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 ……少女は,枯れない花を探していました。

 その森に,遠く。

 たったひとり,恐れもせずに。



 その森は,一本の線にそうようにひとすじの香りを漂わせていました。

 少女にとってその香りとは,優しくて甘いようでいて,けれどどこかせつないような懐かしいような……不思議を思わせる香りでした。不思議といえば,それは香りかたからして不思議でした! 空気――風に乗った香りは,広がりながら届くものだとばかり思っていたのですが,この香りは他と違いました。まるで,ひとすじの目には見えない糸があって,そこだけを上手に伝って少女に届けられるといったぐあいです。事実,この森には数えきれないほどの生き物がいて,香りといえば思わず辿らずにはいられないような心地よさなのに,少女以外にその香りに興味をひかれているものが見あたらないのです。

 少女は,なぜかは知りませんがとにかくこの香りを辿らなければならない気がして,目を細め,手のひらを胸元に寄せて,じっと目には見えない何かを――香りは,たしかに見えないものなのですが――探すように,一歩一歩進んでゆきました。

 そして,双子の妖精に出会ったのです。彼女たちは2フィートにも満たない大きさで,それぞれの色は緑と青でした。

 「あなた何しに来たの」

 「あなたここに何が欲しいの」

 双子は,声をそろえて言いました。その声はまるで小さな百個の鈴を空につるして,いっせいに風に鳴らしたようでした。少女は少し恐れながら,けれどしゃんと背をのばしたままで答えました。「枯れない花を,探しに」

 妖精は口々に答えました。

 「咲かなければ枯れないわ,おばかさん!」

 「枯れなければ咲かないわ,おばかさん!」

 「だけど,欲しいのよ。ここは妖精の国なの? 永く永く生きる妖精の世界にも,ないっていうの?」

 少女は身を乗り出して叫びましたが,これは妖精にとって許しがたい言葉でした。

 なぜなら,妖精は永く永く生きながら,くるくると廻る生き物の命を見守りつづけるものだからです。

 怒りに瞳を輝かせた双子の妖精は,互いに顔を見合わせてにっこりしました。

 「ならば教えてあげるわ」

 「ならば与えてあげるわ」

 そうして,青い妖精が少女の脇に生えていた樫の木から一本のロウソクを取り出し,緑の妖精が羽の光で火をつけて少女に手渡しました。

 ロウソクは,香りに逆らうようにひとすじの煙を出しました。

 「この煙を辿りなさい」

 「ひとりの青年に出会うために」

 「あなたはその人を見つけるためにこの森に来たのよ」

 「この煙だけを信じて進みなさいな」

 「――いやよ,あたしは花を探しに来たのよ。そんな人,知らないわ」

 少女はロウソクを捨てようとしましたが,不思議とそれは手になじんで,離れてはくれませんでした。

 「それは,離れないわ」

 「だって,あなたには必要なものなんだから」

 「探しなさいな,この森に,遠く」

 「お行きなさいな,ずっとずっと,奥のほうに」

 「何があったかしらね,どこかに?」

 「何か探していたんだったかしらね,どこかを?」

 双子は謎かけのような言葉を交わしてはくすくすと笑いさざめき,少女の周りをすいすいと飛び回りました。

 「なにだったかしらねえ」

 「どこだったかしらねえ」

 「空に流れるあの雲が消えるところ」

 「あの草むらから昇る朝霧のけむりが溶けてしまうところ」

 「――だけど雲はいつか流れてどこかに落ちるのに」

 「――だけど朝霧のけむりは昇って冷えてまた落ちるのに」

 少女は,からかうような双子の様子に金切り声をあげました。「もうやめて,たくさんだわ!」

 「あたしは,どこにも行けないの?」

 かわいそうな少女は失意に沈み,仲の良い双子は再び顔を見合わせて首をかしげました。

 「いじめすぎたかしら」

 「おしえすぎたかしら」

 双子はにっこりとして,今にも泣きだしそうな少女の頬に片方ずつキスをしてから言葉を残して飛び去りました。

 「赤い山に落ちる雲は赤く」

 「昇るけむりは消えて落ちるふきだしの言葉」

 少女は,そうしてまた,ひとりぼっちになりました。

 「どうしたらいいだろう?」

 残されたものは,奇妙な言葉と一本のロウソクだけです。

 「妖精の世界には,無駄は許されていあにはずだわ」

 その通りでした。妖精とは自然界と共存するものですから,この世に存在するすべてを,本来あるままに最大限に活かすことを義務づけられていたのです。

 「進むしか,ないみたいね」

 少女は,覚悟を決めるようにひとつ息をついて,歩きだしました。


 少女は香りから背を向けて歩きだしましたが,これは別に間違いではありませんでした。

 そもそも世界とはひとつの大きな球であり,まっすぐに背を向けてもまっすぐに進んでゆけば,自然と目指すそこに辿り着くことができるのです。その方が,かえって近道になることさえありました。

 双子の妖精は怒ってはみましたが,けれど妖精の矜りにかけて,人間の少しばかりおばかさんな少女をおとしいれるような卑劣なまねはしないのでした。――たとえ,少しばかりの意地悪はしてみても。

 まったく,少女にとって妖精たちと出会えたことは幸運でした!

 そうしてそれは,この森を訪れた少女の必然でもあったのです。

 少女は煙にしたがって森の中を進み,日は高く昇り,やがて西に傾きました。

 梢を赤く染める夕焼けです。

 その夕焼けはいつか嵐を伝えるように赤く熱く,けれど遠くに冷たく,輝きだけで少女を照らしだしていました。

 「何かに似ているわ」

 凝然として見入りながら少女は呟きました。

 それは,さながら広がる心臓のように赤々と躍動的でもあり,広がってそればかりになってしまう最後の鼓動のように刹那的にも思えました。

 「心臓……いいえ,違う」

 祝福の果実。

 「そう……きっと,そうよ」

 少女は,果実が赤く熟れたさまを見たことはありませんでした。

 ですが,そう思ったのです。心に思い描く,果実の祝福を。その芳醇の彩りを。

 この森に入って,少女はまだたった一輪の花さえも見つけてはいませんでした。けれど,少女の部屋で感じたような寂しさや寒さを,なぜか今ここで少女は感じていなかったのです。

 初冬の森は落日とともに切るように冷えて,けれど少女は焦がれるようにして。

 少女は,花を摘みとる残虐と愚かにまだ気づいてはいませんでした。けれど今の少女は,おそらくこの森にどんな愛くるしい花を見つけても,それを摘みとりはしなかったでしょう。

 「……あの果実は,どうしているかしら。部屋に置いてきてしまった」

 老人と少女のぶん,ふたつをそのままに。

 「こんなに美しく日が出たのなら,きっと赤くなって……おじいさんに見せる約束を,していたけれど」

 少女はその時はじめて,最後の夜の心残りの正体を知りました。それは,果たされることのないままにあった約束でした。

 毎朝と毎晩,見せると約束していた果実。いつか訪れる,星の生まれた綺麗な朝に,一緒に見つけると約束していた,果実。あの時のやりとり,向きあった老人のほほ笑みが脳裡に浮かんで少女の胸を締めつけました。

 「おじいさんは,がっかりしているかしら……」

 悲しむかしら。

 夕焼けは最後のひとすじばかりにまで細り,この夜最初の闇はすぐそこまで来ています。

 「だけど,もう戻れない」

 少女は雨が降りつづく中で,花にはじめて悲しみを見ました。

 そして今,自分自身が起こした悲しみの伸びゆくさまを,はじめて見るのです。

 知らず,少女の目からは涙があふれてきていました。

 最後まで美しいその夕焼けは,悲しみを知りはじめた少女に優しく染みわたりました。

 その美しさや優しさは,少女の中にはないものでした。少女はそれに気づいて,そして自分というものが実は何も持っていない貧しい生き物だったということにも気づかされたのです。

 「ごめんなさい」

 少女は固く目を閉じて,目の中にたまっていた涙をふりしぼると,次はしっかりと目を見開きました。

 西の空では,ちょうど最後の赤い光が山の間に沈み,取り残された雲が過ぎ去った夕焼けの赤をわずか下半分に照らしつけていました。

 やがてはそれも消えてしまい,そうして夜は訪れるのでしょう。

 置き去りにされた雲は,それでも雲として漂いつづけていました。

 「……行ってきます,おじいさん」

 少女は強く呟いて,薄闇の中を一本のロウソクに導かれ歩きはじめました。


 森の夜は暗く,月と星がおぼろげに映しだす姿は,かえって少女を怯えさせました。

 風がわずかにそよいで木の葉をゆらすその音にさえ,まるで恐ろしい獣が少女に食らいつこうと忍び寄る足音のように聞こえ,そのたびに身を縮め立ちどまってはあたりを見回しました。

 ロウソクは,森の中の何に近づけてみても,少女の手もと以外を照らそうとはしてくれませんでした。ただ,煙だけが,まるで煙自体が光っているかのように闇の中に浮かびあがっていました。しかたなく,少女は煙の示すところだけを見て歩きつづけました。

 ある時,少女はふとした好奇心にかられて,今まで歩いてきた道をふりかえってみました。

 すると,どうでしょう! 大きすぎるような月に照らしだされて,森の中のいたるところに気味の悪い生き物がうごめいているのが見えるのです。少女は,すんでのところで悲鳴を押し殺しましたが,同時に,見るんじゃなかったと深く後悔しました。今までは知らずにいたから歩いてきました。けれど,こんなものを見てしまったら,もう怖くてどうしようもないほどです! たとえばこの先,どんなお化けや獣が出て来るかしれません。それは,少女を食べてしまうかもしれないのです。少女があまりのことに目もそらせずにいると,黄色い目をぎょろりと光らせて草かげにいる生き物が少女に気づいたらしく,シューッと,くすんだ緑ともこげ茶ともとれる煙のような息を吹きだしました。

 少女は,今度こそ魂まで抜けださんばかりの悲鳴をあげて,一目散に駆けだしました。

 それは,この森について何も知らない少女にしては,まったく賢い選択でした。

 なぜなら,すでに通りすぎた獣は,少女を脅かしても少女に襲いかかることはできない決まりになっていたからです。この森に歩きだし,まだ一度も夜をすごしたことのない幼い少女は,当然なのですがそのことをまだ知りませんでした。もし知っていたら,それはそれでまた違った恐れを抱いて,このはじめての夜をすごしたかもしれません。

 少女は夜通し歩きつづけました。もしかしたら本当はずっと眠っているのかもしれないと思わせるくらい,永い永い夜を歩きとおし,ロウソクも時がたつにつれかなり短くなって,熱で少女の指をいためました。


 けれど少女は,それでも歩きつづけました。


 星は東から西へ,さらにその向こうのどこかへと廻ってゆきました。もしかしたら何か言葉を投げてきてくれたかもしれませんが,それでも星は断固として廻り,そのために立ちどまるようなことは,けっしてありませんでした。

 少女はそんな星の断固としたさまを羨ましいともせつないとも思いながら見つめ,けれど廻る星なら次にまた出会うことに気づいて,不思議なあたたかさを感じたりもしました。

 そうして進むうちに,夜はあけてゆきました。



 それは今まで見た何よりも美しい夜明けでした。

 山の間から,空の群青は白く澄んだ姿へと闇を消し去り,東の方から木々の間をぬってすべてを無に帰すような……それでいて何もかもが新しく生きだすよう導くような,どこまでも真っ白な光がさしこんで少女を射抜きました。

 あらゆるすべて,世界は今その光に照らしだされて逃れようもないほどでした。それは裁かれる夜の闇の中にあった何かと,その中で生まれた何かを照らす光で,そうしてそれは咎めるために照らすのではなく,すべてを認め,ゆるし,新しく愛するためにお日さまがさしのべる手のひらなのだということも,今の少女にはわかっていました。

 ゆっくりと力強く昇ってゆくお日さまは,無数の光の線を降らせ,その光は純白でありながら,よく見ると赤い光と青い光と緑の光を細かい宝石のように輝かせ螺旋状にちりばめたもので,木々も雲もすべてを照らし,また,すべての間をとおりぬけて森中に祝福を届かせて余すところはありませんでした。

 「お母さんの光だわ」

 少女はうっとりと呟きながら,指をあぶるロウソクの熱さえ忘れて空を仰ぎ,幸せに満ちたこの森の世界のすべてを,いとおしむように眺めまわしました。

 世界のすべては,今や少女の瞳に輝かしくありました。

 ロウソクはすでに,指の中でほんのひとかけらを残すばかりにまで小さくなっていました。けれど少女はそれを恐れてはいませんでした。少女は何かを求めてこの森に入り,そうして今,ただ真っ白に満たされていたのです。

 陶然とする少女の目の前に,いばらが立ちふさがりました。煙はいばらの破れ目をぬって,その向こうへと流れていました。そこは,少女のいるところからでは見ることができませんでした。

 少女はしばらく迷い,そうしている間にもロウソクは今にも燃え尽きそうになり――それでも,いばらの前を何度か行ったり来たりして,少しでも大きな破れ目を探そうとし――結局は煙の流れこんでいるところしかないのだと気づいて,少女は覚悟を決めていばらの中に飛びこんでゆきました。

 いばらは少女の薄青のエプロンを裂き,柔らかくしっとりとした頬と指に傷をつけましたが,少女はそこで立ちどまったり,ひきさがったりして元のところへ戻るようなことはせず,――もしそんなことをしていたら,いばらはより一層少女を傷つけていたことでしょう――夜の星のように,断固として進みました。

 そして,深いいばらをくぐり抜けて辿り着いたところは,…………



 少女は,息をのんでその風景に見入りました。

 そこは一本の木を囲んだ天然の芝生になっており,いばらを抜けた少女の目の前には,雨に打たれて色を変えた荷車が置き去りにされてみじめな姿をさらしていたのですが,そんなものは目に入らないような,美しい,美しい風景を少女に開いていたのです。

 私の――「木」の周りには,一面に花が咲き乱れていました。

 色という色,すべてを集めたかのように。

 呆然と見入る少女の指の中で,ロウソクが燃え尽きました。妖精のくれた道しるべの最後の煙は,泳ぐように漂って,花の中心になっている木の根元に吸いこまれ,そこにある何かを慈しむように撫でながら消えました。

 少女は,はっとしてそこへ視線を向けました。そうしてはじめて,ここには森のはじめに感じたあの香りがいっぱいに漂っていることに気づいたのです。

 そして,どうやらそれは煙の消えたところから流れ出ているようでした。

 少女は,たまらなくなって,そこへ向かって駆けだしました。

 そこには,ひとりの青年が眠るようにその身を横たえていたのです。私に――木に,見守られながら。

 「……あなた,は……?」

 少女は,かすれた声で呟きました。青年が誰なのか,今の少女にはわかっていたのです。


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