時を超えて残るもの
(塔子)
「ほんとに、仙台に配属決まったよ。」
清一から電話があった。6月になってから。
「いつから?」
「今月末に引っ越し済ませて、7月1日から仙台に出勤する。」
「家とかどうするの?」
「ああ、それは大丈夫。支社の人がもう適当に候補見つけてくれてるから。」
たんたんとした口調だった。
「なっちゃん、寂しがってない?」
そういうと電話口で軽く笑った。
「なに?」
「いや、母さんっていつもなつのこと気にしてるね。」
「変?」
「いや、別に。」
そんなこんなで、結局寂しがってるのか?適当にごまかされて電話は切れる。
大地君が抜けたあとに、また、バイトを入れる。
「男の子にしません?」
「却下」
こんな少ない人数、女だけで固めたほうが楽だって。
「でも、何もなくても、毎日一人若い男の子がそばにいるとほっとするんだけどな。」
タケコさんたら、もう、あけすけすぎる。
「大地君のときも、そんなこと考えてたの?タケコさん。」
「え?うーん。ちょっとは?やっぱり変化が必要ですよ。このくらいの年齢になったら、刺激が。」
「……」
「それに、お店のお客さんだって、イケメン目当てに来るかもですよ。」
「なっ!」
なんじゃ、そりゃ。
「店長は、修道女みたいなんですよ。ときどき感覚が。」
「修道女で結構。」
「きれいごとばっか言ってたら、金儲けなんてできませんよ。」
「……」
でも、結局雑貨屋のバイト募集にくる子、女の子が多かったです。時給がね、そんなによくないから。雑貨好きの女の子が来るんだって。
「ちえー」
すみれとたけこで陰でがっかりしてた。
「あんな、大地君みたいな子、おいそれといないって。」
「元気にしてますかね?」
「さぁ、どうだかね。」
清一の引っ越の日になった。新居に手伝いに行ったら、なっちゃんが一緒にいた。
「あら?わざわざ来たの?」
「なんか、つい。」
浮かない顔をしている。
「先に掃除しないと。」
清一はもくもくと掃除を始める。
「大切にされてるわね。清一。」
背中から声かけた。
「え?」
きょとんとこっち向く。全く自覚ないのか。
1人分の荷物しかないから、結構さっさと片付いた。3人で遅めの昼食に出かける。近くの中華料理屋へ入った。
適当に頼んで、みんなで取り合う。
「これ、母さん持っててよ。」
スペアキーを渡された。
「なっちゃんのは?」
「それは別に作るから。それと、母さんのカギも預かるよ。」
「え?」
清一がしかめ面した。
「やなの?」
その後に不審な顔になった。
「もしかして……」
「いや、別に。いいけど、なんで?」
ちょっとあきれた顔をする。
「俺もしばらくは近くにいるんだし。何かあったときに、母さんとこはラッキーもいるんだしさ。誰かもう一人鍵持ってる人がいたほうがいいでしょ?」
「何かって?」
「予測できない出来事があって、母さんが家に帰れなくなったとき、鍵があったら俺が代わりに部屋に入れるでしょ?」
「ああ……」
なっちゃんがわたしと清一を交互に見ながら、チャーハンを頬張っている。
「それとも、俺がわざわざ気を使わなくても、そういうことしてくれる人がいるの?」
「いません。」
どいつもこいつも寄れば必ずこういう話をするんだから。ぐいっとコップに入ったビールを飲んだ。
「久しぶりの餃子がおいしい。餃子とビール。」
話題を切ってやった。
「いても別にひかないし、応援するよ。」
戻された。
「あのね、若い頃ならともかく、この年になったら一人のほうが楽しいんだって。ラッキーもいるし。」
なっちゃんがそっと瓶ビールを注いでくれる。
「若い自分と同じ感覚で考えないで。」
「別に母さんがそれでいいならいいけどさ。」
いつの間にか立場が逆転してる。心配してたのが心配される側か。
「最近、父さんに会った?」
「ええっ?」
今度はその話かい。よくもまあ、次から次と。
「別に用事ないし。」
「電話で話したりとかも?」
「必要ないわ。」
「……」
「清一は会ったり、話したりしてるんでしょ?」
「うん。まあね。」
「じゃあ、いいじゃない。それで。」
なっちゃんが、酢豚を食べている。
「なっちゃんは、就職どうするの?」
「あ」
止まった。先に清一を見る。
「説明会とか行ったり、ちょこっと受けたりしながら考え中で。」
「東京?」
もう一度清一のことちらりとみて、ちょっとため息ついた。
「仙台、帰ってきたい気もあるんですけど……。とりあえず、東京で。」
なんか若干ぎくしゃくしているような、気が、しないでもない。人の心配する暇あるのか?
「遠距離なっちゃうのね。」
「はい。」
しょぼんとした。かわいいなと思う。女の子はやっぱり素直な方がかわいいんだろうな。
「あ、でも、大丈夫です。」
そう言って笑った。
「じゃあ、母さんはもうこのまま帰るから。」
店の前で分かれる。
「あ、清一、ちょっと」
「なに?」
ちょっと腕引っ張って引き寄せて、なっちゃんから聞こえないように。
「あんた、しっかりしなさいよ。」
「言われなくても分かってるって。」
じゃあね、と歩きながら手を振る。2人で笑いながら手を振り返してくる。なんだろう?いつの間にかこの子たち、雰囲気が似ている。表情の様子?醸し出すトーン?前よりもっと2人でいてしっくりしている気がする。そりゃそうか、付き合いだして何年だっけ?それに付き合う前から一緒にいる時間が長かったからな。あの子たちは。
わざわざ心配することもなかったか、と思い直す。
昼過ぎの変な時間に、ビールを飲んでほろ酔いで帰る。
あの子たちから見たら、わたしは一人ぼっちに見えるんだろうな、と思う。別にそこまで大変でもないんだけどな、心配するほどに。
ふと思う。大地君のいった一言。孤高。
そう、孤高なのだよ。わたしは。
だから、そこまでほんと、大変じゃないんだって。だから、ほっといて。
スウェーデンに行く日がまた来た。この前行ったのが春先。それから4か月ぐらい経っていた。
「これ、大地君に持ってってあげてください。」
タケコさんに紙袋渡された。覗くと、味付けのりとか、味噌汁とか、うん。日本食ね。
「ちゃんとわたしとすみれちゃんからって言ってくださいね。」
「はい。」
「あ、それと、様子を写真に撮ってきてくださいね。」
「大地君の?」
「はい。元気にしてるか、気になるから。」
にこにこしてる。タケコさん。
「はい。」
現地につくと、大地君が空港まで来ていた。
「え?なんで?」
「いや。オーナーに、恩人はちゃんと大切にしろって言われまして。」
笑顔はきれいだった。そして、大地君は……
「また、髭生やしたの?髪も伸ばして。」
「へへへ。」
熊に戻っていた。
「でも、前のときとなんか違うね。」
タクシーに乗って移動中に話しかける。
「ああ、今回はちゃんと髭手入れしてますから。前のはただそのまま伸ばしてた。」
「欧米の人って、大人の男の人、髭伸ばしてる人多いものね。」
「こっちになじんだほうがいろいろ便利かなと思って。」
それはそうだ。
「どう?最近。」
彼はまっすぐ前を見た。
「楽しいです。」
「それだけ?」
「はい。」
「うまくやってるよ。心配しないでも、大地は。」
エマにも言われた。
「いろんなこと覚えた。飲み込みが早いってみんな喜んでいる。」
「そう、よかった。安心したわ。」
夜に呼び出して夕食をご馳走した。
「あ、これ、預かってきたわ。」
日本食の紙袋を渡す。
「あ、味噌汁だ。」
喜んでいる。
「日本が恋しい?」
こっちを見た。
「まだ、大丈夫です。」
その後つけたしで笑った。
「俺、海外にこんなに長くいるの初めてですけど、結構海外向いているのかも。」
「それは……」
言いかけて、やめた。
きっと重くて悲しいことを完全に忘れられるんだよ。外国へ行けば、日本であったこと。でもね、それ、凍らしているだけじゃないのかな?
日本に戻ればまた傷はうずく。
時間が直せるものもあれば、直せない物もある。
「あ、そうそう、それ、すみれちゃんとタケコさんから。」
伝えろと言われてた。
「元気ですか?」
「ああ、元気元気。」
2人の様子を思い浮かべる。
「すみれちゃんは今では結構、大地君の代わりに一生懸命お客さんの相手しているよ。ワックスの塗り方とかさ。この前、わたしの家のテーブルもきれいにしてくれた。」
「そうなんだ。」
そう言って笑った。
「ときどきメールくれます。」
「え?そうなの?」
知らなかった。
「常連さんの様子とか、聞かれてわからなかったこととか。」
「へぇ~。」
その後、静かにコーヒー飲んでる。
「何か?」
「いや、別に。」
この子、日本にちゃんと友達とかいるのかな?すみれちゃん以外にも連絡取り合っているような人いるんだろうか?
なんとなく、この子、日本との縁というかつながりが少しずつ薄くなってきている気がする。
帰って……、来なくなるんじゃないか?
もちろんそれが、この国で新しく友達とか恋人とか家族ができて、本人が満足ならいいけれど。そんな簡単に、そういう家族みたいなの、できない。よっぽどの縁がなければ、海外で。
「家具、作るの、はかどっている?」
顔がぱっと明るくなった。
「デザインとか、加工の仕方とか、今まで知らなかったことがいっぱいあって。」
いろいろと語りだす。
「なんで、リュースの家具だったのか、わからなかったんです。自分が何にひかれたのか。でも、普遍性だったのかなって、ちょっと思います。」
「普遍性?」
「流行り物を追ってるわけじゃないんですよね。リュースの家具って。オーナーのお爺さんの代から守ってきていることをたんたんと続けているんです。あ、でも、常に改良はしてるんですけど。」
「うん。」
「家具にもはやりすたりがあるし、それに、装飾が多いものだってありますよね。でも、僕はそういうのあまり惹かれなくて、やっぱり普遍性。時を超えても残るものに惹かれてるんだってわかりました。」
「なるほど。」
難しい話だね。
「ごてごてとプラスしていくのではなくて、究極の引き算なのかな?オーナーの作る家具は。どれだけ木から余計な物をそぎおとして、その木そのものの美しさを出すか。自然の中に入っていくようなその考え方が好きなんです。」
「うん。」
「気づきました。それで。」
少ししんとした顔をした。しんとした顔と目を。
「僕は、やっぱり伝統的なものに憧れてるんだって。」
意味はわかりました。すぐに。
「個として目立ちたかったわけじゃない。過去から続く物を受け取って温めたかったんだって、本当は。そして、次に渡す。そういうゆっくりとした時間の中で作っている家具だったから、リュースの家具に惹かれたんだと思います。」
それはつまり、自分の生まれた家もそういう家だからだったんだよね。
「オーナーに言われるんです。自分のルーツをきちんと大切にしなさいって。自分が日本人であることを、いつ、どこにいても忘れてはならないよって。」
「パパがいいそうなことだね。」
そう言うと笑った。
「今、人生の中でとても大事なことを学んでいるような気がします。」
目を伏せた顔を見る。ほほ笑んでいたけれど、きっと苦しんもいる。
「それは、よかったね。」
でも、たぶん、この子は大丈夫だと思う。
人にはそれぞれ生きる力があるから。
もしかしたら、日本からもっと遠くなってしまうかもしれない。でも、少なくともパパは、大事なことは伝えてくれている。だから、信じようと思う。パパやエマや、大地君自身の生きる力というか、そう、幸せになる力を。
頼まれていたので、工房までいって、作業している様子や、職場の他の職人の皆さんと並んでもらって写真を撮った。
身長が高い子だけあって、北欧の男の人たちの間で、そこまで浮いてなかった。
「いつの間にスウェーデン語、覚えたの?」
「片言ですよ。」
「でも、すごい。わたし、全然できないよ。」
「職人さんで英語話せない人、結構いるんで、必要に迫られて。」
「ええ?そんなんで一緒に作業してて大丈夫なの?」
「不思議と、言葉が片言でも通じるんですよ。なんか同じことに携わっていると、言葉じゃないというか……」
そう言って少し照れていた。大地君。
「わぁ!」
「ええ?」
日本に戻って、2人に写真を見せると、騒いでいる。
「なんか熊に戻ったよね。」
「う~ん。いや、これは熊に進化した?」
どういう意味?
「あの出会ったころの熊っぷりとはまた、一味違います。」
「なるほど。たしかに。」
目の色が違う。あの出会ったころはもっと元気のない覇気のない目してたわ。
「元気でした?」
「ん?ああ、うん。楽しそうにがんばってたよ。そうそう、味噌汁喜んでたわ。即席みそ汁。」
「そうですよねぇ。やっぱり日本が恋しくなりますよねぇ。」
そう言って笑うすみれちゃんの顔を見ながら思う。ただ純粋に日本が恋しいと思えない人もこの世にはいる。それは、すみれちゃんは知らなくてもいいのだと思うけれど。