ほどよく遠い距離
(塔子)
わたしは日本に戻った。やらなきゃいけないことは山積みだった。新店舗の内装を決めて、工房をどこにおくかとか、全体の人員体制をどうするか、そして、それに伴う人件費関連の計算をして、収支計画に手を入れていく。
拓也さんには定期的に決算状況を報告するように言われていて、たまに呼び出されてはご指導を受けていた。
「まだまだ収支分析が甘い。」
「はい。」
「見せるために置く物、売り上げあげるために置く物、ちゃんと目的を意識した仕入れしないとだめだよ。」
「見せるために置く物ってなんですか?」
「ぱっと目についていいなと思って取るんだけど、最終的には買わないで、そばにあるもう少し無難な物を買うことってない?」
「あります。」
「でも、それは、無難な物だけ並べてると意外と売れないんだよ。」
「え?なんで?」
「派手な物と比較して、やっぱりこっちのほうがいいかと思う。派手な物がないと無難な物がいいって見えなかったりする。」
「へ~。」
勉強なるわ。
「感心してないで、トーコさんが選んだ物、今の店の中でどれが見せるためのもので、どれが売り上げ上げるための物?」
「……」
「売れ筋分析して、それつかんで。」
「はい。」
「今度の店舗は今の店舗より売り場面積広いし、客層が一気に広がる。チャンスだけど、一番最初に全ての層に訴えかけるような幅広い展示ができないと、お客さんつかみそこねるよ。」
「え?」
また、なんか難しいことを。
「ところで、今の既存店舗の客層ってどの層が中心なの?」
「……」
そして、拓也さんは笑い始める。
「いじめて遊んでる?」
「いや、でも、全部店舗経営に必要だってことは間違いじゃないから。」
そう言って、まだ笑ってる。
「なにがおかしいの?」
「いや。塔子さんは大学とかでこういう勉強してるわけじゃないし、今まで職場でこういう指導受けてきたことないじゃない。いわば、新入社員みたいなものだよね。」
「うん。」
「普通はこんな教え方しない。ゆっくり順序立てないと混乱するじゃない。でも、文句ひとつ言わず聞いてるのが面白くて。」
なんだそりゃ。
「だって、時間ないし。」
「うん。時間ないね。」
そう言って真面目な顔に戻った。
「ちょっとふざけるのをやめて、真面目に説明します。」
「はい。」
「客層っていうのは、二つの観点があって、年齢層と収入層とでもいうのかな、収入の多さによって分けるのね。あと、男女だね。社会人か学生か、とか。」
「はい。」
「どの層の人に売れる物を売っているのか、まず主力商品のポテンシャルを確かめて、それから、更に次狙える層を探るんだね。」
「うーん。」
「簡単に言えばさ、20代のOLに人気のお店が、30代のOLにも人気のお店にしようというのと、高校生にも人気のお店にしようというのとどっちが簡単だと思う?」
「30代OL」
「そう、簡単でしょ?簡単なことだけど、常にターゲットを意識して物をそろえるのとそうでないのは差が出るよ。売り上げに。」
はぁ~。とため息が出た。なんというか、知らなかったことばっかり。
「つかれた?ちょっと休憩しようか。」
頭から煙が出ています。今。
「うちに入ってくる大卒新人より塔子さんのほうが全然優秀だよ。」
むく。顔をあげた。初めてほめられた。
「ほんと?」
「ほんと、ほんと。めげないし。文句言わないし。」
ちょっと元気出た。
「ご両親が事故で亡くならなかったら、大学行ってた?」
「う~ん。どうだろう?行っても短大かな?」
「じゃあ、仕事は?何かやりたいこととかなかったの?」
眉間にしわ寄せる。考えたことなかった。
「銀行員とかか?あの、窓口。」
「え?そうなの?」
そう言って楽しそうに笑った。
「もてただろうな。窓口塔子さんのとこだけ列長くなったんじゃない?」
その顔をしばらく見つめる。
拓也さん、結婚してるときはこんなこと言わなかったな。わたしがもてるとか、きれいだとか、かわいいとか。ぼんやりとそんなことを思う。
「それで、旦那は銀行員なんだ。」
「そうなるね。たぶん。」
「会ってみたかったな。銀行員の制服着た塔子さん。」
「百貨店の制服だって似たような物だったよ。」
「ああ、懐かしいね。」
あの頃、よく柊二君が迎えに来てくれたな。
「あの頃、一番楽しかったな。」
ぽろりと言った。
「ずいぶん昔になっちゃったね。」
「ごめん。」
ふいに拓也さんが慌てる。
「なにが?」
「悲しいことも一緒に思い出しちゃった?」
「いや。最近は平気。思い出しても、平気になった。」
いい思い出になりました。
「そうだ。柊二君のお墓参り行ったの。」
拓也さんがちょっと驚く。
「お義兄さんに会ったよ。」
「ああ。」
「お義兄さん、わたしが拓也さんと結婚したの、知ってた。」
「ああ、それは……」
「なに?」
「柊二の家の人、誰にも教えないのもと思って、お義兄さんにだけ挨拶に行ったんだよ。少し時間が経ってからね。」
知らなかった。
「塔子さんは、元気のない時期だったから連れて行きませんでした。」
「そうか。」
どうして今更こんな話をしているんだろう?
なんで結婚している間にはこんなふうに話せなかったんだろう?
時計をそっと見た。
「さすがにもう遅い。帰ったほうがいいよ。」
「うん。」
「自分でも、本とか買っていろいろ勉強する。おすすめの本あったら、後で教えて。」
そう言ってわかれた。
大地君が帰国する日が来た。
成田で国内線に乗り換えて、仙台空港に着く予定。すみれちゃん休ませて空港まで迎えに行かせた。
「今頃もう会えましたかねぇ。」
タケコさんが言う。
「感動の再会?抱き合ったりするのかな?」
タケコさんは真剣に考えている。
「どうだろう?でもあの2人はまだそういう仲ではないと思うんですよね。」
「スウェーデンまで行ったのに?」
「う〜ん。」
真剣に悩んでる。そんなに大事な問題なの?これ。
携帯が鳴った。
「はい。」
「もしもーし、店長ですか?飛行機遅れるとかもなく大地君ピックアップしました。これから移動しますよ。」
「え?会えたの?」
「横にいますよ。代わりますか?」
「あ、いや、いい。じゃ、わたしたちも移動する。」
携帯切った。
「すみれちゃん?どうでした?声弾んでました?」
「いや、なんかふつーだったけど。」
「えー。」
勝手に周りで盛り上がってもしょうがないじゃん。今日は早めに店閉めて、大地君のお帰りパーティーする予定。店を閉める。
「あ〜、大地君も帰ってきたし、いよいよですねー。」
ビルの外装工事が終わった。これから内装工事に入る。内装工事が終わる頃には販売の人を更に何人か雇わなきゃいけない。
「店長、お酒飲むでしょ?わたしの車で行きましょう。帰り送りますよ。あ、でも……。」
何かいいかけてやめる。
「なに?」
「いや、帰りはオーナーが送りたがるかなって思って。」
「……」
その発言は無視して車に乗った。
市内から30分ほど走った郊外に、高遠君の持っている物件があって、元は普通の農家。倉庫と自宅がある。売ることもできないし、ほったらかしになっていたのをとりあえず工房代わりに使えと言われた。
「鍵持ってんですか?店長。」
「もちろん持ってるわよ。」
がちゃがちゃ開ける。
「なんか広いね~。」
「昔ながらの農家ですもんね。」
「一人で住むのに、なんか怖いなぁ。」
「店長が住むわけじゃないでしょ。」
玄関立派だな。
「お邪魔します。」
靴脱いであがる。
「電気よし?」
「よし。」
ぱちん、電気つきました。
「水は?」
「よし。」
台所、水出ました。
「ガス?」
ぱち、つきました。
「完璧じゃん。」
「布団とかってどうするって言ってたっけ?」
「ああ、それは……」
タケコさんがにやにやする。
「ほら、見てくださいよ。」
「ちょっと、いくらなんでも寝室のぞくのは失礼じゃない?まだ住んでいないとはいえ。」
でも、覗きます。
「おお。」
「これはすみれちゃんが家で余ってたって持ってきたんですよ。でも、シーツとか枕カバーは新しいの買って、洗濯して乾かして持ってきてますよ。これ。」
2人でちょっと忍び笑いしてしまった。
「ああ、やだやだ。さみしい中年女が二人で。」
「やめよう。やめよう。さすがにひいたわ。自分で自分に。」
おーい。と玄関のほうで声がした。
「はいはい。」
「手伝え。まだ車の中にいろいろあるから。」
高遠君が来た。なんか隣に若い、髪の毛茶色い男の子がいます。
「誰?」
「いいから先にこれ持て、重い。」
「はいはい。」
受け取って中覗いた。
「ケンタッキーだ。」
「こっちはピザだ。」
「それで、これがシャンパンだ。」
台所のテーブルの上に持ってく。
「ちょっと、こんなジャンクフードに合わせるのに、なんで高いシャンパン買ってくるのよ。」
「そういう文句の言い方もあるのか、金出してないくせに。まだ、ビールとかあるから、手伝え。」
「あ、お寿司だ!店長お寿司。」
タケコさんが喜んでいる。
「どうしたんですか?オーナー、今日大盤振る舞いじゃないですか。」
「この程度でここまで言ってくれるタケコさんはかわいいなぁ。」
どうせ、わたしはかわいくないですよ。
「だから、この子なに?」
大人しくビール運んでる茶髪の子を指さす。
「親戚の子。学君。」
「どうも。」
「どうも。」
とりあえずお辞儀をしあった。
「なんで、今日は?」
「その子ね。金持ちのぼんぼんなんだけど、大学2回もおっこっちゃって。遊びまわってばっかいるからさ。で、とうとうおやっさんがきれちゃって、家追い出されたの。」
「はぁ。」
「で、俺が預かってるの。一時的に。」
「うん。」
「で、まぁ、あれだ。大地君手伝わせようと思って。」
「まじめに貧乏でも頑張ってる人のそばにおいて、やる気を出させようとしたわけだ。」
「それ、本人の目の前で、ネタばらしたらだめでしょ?」
学君をちらりと見る。学君もわたしをちらりとみる。
「あさはかだな。」
学君はさすがに同意はしないが、目は同意している。
「目途がたつまではさ、工房のほうに人雇うわけにもいかないでしょ?でも、よくわからんけど、家具の制作とかって一人でできない作業もあるんじゃない?だから、ちょうどいいから大地君と生活がてら一緒にいればと思って。」
「え?」
タケコさんと2人で反応した。
「なに?なんかまずいこと言った?」
「いや、布団がないです。」
ていうか、折角日本帰ってきたのに。家に男の子がいたらさ……。
「いや、別に今日から泊まらせるなんて言ってないじゃん。今日は顔合わせだよ。」
「着いたよ~。」
玄関のほうから、元気な声がする。
「あ、すみれちゃん。きゃ~。大地君!」
タケコさんが興奮している。おいおい、抱きついてないか。
「なんか雰囲気変わっちゃって。」
「お久しぶりです。タケコさん。」
相変わらず髪長くて、髭生えてたけど、小奇麗だった。
「あ、オーナー、このたびは機会与えていただいて……」
なんか小難しい挨拶を玄関先でやっている。
「あの、みんなでそんな狭いとこいないであがったら?」
わたしの家ではありませんが。
「それじゃあ、みなさん。かんぱーい。」
プラスチックのコップにシャンパン入れて飲む。
「せっかく日本帰ってきたんだから、日本酒の泡出るやつにすればよかったのに。」
「じゃあ、自分で用意しろよ。」
機嫌がいいと、悪態の調子がいいな。
「すみません。みなさん忙しいときに。」
「帰って来てすぐ、疲れてるから無理かなぁって思ったんだけどね。」
「でも、門出はにぎやかなほうがいいかなぁって思って。」
「ここって……。ほんとに僕が住んでいいんですか?家賃とかどうすればいいんですか?」
「うん。いいよ。いらない。」
高遠君がなんでもないように言う。
「光熱費とかはとりあえず払って。」
きょろきょろ周りを見回す。
「なんか、冷蔵庫とか、テレビとか一通りそろってんじゃん。」
「うん。まあね。わけありで手に入れたから。」
みんなでしんとした。
「大丈夫だよ。死人は出てないから。」
「……」
場が一瞬凍りました。
「あ、あの、俺、そういうの全然平気ですから。」
「平気もなにも、別に幽霊が出るとか死人が出たとか全然ないから。」
高遠君の日常を垣間見た気がしたわ。今。
「贅沢ゆうんじゃないよ。贅沢ゆうのはがっぽり利益だしてからにしてね。」
「はいはい。」
「返事は一回でいいです。」
「はい。」
スウェーデンでの話を聞いたり、駅ビルの新しいお店の話をしたりで、夜が更けていく。すみれちゃんは場のはじめからちゃっかり大地君の横に座って、今日はどっちかというと笑いながらみんなの話を聞いていた。
みんなが酔っぱらってきて、こっちを見ていないすきに、傍らにいた茶髪の学君に話しかける。
「高遠君が言ってたみたいに、ほんとにここに住むの?」
学君はコップを持ったままでじっとわたしを見る。
「ほんとはやじゃないの?だって、知らない人と住むんだよ。」
「家がないんでしょうがないんです。」
「でも、自分の家、なくなっちゃったわけじゃないんでしょ?」
「本気で怒らしちゃったんで、親父のこと。」
「ああ、そうか。やっちゃったのか。」
手酌でお代わり注いだ。
「あなたはなに飲んでるの?」
「ジュースです。」
「お酒飲むと、怒られるの?」
ちらりと高遠君のこと横目で見た。
「やめときます。」
「ああ、謹慎中の身なのね。」
よくわかりました。
「しばらく反省したふりすれば、許してもらえるかと思うので。」
「うん。」
「それまではちょっとご迷惑おかけするかと思いますが……」
そう言ってちょこっと頭下げた。いや、意外といい子じゃないですか。うん、でも、一緒に住むのはわたしではないんだけどね。
大地君の顔を見る。今日は嬉しそうに笑ってる。
「まあ、でも、あの人、怖い人じゃないから。大丈夫じゃないかな。」
「あ、はい。」
「さぁさぁ、みなさん。長居するのはなしですよ。」
そう言って頃合いで立ち上がる。
「あ、片付けはいいですよ。俺やりますから。」
「え、でも、大地君疲れてるでしょ。」
タケコさんが食い下がる。
「ああ、でも、わたしたちも今日は疲れてるよね。仕事だったから。すみれちゃん手伝ってあげてよ。片付け。」
返事を聞かずにタケコさんの肘引っ張って外に出る。
「帰ろう。帰ろう。」
高遠君と学君も出てきた。
「どうやって帰るの?」
「こいつ、飲んでないから。」
学君の肩ぽんぽんたたく。
「塔子は?」
「あ、わたし飲んでないんで。」
タケコさんが答える。
「じゃあ、またな。」
学君がぴょこんとお辞儀して高遠君について帰っていく。
「今日はオーナー、あっさりしてましたね。」
「だから、別になんもないし。ほら、帰ろう。」
「ね、2人取り残されて、いい感じなってるかな?」
「女子高校生ですか?店長。」
なによ。さっきまでのってきてたのに。ちえっ。
「そんな人のことでうきうきしないで、自分はどうなんですか?」
「わたしはラッキーがいればいいの。」
「また、それですか?」
「そういうタケコさんだって一人じゃない。」
「もし、店長に誰かいい人ができたら、わたしだって考えますよ。」
「え?そうなの?」
「やっぱり一人は寂しいですから。誰か一緒にいてくれるって人がいたら、いいですねぇ。贅沢はいいませんよ。イケオジじゃないとだめとかは。」
「なに?イケオジって。」
「いけてるおじさんのことです。」
「ふうん。」
暗い夜道をヘッドライトが照らす。前も後ろも車はない。しばらくタケコさんは黙った後にまた、ぽつりと言った。
「ほんとに興味ないんですね。男に。」
「興味がないっていうか……」
ぼんやりと思う。
「心地よい距離が、若い頃と違う。」
「距離?」
「近い距離より程よく遠いのがいいな。」
好きと認識しない。されない。友達なのか恋人なのかさえ考えない。名前をつけない感情、名前をつけない関係。
「ただ、ずっといてほしい。いなくならないでほしい。」
触れあえなくてもいい。触れあったその後にいなくなられるくらいなら、ずっと程よい距離でそばにいられればいい。
「年を取ってくると臆病になるよ。旦那と別れていなければこんなにはならなかったよな。」
「だから、一念発起して触れられる最後の旦那探しに行ったらどうです?」
「そんなん」
笑った。軽く。
「簡単に見つからないって。」
そして、思い出した。
「ああ、でもわたしにはラッキーがいるから。あの子は触りたい放題だよ。」
「たしかに下手な男よりラッキーのほうがいいわ。」




