両親そろってって、結婚?」
一瞬時が止まる。
「まっさかあ。」
笑った。
「今のご時世、早すぎるわよ。あの子たちまだ大学卒業したばっかよ。」
自分のことは棚にあげますが。
「じゃあ、何でしょうね?わざわざ両親そろってって。」
「ああ。」
ぐるぐる回るガラスのテーブルがついた中華料理屋さんの個室に入ると、拓也さんがいた。
「久しぶり。」
家を売る件とかで顔を合わしたきり。物贈ってもらったお礼はメールで済ましてたから、声も聴いてなかったし、顔を見たのはほんと何年かぶりだった。
「皆さんお元気ですか?」
「ああ、おかげ様で。」
「息子さん何歳になったんだっけ?」
「2歳」
「かわいい頃だね。」
そんで、ちょっと沈黙。会話が続きません。
「そういえば、今日何の話なんだろう?なんか聞いてる?」
「いや、会ってから話すって。」
なんかやばい投資とかに手、出して金貸してとかだったらどうしよう?ふとそんな考えがよぎる。
「あ、そうそう、いつもいろいろ送ってくれてありがとう。」
「あ、いや、別に。」
このチャンスに言ってしまおう。もう、要りませんって。
「ごめん。遅くなっちゃって。」
ドアが開いた。このタイミングで入ってくるのか清一……。
「こんばんは。」
「あれ?」
なっちゃんが一緒だった。それで休みなのに息子はスーツ姿だった。
「2人そろってどうしたの?」
「ああ、うん。」
なんか変な顔してる。
「とりあえず、食事始めよう。食事しながら話すから。」
そう言って、丸テーブル囲んだ。
「父さんが指定したんだから、父さんがおいしいの頼んでよ。」
「ああ、うん。なっちゃんは食べられない物とかあったっけ?」
「いや、ないです。」
にこにこしてるんだけど、ちょっといつもより表情が硬い気がする。
料理注文して、飲み物を注ぐ。なっちゃんがビールを飲まずに、お茶を茶碗に注ぐ。これ、もしかして、もしかするんだろうか。とこの段階になって思う。
「実は……」
乾杯の前に清一が口を開く。親2人前にして、言いよどんでる。黙ってじっと息子が口を開くのを待つ。
「子供ができちゃって。」
「え……」
拓也さんが声をあげた。やっぱりそうなんだ……。驚いた。
「その、思っていたより早いんだけど、結婚しようと思ってて。」
しばらく何も言えない。
「向こうのご両親には?」
「今日のお昼に挨拶に行った。」
「了承してもらったの?」
「うん。」
2人で顔を見合わせた。拓也さんと。
あの清一が結婚するのか……。
「夏美さんのご両親はわたしたちが離婚していることは気にされないのかな?」
拓也さんがなっちゃんに聞く。なっちゃんはちらりと清一を見てから言った。
「うちの両親なら大丈夫だと思います。」
「そうか。それならよかった。清一、夏美さんおめでとう。」
2人はわたしたちの目の前でゆっくりと恥ずかしそうに笑った。
その時に、まだ小学生だった2人が部屋の中で並んで何かおしゃべりしてて声をあげて笑っていた顔を思い出した。
あの子たちが大きくなって結婚するのか。
まだ、信じられない。だって、ついこの前のことのように思えるのに。あのちっちゃい2人を見てたのが。
4人で食事して、会計を済まして、帰っていく2人を見送る。
「すぐに帰っちゃう?」
拓也さんに言われた。
「あなたはすぐ帰らないと。」
こういう言い方がかわいくないんだとは分かってるんだけど。
「折角の夜だし、一杯だけ祝杯あげませんか?」
清一が結婚する。拓也さんがいなければ、あの子は生きてなかった。こんな夜はなかった。そのことを突然思い出して、大いに反省した。
「じゃあ、一杯だけ。」
「嬉しいね。あの清一が結婚して父親になるなんて。」
いい笑顔をした。
「清一は柊二のこと、知ってるの?実の父親のこと。」
「ああ……。」
わたしは思い出した。
「あなたはああいったけど、まだ話してません。これから話すことがあるかもしれないけど。」
「そうか。」
何とも言えない表情をしていた。拓也さん、この時。
「柊二がいても、きっと喜んだろうな。」
2人で笑った。
「でも、柊二君が父親してるとこなんて想像つかない。」
「そうだね、どんな父親になったんだろう?今日あの場であいつならなんて言ったんだろうな?」
「きっとね。」
わたしは思い出した。昔のことを。
「慌ててビール瓶倒しちゃうわよ。」
そして、2人で笑った。
「年取ったあいつに会ってみたかったな。」
拓也さんと会って、本当に久しぶりに柊二君のことを思い出した。
「あの若いときのままなのかなぁ。」
「どうだろうね。でも、柊二君は変わらない気がする。」
わたしの胸の中に思い浮かぶまだ若いままの顔で。
「拓也さん、わたしと清一の面倒をみてくれて本当にありがとうございました。」
改めてお礼を言った。
「僕がしたくてしたことだから。」
彼は笑った。
「清一が結婚か……。清一になっちゃんみたいな子がいてよかったよ。」
「そうね。」
「あいつ、東京行ってからちょっと心配な時期があったから。」
「え?」
「塔子さんには言わなかったけど、ちょっとね。でも、なっちゃんと一緒にいるようになってからはずっと落ち着いたよ。」
「そうなんだ。」
知らなかった。
「あなたに言ったら、気にすると思って言いませんでした。すみません。」
「……もう、大丈夫なのかな?」
「うーん。どうかな?」
前を向いたままで拓也さんは言った。
「ただ、もし何か清一に問題あるときはさ、僕や君やこれからはなっちゃんが一緒に手伝ってあげればいいんじゃないかな?」
「うん。」
「いい意味で、少し変わったと思うんだよ。あの子。」
「え?」
「前向きになった気がする。明るくなったというか。」
ふと、思い出す。全然笑えなかったときのあの子を。
「うん。そうね。昔に比べたら全然。」
「だから、大丈夫だと思うよ。これからは、もう。」
手を握られた。励ますつもりだったんだと思う。
「あ、ごめんなさい。癖で。」
ぱっと離した。ぷっと笑った。
「何やってんだろうね。こんないい年して。」
「しっかりしてよ。奥さん泣かしちゃだめよ。」
いい加減帰る時間か。腕時計を見る。ラッキーが待ってる。夜の散歩は悪いけど今日はお預け。
「最近、忙しい?」
店の前で別れ際、拓也さんにそう言われた。
「うん。まあまあかな。」
「体だけは気を付けてね。」
「あなたもね。」
そう言って、手を振っていこうとすると背中から声をかけられた。
「何か困ったことがあったら、いつでも連絡して。」
前の別れ際も、この人はこう言った。わたしはだけど、もう数年、ほとんど連絡らしい連絡をしていない。それでもまだ、こんなことを言うんだ。
「うん。わかった。ありがとう。」
そう言って、背中を見せて歩き出すときに、何とも言えない寂しい気持ちがした。命を助けてもらった。二度も。清一も合わせて。そういう深い絆を持った人と今、何年も顔を合わせない関係になった。
柊二君との思い出を共有する人。
他の人とでは、分かち合えないものを持っている人。お互いに。
だから、拓也さんはまだどこかでわたしとつながりたいと思っている。それで、わたしが連絡をしないと分かっていても、あんなことを言う。そして、何かのおりにわたしにいろいろ送り付けてくるんだわ。
でも、どうしろというのだろう?奥さんや子供のいる人と、どうかかわれと言うのだろう?
全て自分の物だった男の人を手放した後に、一体どんなふうにその人とかかわる?今更その人の一部だけを所有するような、そんな器用さ、わたしは持ち合わせていない。