僕はいつも間違っていた
(塔子)
「あの、すみません。ご無沙汰しています。」
「ああ、久しぶり。」
清一の結婚式以来。千夏ちゃんが生まれてからは、それぞれが別々に孫と会っている。
「ええっと、実は……」
「ああ、清一から聞いたよ。」
なに?あいつ、また、余計なことを……。
「なんか新規出店するかもしれなくて相談のってほしがってるって。」
久しぶりに電話ごしに聞く拓也さんの声は前と同じだった。やっぱり優しかった。
「悪いと思ったんだけど、こういうの、周りに相談できる人いなくって。」
「高遠さんは?」
「ああ、あの人は……。お金をね、出すのはあの人だから。判断はしてもらうとしても、判断材料はわたしが作らないとと思ったのよ。おんぶにだっこで資金出させるなんて、少額ならいいんだろうけど。今回はそれなりの金額になると思ったから。」
「うん。」
「それにあの人は投資家で、人が作ったアイディアや物を判断する人であって、自分でアイディアを作る人ではないの。」
「……。」
「だめ?忙しい、よね。」
「いや。大丈夫。時間作るよ。週末中心になると思うけど。」
少しじんとした。人に頼るということが最近は少なくて。頼ってほっとするという瞬間が。しっかりしないとと思う場面ばかりが増えて。
このくらいなら、許されるだろうか。
「会う前にデータをメールででもいいからください。お店の売り上げ推移。季節変動を見たいから、月ごとの推移が欲しいです。カテゴリー別に分かれてるの、3年分くらいは欲しいな。決算書と、販売品ごとの利益率が見えるデータと……」
「ちょっと待って、ちょっと待って。」
そんなん覚えられるか。
「ああ、じゃあ、欲しい物を連絡するから、メールで。あの、個人用ので大丈夫なの?」
「ああ、はい。わたしは個人用も仕事用もわけてないから。」
それから、メールで言われたデータを送った。普段から準備していないような細かなデータを言われて、在庫量の推移とか。それは言われてから作成した。
「実際に売っているものや様子を見たいから、お店に行ってもいいかな?」
しばらくたってから、拓也さんから連絡が入った。
「ああ、うん。」
「店長ですか?少々お待ちください。」
夕方、店の奥のほうでPCいじっていると、すみれちゃんの声が聞こえた。覗いた。
「あ、いらっしゃい。」
「うん。」
すみれちゃんがわたしと拓也さんの顔を交互に見ている。
「すみれちゃんは会ったことなかったか。」
「はぁ。」
「別れた主人です。」
「あ……。」
そのまましばらく固まりました。
「初めまして。」
「どうも。」
拓也さんはその後お店の中を一通り見ていく。すみれちゃんがわたしの袖をひっぱる。
「スーツの男の人がお店来るなんて珍しくって何かと思いました。」
「ああ、うん。」
「優しそうな人ですね。」
「ああ、うん。」
なんか何と答えればいいかわからずおざなりな返事になった。
でも、あまり優しくありませんでした。その後。
お店だとすみれちゃんの耳に入るからって、また、南条さんと一緒に入った喫茶店に入る。拓也さん、メガネを取って、こめかみを少しもんで、ため息をついた。
「すみません。忙しいのに。」
「いや、大丈夫。」
もう一回メガネかけた。
「あの、塔子さんのこと心配だから率直に言います。今のお店の状況なら、駅ビルみたいなとこに入ってやる必要はないでしょう?」
「……」
「駅ビルって、仙台でいちばん賃貸料の高い商業店舗だと思うんだよね、そこでやるメリットは来店者数の大幅な増加。でも、お店で扱っているのは家具で、しかも価格帯は高めだよね。お客さんの数が増えたからって、即、売れるものじゃない。仮に売れたとしても、最近注文数が増えているみたいだけど、それに納品が追い付いていないよね。」
「はい。」
「あの固定費で安定してやってくには、どんどん作ってどんどん売らないといけないけど、納品が遅れるのはどうして?」
「手作りで作っているものだから、注文が増えたからって大量に生産できないのよ。」
ため息をつかれた。
「そういう状況なら、値段設定が甘い。」
「え?」
「もっと高く売らないと。」
「え、でも?今でもずいぶん高いと思うんだけど。」
「駅ビルみたいな一番高いとこに入るなら、そのくらい高く設定しても売れるって自信がなきゃだめ。」
「……」
「それと家具以外の物はほとんど利益があがってない。」
「でも、それだってそんな高い値段設定できないし。」
「海外で仕入れるからだよ。高く売れないものまで。」
「……」
「物自体の値段だけじゃなくて、関税と運送費がかかるでしょ。」
「はい。」
あ~、だめだめだ。やっぱり。
「でも、今まで買ってくれたお客さんの手前、値段をあげるなんてできないよ。」
「だから」
「だから?」
「今まで通り、同じ場所でやればいいじゃない。」
「……」
明るい光のあふれるお店のイメージが一つ遠のいた。
「なにか、理由があるの?場所を変えてやりたい、その理由。」
「縁あって、知り合いになってうちでバイトした男の子が、家具職人目指している子で……。」
「うん。」
「うちの家具に惚れこんで、今、スウェーデンで修行中なの。」
「うん。」
「その子が日本へ帰って来て、家具を作って、その家具をわたしたちの手で売れたら素敵だねって。」
「それは、今の場所ではだめなの?」
「だめじゃないけど……」
あの新しくて明るい、たくさんの人たちが通り過ぎていく場所に、リュースの家具と大地君の家具を並べて飾りたい。
「後ろの橋を落として、退路を断ったうえで死に物狂いでやるくらいの覚悟がないと、あの子がしっかり生きていけるくらいの基盤、作れない気がする。」
「覚悟?」
「うん。覚悟。」
やられっぱなしの人生、今度はわたしからしかけてやる。
「その子が日本に帰って来て、それで、他にも人を雇って生産すれば、今の2倍の提供ができる?」
「できる、かどうか、わからない。数量もだけど、今売ってる物と同じくらいの物が作れるかどうかわからない。」
「今、雑誌の影響で入ってきている注文数を維持して、月の提供量をせめて今の2倍にあげる。それと、家具以外の雑貨の利益率をもっと考えた仕入れをする。海外からの仕入れは数量を控えて。それで一回絵を描いてみなよ。」
「絵?」
「収支予測をだしてみな。テーブルやいすを製造したときの原価はわかるの?」
「……」
「そういうとこまでリアルにつめて、その数字を見てから考えよう。」
そういうとため息をついてから軽く目をつぶった。
「すみません。」
「あ、いや、塔子さんが謝る必要は。」
「でも、なんか……」
「ああ、別に怒ってなんかいませんよ。僕はこんな感じです。仕事のときは。」
そういって笑った。いつもの拓也さんだった。
「まさか、塔子さんとこんな年になって仕事の関係で絡むなんてね。」
「いや、でも、拓也さんのボランティアだし。」
「そうですよ。ほんとなら、結構な額もらわないとわりにあわないな。」
しばらくぼんやりと窓の外を見ていた。拓也さん。
「海外から輸入するのと違って、国内で制作するのは、いろいろなコストが抑えられるじゃない。それを輸入物と同じ価格で売るんだな。」
「え?でも……」
「塔子さん、一部のお客さんはね、そのお店の雰囲気みたいなものにお金を出すんだよ。スウェーデンで作った物と日本で作った物と同じ値段で売れるようになれば、塔子さんたちの勝ちだよ。」
「だけど、コストも品質も同じではないのに?」
「スウェーデンからの輸入物の単価設定でミスをした分、日本側に大きく付加価値をつけないと生き残れない。」
「生き残る?」
「家具や雑貨みたいなものは不景気に弱い。一気に売れなくなる。売れない時期を乗り越えるためにはとにかく利益率あげて、資金を蓄えてないと無理だよ。それに、弱気になって日本で作るものの価格を下げたらどうなると思う?」
「どうなるの?」
「安い日本の物と品質の高い輸入物でひっぱりあって、ニーズが二極化する。いい物を売りたい店なのか、安い物を売りたい店なのかわからなくなる。一つの店の中でお互いがお互いのお客さんを食い合うことになる。一つの店の中にそんな矛盾は抱えられない。あくまで今、人気のある輸入物の家具、それを求めてくる人の目にかなうものを作れるように日本側も頑張るしかない。」
そこまでいってから、拓也さんがわたしの顔を見た。
「できる?」
「やる。」
少し驚いた顔をした。
「躊躇しないんだね。」
「失う物がわたしにはないから。このことをすることで。」
一瞬だけ彼が悲しい顔をした気がした。
「知らなかったな。あなたって、本当はこんなに強い人なんだね。」
「わからないけど、でも、そうなのかも。」
「僕は、間違ってたんだな、いつも。」
きょとんとした。間違ってた。何が?
「あなたを守ってるつもりで、自分で立って歩くことから遠ざけていたのかな。」
「そんなことはないわよ。」
「そう?」
「だって、立って歩けるようになったのなんて、ほんのごく最近のことだもの。」
そう、きっとわたしは、家族を失って、一度目、二度目、成長することを止めていたの。だから、この年でまだ子供なんです。
「元気そうで、よかったよ。」
「おかげさまで。」
いろいろな課題がもう少し詰められた後で、もう一度会おうと言われて、お店の前でわかれた。手を振って離れていく背中を見つめても、今日は悲しくも寂しくもなかった。
それから、すみれちゃんに内緒で、わたしとたけこさんは2人で様々なことをした。家具の製造原価を調べるためにいろいろな資料にあたり、あちこち電話して、実際に木工家具を製作している工房に見学にいったりもした。また、今まで適当に仕入れして売ってた雑貨の仕入れを大幅に見直した。家具だけでなく雑貨できちんと利益をあげられるお店にしなければならない。
頭から煙が出そうだ。
「なんか、最近。」
「ん?」
「タケコさんと店長、変です。」
すみれちゃんに言われた。
「どこが?」
「2人でこそこそなにやってるんですか?」
「株にはまってるのよ。」
「……」
「お互い始めたばっかりで、いい株ないか情報交換してんの、すみれちゃんもやる?株。」
全部、口先からでたらめですわ。
「いいです。そういうのは。」
やっぱり目が暗い。心ここにあらずですわ。
毎日、家に帰ってから、テレビもつけずにいろいろな資料片手に、いろいろな計算をしてみてはああだこうだと考える。タケコさんが家に来ることも増えた。ラッキーとタケコさんとわたしと、食事もそこそこにああだこうだと言いあう。
「やっぱり、固定費はできるだけ下げたいですよね。」
「うん。」
「向こうから言ってきてるってことは、家賃優遇してもらえるって言ってましたよね。」
「交渉次第だから、なんともいえないよ。」
「いや、そんなん。」
ぐいっとハイボールあおりました。タケコさん。
「いくらじゃないとわたしこまりますって」
「うん。」
「担当の男の子のこう腕にでもしなだれかかってくださいよ。店長。」
「はぁ?」
「いや、絶対きくって。こう、いつも修道女みたいにかっちりしている人がしなだれかかってきたら。胸元から下着ちらっと見せてくださいね。」
それでも、女か、タケコ。
くうん。ラッキーがそばによってきた。タケコさんがきゃははと笑いだす。
「冗談ですって、冗談。本気でやろうと思いました?もう、からかうとおもしろい。店長は。」
「……」
「あ、でもね、いくらじゃないと無理ってつっぱねましょうよ。それで、相手の反応見るんです。」
「すみません。お忙しいところ、お呼びだてしまして。」
「ああ、いえいえ。」
この前話した喫茶店に南条さんを呼び出した。今日もスーツきれいに着こなして出てくる。わたしも今日は勝負服、というわけでもないけれど、スーツ着てきた。
「結論から言いますと」
「あ、はい。」
挨拶もそこそこに本題に入る。
「現場のわたしたちは乗り気なんですけど、オーナーが渋ってます。」
嘘。まだ話してない。
「ああ……」
最初弾んでいた顔が少しがっかりする。
「そこで、テナント料がいくらならOKかと聞いたら……」
「はい。」
「5割オフならと言われました。」
しーん。南条さんの顔が青ざめた気がします。
「やっぱり、さすがに5割はきついですよね。だから、我々もなくなくあきらめようかと……」
「え、あ、いや。待ってください。」
ぶつぶつと考え込んでいる。
タケコさんが仕入れてきた噂話。あの新しい駅ビル。リニューアルしたこともあって、リニューアル前から比べて賃貸料が一気にはねあがったらしい。それで、契約更新をしたがらない既存テナントが続出していて、わりと、結構、大変?みたいなのよね。
ずずずと紅茶を飲む。
人気店舗が契約を更新しなければ、ビル自体の集客力が落ちて、そんで、更に雪崩を起こすように他の店舗も出店を見合わせるかもで、そこで値下げをしても、最早まさかのゴーストタウンです。ま、駅ビルでゴーストタウンはさすがにないと思うけど……。
「うち、実は、注文が殺到していて」
まだ頭が混乱している状態の南条さんに畳みかける。
「それに対して納品が追い付いてないんですよ。」
「あ、はい。」
「それでね、実は、今、うちの社員をスウェーデンに派遣して家具製作の研修に出してたんですけど、こっちに呼び戻して」
ディテイルを少し変えた話を続けます。
「日本で家具製作を始めようと思ってるんです。」
ずずずともう一回紅茶を飲む。
「すみません。ちょっと失礼していいかしら?」
「ああ、どうぞ。」
たばこ出して吸う。当初のタケコさんの案ではここではしなだれかかって、下着見せてる予定だったなと思いつつ、たばこを吸って煙を吐く。
「その製作所が軌道に乗るまではコストを少しでも抑えたいんですよ。順調にいけば、2、3年後には今の二倍の量の製品を販売できると思うんです。」
たばこを灰皿におしつけて、それからにっこり笑った。
「だからいつまでも5割とはうちももちろん申しません。」
「ええっと、それはじゃあ、どのぐらいの期間?」
そうですねぇ、と天井を見上げて考えるふりをする。
「わたしたちは、大家さんも大変だと思いますから……」
じっと南条さんの顔を見る。少し吐きそうな顔してんじゃん。この子。
「2年くらい?って思ったんです。」
少しだけ顔色が戻る。
「けど」
「けど?」
「オーナーが、3年は5割だったら考えるって言われて。」
ははははは、と笑った。また、青い顔します。
「あ、でも5割でいけるなら、こっちの高いほう。もちろん、他に入るテナントさんがいたら、5割で貸していただけるなんて……」
ニッコリ笑う。
「夢のまた夢ですよねぇ。おこがましい。」
はははははともう一度笑ってやった。
「社に持ち帰らせていただきます。」
いじめすぎちゃったかな?犬でいったら、しっぽを足と足の間にはさんですごすごと帰っていったわ。
「もう、店長!」
折角手柄話と思って話したのに、タケコさんにしかられる。
「え?なに?なんかまずった?わたし。」
あたりめがおいしいです。
「ちょっと、もう、やめて。そのあたりめも。」
とりあげられてしまった。
「たばこすって、おどすなんて!」
「あ、それじゃ、だめか。下げてくれないかな?でも、結構いけそうな感触あったんだけど。」
「違いますよ!美人なのに台無しじゃないですか。」
「は?」
「もう、やくざみたいです。」
「え~、さすがにそれはないでしょ。」
「イメージがたくずれですよ。しなだれかかってって言ったのに。」
「だって、タケコさん、別にわたしがそういう女じゃないってわかってるでしょ?」
「違いますよ。あの、営業の人。あの、男の子に誤解される。」
「え?南条さん?」
「店長がそんなに怖い人なら、一緒に働いている女子たちだって同系列と思われるじゃないですか~。ちょっと素敵だと思ってたのに。」
「え?うそ。いや、でも絶対、奥さんとかいるでしょ。」
「そういう具体的にどうのじゃなくって、ただ知り合いの間柄でも、怖い人って思われるの、やじゃないですか。素敵な人に。」
「はぁ。」
わたしはもうそういうの解脱しましたが。
「もう、店長、自分が修道女みたいに男に興味ないからって、人まで巻き込まないでくださいよ。」
「……」
言われたい放題だな、おい。一応、これでも安くなるようにがんばって一芝居うってきたのに。お褒めの言葉はひとつもなしか。
「今度、フォローしとくからさ。」
「絶対ですよ。」
そして、二、三日後、南条さんから電話がかかってきた。
「ずいぶんもめましたけど。」
「はい。」
「条件をのむと。」
嘘?とあと少しで声を出しそうになった。
「ああ……。ええっと、あの件ですか?テナント料の件。」
「はい。」
まさか、あんなめちゃくちゃな条件のむとはおもってなかった。
「それで、契約のことなんですが……」
「ああ、じゃあ、もう一度オーナーに話してみます。」
「え?」
電話の向こうで絶句する。条件さえ飲めばすぐに契約できると思ってたみたい。
「うちのオーナー難しい人なんで、ちょっと確約取るまでにもうちょっと時間かかると思うんですけど。すみません。」
いけしゃあしゃあと言うとは、今のわたしのことだなと思う。
「どのくらい、かかりますか?それ。」
「うーん、オーナー実は今、海外に行っていて……」
「え?」
これも嘘です。すみません。
「電話やメールで聞いてみてもいいんですけど、重要な話を電話やメールですると切れるときがあって……」
「はい。」
「帰って来てからだと2週間……」
南条さんが電話の向こうで息をのむ気配が伝わる。
「と言いたいところですが、なんとか1週間でお返事できるようにします。」
電話を切る。困ったな。まだひとつも話してないのに、1週間で返事?まぁ、いいか。




