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―\02―

“迷い児の森”




今夜 重なる雲から それでも月はのぞいて

思い出した

 「悲しい話をしてみようか」

そう呟いてみる


 「その人はいつから歪むの」


あなたはかわいそうなひと

わたしをたどってしまった


また 別の


あなたはかわいそうなひと

 「わたしはあなたをたどるの?」


ありのまま生きようと思い出すその時からきっと

歪みは廻りだして


 「きれいごとでいいからきれいなままで」

そう願ったのはいつの私だったか

そう祈らしむ私はきっと笑って


哀しく見つめる遠くの祈りは

凝る歪みをおとして




行く先を照らす月明かりが影を踊らせる

迷い子の森で悲しい物語があの頃に巡る


 「だけど今のことは今までになかったことのはずなのに」


迷い子は揺らめく森の中漂う唄をきく

遠く近く

月明かり銀に光るひとりきりの森

おどる影に見ている

答えに 迷い はじめる






* * * * *






 街を沈めるかと思われるほどの雨が降りだした日の朝,魔法の果実は街の花屋たちに届けられました。

 いくつかのバスケットのうち,ひとつはサボテンの主人へ。もうひとつは,そのお向かいの主人へ。

 そして,あとひとつのバスケットは,街はずれの花屋へ。

 物語は一度,その時までさかのぼります。



 街のはずれの方には二つの花屋が軒を並べていましたが,この二軒の花屋は,あのサボテンの主人たちのように仲良く言葉を交わしあうことはおろか,挨拶さえ交わしたことがありませんでした。

 憎しみあっていたわけではありません。

 ただ,強いていうなら,無関心とでも。いえ,それさえも語弊があるでしょう。青年の方は,明らかに老人のことを意識していましたから。

 青年は,いつからか花屋になっていました。幼い頃に描いていたいくつもの希望は,一歩退くごとに妥協するたびに遠くに霞み,青年はそれを「さめる」と言いました。退きながら伸ばす手はいくつもの何かをこぼし,妥協しながら繰り出す誓いの言葉はとりとめもなく,――すべてを霞ませたままに,その霞む中で,青年はいつしかここにいました。

 辿り着いた,とは言いますまい。

 人であるがゆえに人を求め,人の中に入るたびに人を見知り,誰かの手を掴もうと手を伸ばした,その時にはじめて掴みようのない「人」の「間」をかいま見る。人としてありうる「自身」との距離を感じるのは,おそらくはその時がはじめてだったのでしょう。その時,望み描くうちの何かは潰え,そして青年は一歩ずつ,後退をはじめました。退がりようのない時の流れに呑まれながら,残骸ばかりを流れの水底深くに鎮め,そればかりに地中を這わせて逆流をのぞんで。

 その苦しみの中から辿り着いた,とは言いますまい。

 青年は,いつからかここにいました。

 そうして,地中を這わされるばかりだった彼の中の「自身」は,いつからかいるというこの場所以外に何も知らなかったのです。

 ここに,いるしかない。

 這うことにさえ疲れた彼の,それは最初にして最悪の,外への依存でした。

 ここにいることを選んだと言い,ここ以外にありえないと言い聞かせ,それは暗示となって彼を脅迫するようになる,その無惨な未来に対し,朝か夜かも見えない地中の暝さにすがって目を閉じて。

 そうして,すがること以外に使わなくなった手で,それでも人であるがゆえに人を求めて。

 決して届かない距離をたもつことで,心やすく手を伸ばして。それでも伸ばすことで,かろうじて何かをたもって。

 青年は,いつからか花屋として老人と軒を並べていました。

 老人は,しんから花を愛していました。

 昼下がりの静けさに青年が観葉植物の大きな鉢から向こうをかいま見る時,老人は植物たちになかば身を埋もれさせながら,ただじっと座っていました。天気のいい日は,いつもそうしていました。ひたすら静かに,穏やかに。

 青年は,それを見るたびになぜだか焦りばかりがつのるようになっていました。そうしてそれを見た日には必ずといっていいほど,青年は夜遅くまで忙しく働いていました。――本当は,そうすればするほど焦りはつのっていったのですが。

 自信が,欲しかったのです。

 それを求めて伸ばす手は自身に向かって,伸ばすほど自身をえぐってゆくことにも気づけずに。

 けれど青年はすでに,それにさえ疲れていたのです。



 青年は,魔法の果実が欲しいと思いました。

 新しく星が生まれた夜から,最初の朝に「老婆」と伝えられる何かによって届けられる,祝福の果実。

 しんから花を愛する花屋にだけ,――しんから花を愛する花屋になら,きっと一度は届けられる,果実。

 青年は,それが欲しいと思いました。

 そして,そう思うことにすら疲れた夜,測りようのないほど遠くの空の向こうで,ひとつの星が生まれたのです。




 それは,不思議と霧の多い朝でした。

 そして,不思議な霧の流れる朝でした。

 その朝に青年は,世界中が眠っている中でただひとり目を覚ましてしまったのです。

 外に出てみて,青年はびっくりしました。

 お日さまも昇っていないのに道は明るく,けれど空は黒く。

 月は空から消えており,ただ空の星という星すべてが今までに見たこともないほどまばゆく輝いていました。

 冬のはじめの星座に真夏と春と,ついこの間通り過ぎた秋の星座まで押しかけて,お祭り騒ぎのようにいっせいに競って光を放つそのさまは,とてもこの世のものとは思えない美しさでした。赤い星,青い星,真っ白な星……それらすべてが,入り混ざり,けれど不思議と調和をなして――それは,そこに集ったすべての星たちがお互いを慕いあっていたからなのですが――そして,不思議な霧は,その調和をうけて粒子のひとつひとつまで,すべてが光を孕んでいたのです。それは,まったく素晴らしくも神秘的な光景でした。

 青年は,魂までもがどこかへ抜け出ていってしまいそうな思いでそれを眺めていましたが,やがて光の霧にけむる道の向こうから誰かが来るのを見つけて,はっとして扉の影に隠れました。

 それは,ひとりの老婆でした。

 その老婆の背はがっくりと曲がり,そのために老婆はひどく小さく見えていました。

 そして,燻製のような手には,ひとつの古びたバスケットを抱えていました。

 「――果実だ」

 青年は,瞬間にそう確信しました。

 「あの話は本当だったんだ。老婆が果実を持って花屋を訪れる,――この街に」

 青年の手は初冬の寒さの中で汗ばんで,小刻みに震えだしていました。

 「そして,この街のこのはずれには,二軒の花屋があるばかりだ」

 老婆はじれったくなるほどゆっくりと近づいてきます。すると,老婆だと思っていたものは,実は若く美しい女性だったことがわかり,その女性といえば,近くに見えてくるほどにその美しさを増してゆくのでした。

 まっすぐに伸びた背筋は力強く,髪は霧のように淡く,けれど霧とは比べものにならないほど滑らかにしなやかに輝いて。肌はその髪にも劣らずに美しく,瞳はどんな黒よりも透明な黒でした。その女性は,絹のような,けれど見たこともない柔らかなドレスをまとっていました。色彩は赤とも青とも緑とも言い切れない,不思議のすべてをかき集めたかのような,――まるで,光そのものとでもいうかのようなものでした。

 そんな美しく力強い女性が抱えているものは,よく見るとバスケットではなく,産着にくるまれた赤ちゃんでした。赤ちゃんは世界中の何もかもを切り裂きそうな産声をあげ,女性はそれをすべての愛で抱えていました。

 いまや,星も霧も,すべての光はこのふたりの元にだけ向けられていました。

 女性は二軒の花屋の間に立ちどまり,赤ちゃんを高く掲げて「祝福を!」と叫びました。本当は声になど出してはいなかったのですが,声ではないその言葉は,世界中に響きわたるようなものでした。

 青年が息をのんで見つめる中,光はひとつ,またひとつと赤ちゃんに吸いこまれてゆき,最後の光が赤ちゃんに注がれた時,世界は真の闇に包まれ,赤ちゃんが世界のすべての光になりました。

 そして,青年がそのあまりのまぶしさに目を閉じて,一瞬ののちに再び目を開けると,女性は遠くから見た時の老婆の姿をし,赤ちゃんに見えていたものは古びたバスケットとなっていました。

 青年は,突如として魔法の果実のことを思い出しました。「あれが,欲しい」

 厳粛なる老婆は,二軒の間でじっと立ちどまったまま,腕の中のバスケットを見つめていましたが,やがて,それをゆっくりとおろしました。青年は,その瞬間,確かに息が止まりました。


 そこは,あの老人と少女のいる花屋でした。


 老婆はしわがれた声で「祝福を」と呟き,その皺だらけの顔の奥に荘厳なる笑みをたたえて,やがてゆっくりとその場を立ち去りました。老婆の姿が見えなくなると,夜空は元のとおり初冬の星座のみを宿し,霧はただ冷たく白く漂うようになりました。じきに,うっすらと東の空が白みだしました。

 もうじき,あの老人も起きだしてくるのでしょう。

 そして,この祝福の果実を見つけるのでしょう。

 青年の手は固く冷えきって,とめようもなく震えていました。

 報われない青年は,表に飛びだしてバスケットをじっと見おろし,そして――ああ,なんということでしょう! 震える腕にバスケットを抱え,そのまま自分の家に駆けこんでしまったのです!

 哀れな青年の体は,おこりのようにがたがたと震えつづけ,その腕に抱かれたバスケットの中では,碧色の果実が震えに揺られて無心に輝いていました。……それを,何か恐ろしいものでも突きつけられるように,じっと見おろして。

 外の方で扉のきしむ音がして,青年はびくりと身をすくませました。老人が,起きてきたようでした。

 「もしかしたら,老人は気づいていたかもしれない」

 青年の心は怯えあがっていました。

 「気づいているかもしれない。そして,ここに来るかもしれない。果実を取り戻しに」

 腕の中では,まだ青々とするばかりの果実が,にもかかわらず,いい知れない香りを漂わせはじめていました。

 「そうしたら,どうなるだろう? きっと街中のうわさになる。僕は罪で汚い。人は許さない」

 冷えきった暗い家の中で青年の頬を伝い流れる汗は,あふれる瞬間に熱く,つたい落ちるうちに凍らんばかりに冷えきりました。

 「そうしたら,僕はもう,ここにはいられない」

 青年は果実を抱え,その場に崩れるようにしてうずくまりました。

 そして,怯える青年は,いつもよりはるかに遅い時間に,やっとのことで店をあけました。ただ,罪を気取られるそのことだけを恐れて。

 「僕は毎日,一年中,休まず店に立っていた。今日,急に休めば人はいぶかしむかもしれない」


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