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Ending

……青年は,夢をみていました

 それは どこまでも透明な黒の夢

 それは 真っ白の どこまでも広がる夢

 さましたい

 さましたい

 さませない

 さまさない


 どうして。






―\03―

“close”

枯れない花





 ……青年が罪を犯してこの森にまで逃げこんでくるよりもずっと昔,別の青年がやはり罪を犯してこの森に逃れてきました。少女の見つけた青年と同じように,内側から責めたてるものと果実を抱いて。

 彼は,考えてしまったのです。

 不思議と言いきられ,その意味を見すごされ考えられもしない,言葉なき果実のもたらされる、その意味を。

 それは,最終的に彼を魂の死へと追いつめました。

 ……彼には,耐えられなかったのです。

 永い永い生涯を生きゆく私たちの――空へと投げかけた祈りがあげる産声の,その重みに。

 私たちは,……私は,彼には何ものぞんでなどいなかったのに。

 私はただ,ありのまま,あるがままに生きる――生きぬくその命をこそ,のぞんだだけだったのに。


 悲しい。

 祈りにしてはじめて気づく思いは,祈りにするほどに,新しく悲しい。



 少女は青年を見つけました。青年は眠るように,安らかに,そこにありました。

 私は,彼を目覚めさせなければなりませんでした。

 それは簡単なことでした。ただ,風に助けをもとめて葉をそよがせるだけでよかったのです。

 雨の中ここへ辿り着き,力尽きた彼は,ここで私に守られて眠るうちに,彼自身が気づかないまま彼の目的を果たしていたのです。――ただ,無心に身を横たえることを。

 そうして,彼は幼子のように目を覚ましました。

 そこには,美しい少女がいて,彼を見おろしていました。

 「あなたは……あなたは,隣の」

 少女の姿をみとめた青年は,その瞬間に表情をこわばらせて半身を起こしました。

 「あなた,隣の花屋の人ね? お話しするのははじめてだわ――はじめまして」

 屈託なく語りかける少女に,けれど青年はこわばったままでした。少女は,少し困って首をかしげました。

 「あなたは……ここまで,どうして……果実を,取りかえしに? けれど,あれはもう……」

 青年は夢遊病にかかったように呟き,少女は何のことだかわからず,よりいっそう困ってしまいました。

 「何のことを言ってるのかしら……ああ,何か怖い夢でもみたのね? 無理もないわ。だって,この森の夜の怖さときたら! あたしだって,どんなに逃げだしたかったか……でも,探しているものがあったから……ああ,そうよ,あたしはそのためにここまで来たのに,何だって忘れてたのかしら?」

 「……探していた?……果実,を?――ああ,あなたたちには,本当に悪いことをしてしまった。僕は――」

 彼は膝を抱えて,絶望によどんだ瞳ごと,顔を膝の中にうずめてしまいました。少女は,慌てました。

 「ちょっと待ってくださらない? 何のことだかわからないわ。あのう,あたし,……枯れない花を,探しにきたの。……もしかしたら,ここにならあるかもしれないと,思って」

 「……枯れない,花?……」

 青年は怪訝そうに顔をあげました。そこには,ためらいがちに見つめてくる少女の,翳りのない瞳がありました。

 「そう。だって,草原の花も,花屋の花も,みんな枯れてしまうんだもの。摘んでも,摘んでも」

 「……それは,しかたないでしょう」

 「――でも,そんな花は悲しいんだもの。……ねえ,あなた。あなたも花屋で,ずっと花を見てきたんでしょう? それは悲しいと,思ったことはなかったのかしら? 花は,あんなに綺麗に咲いていたのに……」

 青年は何かを言おうとして,けれど口をつぐみました。少女はひとりごとのように続けました。

 「この森は,とても綺麗だったから……ああ,そう……こんなにも綺麗だから,だから花は……」

 「僕は許しがたい罪を犯してここに来ました。それだけで……あなたが,何を言いたいのかはわかりませんが」

 青年はゆっくりと少女に向きなおり,言葉を探しました。彼は今,罪悪感さえ麻痺しているかのように,目の前の美しい少女に魅かれていました。少女はこの森に傷つけられ脅かされて,それでもなお,この森の祝福を一身に浴びて輝いていたのです。疲れはててこの森に来た青年が,その少女の美しさに魅せられるのは,当然のことともいえました。

 「……枯れない花なんて,きっと,ないでしょう。花は咲いて,枯れてしまう。それでいいんです。――おそらく花は咲けば枯れることを,ちゃんと知っています。それでも咲くのは,きっと……花はいつだって希望をもって咲く,その証だと,僕は信じています」

 少女は黙ったままで聞いていました。青年は,言葉をつむぎながら今までに感じたことのないような安らぎが心の中に広がってゆくのをおぼえました。

 「……僕は,だから花を愛するんです」

 これから先に,ゆるされるなら。

 最後の言葉は祈りのように,自分の一番輝かしいところにしまって。

 少女は何も言わず,胸の奥で青年の言葉を抱きしめてみていました。幼すぎた自分に,老人が教えられずにいた花の希望。その美しさとせつなさは,不思議と今の自分の中の何かと,しっくりかみあったのです。

 それは,たとえていうなら森で見た夕焼けと,廻りゆく星と,そして何より美しい夜明けでした。

 青年はうつむいてしまった少女をじっと見ていましたが,やがて少女の頬と指が傷ついていることに気づきました。

 「いけない,早く手あてをしないと。あとに残ったりしたら,つらいでしょう」

 幸い,すぐそばに見知った薬草が生えていました。この草はとても便利なものだったので,青年の店にも置いていたものだったのです。青年は,迷わず手をのばし――あまりにも簡単に草が抜けたため,驚いてしまいました。

 「――これは,」

 青年は,言葉を失いました。薬草にはあるべき根がなく,かわりにあの果実が茎の切り口にはまっていたのです。

 少女は草の根というものさえ見たことがありませんでした。ですから,それを見ても青年とは違って,いたって無邪気にのぞきこんできて言いました。

 「これは……あの果実ね? じゃあ,草も花もみんな,この果実から生えてくるっていうことなのかしら? そうしたら……果実はすべての綺麗なもののお母さんなのかしら。素敵ね!」

 「そんな……まさか,じゃあ,ここに咲いているものは……」

 青年は立ちあがって見わたしてみました。どれも,自分の店で見てきたものばかりです。青年は,我をなくしたように足もとの花を何本か引き抜きました。そのすべての花の根は,最初に引き抜いた薬草と同じでした。

 「……なぜ……?」

 青年は呆然として立ちつくしていましたが,やがてその瞳には涙があふれてきました。

 握りしめた花は,いったいどれだけ咲きつづけたのかもしれず,それでも美しく。そしてその根にはあの赤い果実が,切り口から花の命が流れ出てしまわないように,じっと守るように吸いついています。

 「まさか,そんなことが……?」

 けれど,たしかにあったのです。花は,最後の最後に愛しんでくれた,あわれな青年を愛していたのです。

 私は,それを見ながら,もしかしたら少女のもとめる枯れない花は,その思いにこそあるのかもしれない,と思っていました。

 青年の罪を知らない少女は,その青年の花への思いを感じることはできません。少女が空に感じた美しさを知らない青年は,その少女の永遠への思いを感じることはできません。ですが,ふたりの出会ったこの場所に,今たしかに,ふたりそれぞれへの答えが生まれていたのです。

 青年は,しばらくして口を開きました。

 「僕は,罪を犯しました。許されることではありません。ですが……もう一度,帰ろうと思います」

 あなたは,と言外にたずねる青年に,けれど少女は首を振りました。

 「あたしは,あたしで行くわ。でも……そうね,またいつかあなたと会うかもしれない。星は廻るもの」

 「そう,ですか……じゃあ,あなたのおじいさんに,なにか伝えることがあれば……」

 青年は本当は少女と離れたくなかったのですが,少女の断固とした瞳を見て,止められないことを悟っていました。

 「そうね……そう,果実がはじけたら,って。そう伝えてくださるかしら」

 わかりました,たしかに。そううなずく青年に言葉の意味はわかってはいませんでしたが,それは少女自身にも同じでした。

 そうして,出会ったふたりは別れたのです。

 それぞれの道へ――青年は,人の生きゆく街へ。少女は,その森のさらに奥,遠くへと。

 私はそれを,黙って見守っていました。

 そして,過ぎゆくふたりの背に,最後の言葉をおくりました。

 「いってらっしゃい。――どうか,気をつけて」




 ――今となっては遠い昔の物語と,ただ思い出してみたばかり。……あの小鳥が,どうか喜んでくれるように。

















真っ白な世界


そこに誰か 溶けてく


誰も 溶けて



「おかえり」


最後の 最初に とどく言葉



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