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 ……あれは,一体いつのことだったでしょうか。

 人がまだ妖精を信じていたころ。得体のしれないものを,目には見えない何かを夢のように信じながら,今よりははるかに短い一生を優しく寛げていた,昔。


 空はかならず美しいものを見せてくれると,見せてくれるそのすべてに,決して無駄などありはしないのだと,無心に信じて幸福だったという,今となっては遠い昔の物語です。





      *    *    *    *






 その街は,花があふれていました。

 市場にはいくつもの花屋が軒を並べており,――その街は,けっして大きい街ではなかったのですが,にもかかわらず,すべての花屋が小綺麗にして,いつも新鮮な花を商っていました。その街では,ほとんど誰もが花を愛していたのです。そのおかげでしょうか,この街の人は香水も化粧もあまり使ってはいませんでしたけれども,どんな時も気持ちのよい香りと心地よい色彩に包まれていました。

 そうして,ここにはそんな街ならではの言い伝えがあったのです。



 新しく星が生まれる夜,それを迎えた朝に,ひとりのおばあさんが新星への祝福として,星明かりが世界で一番早くに届くこの街に持ってきてくれるという,果実。

 今ならば,おとぎばなしとして優しい夜に大人から子どもへと語られる夢物語にすぎないのかもしれません。ですが,その時,その街では確かにある言い伝えとして信じられていたのです。

 それは,魔法の果実でした。

 青々として澄んだ碧色の果実が,窓辺に飾っているうちに――お日さまに可愛がられ,星に夜毎いろいろな世界の物語を教えられるうちに,ゆっくりと赤みをおびて――最後に,笑うようにはじけて消える。

 けれども,その実がはじける瞬間を見た者はいませんでした。いつの間にかはじけて,あとに残るのは,ほんのりとした優しい香りだけ。はじけて何も残らないので,子どもたちはこぞって果実の謎を解きあかすべく,寝室の窓枠の,枕もとに一番近いところに果実を飾りましたし,大人たちも後片付けの手間いらずということもあり,何しろとても綺麗な果実でしたから,その果実が花屋に置かれると,必ずといっていいほど皆が求め,部屋の中で一番陽当たりのよい場所を選んで飾りました。

 そのようにして誰からも好かれている果実でしたが,それを持ってくるというおばあさんのことを見知る人は誰ひとりとしていませんでした。何らかの理由によって選ばれた花屋でしか果実は置かれていないのですが,果実を置く花屋でさえも一度も会ったことはないのです。また,選ばれる花屋もその時々によって違いました。――それでも,花を愛するおおかたの花屋なら,いつか一度は店先にその愛らしい果実を置くことになるのだそうですが。



 さて,この街のはずれには花屋が二軒並んでおり,内側の店には青年が,外側の店には真っ白なひげと髪の老人がいました。外側の老人は,孫にあたる一五,六歳の少女を育てていましたが,その少女というのがたいそう美しく,少しばかり変わっていました。

 少女は名をクラリマといい,街を出てすぐのところにある森の入口の草原で毎日のように花をつんでは,それを部屋中に飾っていました。濃いめの金髪に,果実のはじめのうちのような碧色の瞳と,しっとりとして輝かんばかりの白い肌の少女がうっとりと色鮮やかな花に囲まれる姿は,実際,それだけで美しい本の挿し絵のようでしたが,老人は少女に年齢を近くする街人の友だちがひとりもいないのを心配して,ときおり,街の市場へおつかいにやっていました。

 クラリマは,それも楽しみのひとつにしていました。市場には何軒もの花屋があり,そこには草原で見られる花はあまりありませんでしたが,かわりに草原では見られないような珍しい花に出逢うことができたからです。クラリマには同い年の友だちはいませんでしたが,街の花屋とはだいたい親しくなっていました。――たった一軒,老人の隣にある青年の花屋は除いて。

 ある日,クラリマが老人のおつかいで市場に来た時,珍しいサボテンばかりで店の半分も埋めているという,一風変わった花屋の主人が彼女を呼びとめました。

 「来てごらん,お嬢ちゃん。今日はいいものがあるからね。お嬢ちゃんもひとつ持ってお行きよ」

 「何があるの,おじさん? あいかわらず変なサボテンばっかりに見えるんだけど」

 まあ,いいから。こっちに来てごらんよ。――そう言って手招きする主人は,いたずらっ子のように瞳を輝かせていましたので,クラリマはきっと何か楽しいことがあるんだと思い,奇妙なトゲトゲだらけの店先に近寄りました。

 そこには,サボテンと,その主人のお向かいにある花屋の主人と,そして丹念に使いこまれた小さめのバスケットにいっぱいの,あの果実が並んでいました。

 お向かいの主人は,サボテンの主人と笑みを交わしあいながら言いました。

 「今朝,この人と私の店先にバスケットがひとつずつ置かれていたんですよ,お嬢さん」

 クラリマは,ふたりの笑顔を見ながら言いました。

 「それはきっと,おめでとうでいいのね? おじさんたちはしょっちゅうにこにこしてるけど,そんなに嬉しそうにしてるのは,あたし,はじめて見たわ!」

 「ありがとう,お嬢ちゃん。さて,お嬢ちゃんはどれがいいかな。まだ朝も早いからね,いろいろと選べるだろう」

 「何なら,私のところから選んでもいいですからね」

 「ありがとう。じゃあ――じゃあ,ひとつずつ欲しいの。おじいさんと,あたしに」

 クラリマは幼さを残す子どものような仕種をして考え,賢くもそう答えて花を愛するふたりの主人からひとつずつの可愛らしい小さな果実をもらいました。それは,クラリマの手のひらで柔らかくなじみ,朝もやにまぎれながら届くお日さまの白い光を受けて,クラリマを喜ばせるためだけのように輝いていました。

 「綺麗。すごく綺麗ね。でも,わからないことだらけだわ。いったい,これはどこからくるの? 誰が持ってくるのかしら,おじさん?」

 クラリマは顔を上げ,ふたりの花屋をかわるがわる見ました。ふたりは,顔を見合わせ,首をかしげました。

 答えたのはお向かいの主人でした。

 「私は知りませんよ。朝,――それも,まだ夜に遊んでいた小星どものばらまいた光が霧みたいに道にたちこめているころですよ,そのころにいつも私らは起きて働きだすんですからね――店先を掃こうとして扉を開いたら,もう小さなバスケットに山盛りいっぱい,この果実が入って置いてあったんですから」

 それにうなずいて,サボテンの主人も答えました。

 「私も知りませんがね。でも何しろ魔法の果実だ。そんなことを知ったりした日には魔法なんかじゃなくなっちまう――そうでしょう? まあもっとも,なんの魔法だかも知らないけどね。出てくる不思議に消えちまう不思議が生み出す不思議なんて,それだけでもじゅうぶん魔法で楽しいんじゃないかね?」

 「まったく,もっともだわ。でも,その不思議を知りたいの。――ねえ,おじさんたち,いっそのこと自分でためしてみたらいいのに」

 クラリマが無邪気にそう言うと,善良な花屋たちは「とんでもない」とかぶりを振りました。

 「できますか,そんな――とんでもないことを。考えることさえ恐ろしい」

 花屋の言うことは,至極もっともでした。たとえば,どこの世界に自分の焼いたケーキをひとりじめする菓子屋があるでしょうか。どこの世界に自分の手に入れた宝石でみずからをくまなく飾りたてることに執心する宝石商があるでしょうか。花屋だって同じです。ましてやこの果実については,「届ける」ことこそが彼らの仕事でした。

 それは,ある意味で宣教師にも似ていました。彼らが歩くのは,当然ですが「私は選ばれた身だ」などと触れ回るためではありません。「あなたとて愛されている」と――それを届けるために歩くのです。その愛をこそ「求める」とする人に,ちゃんと出会って届けることができるように。これは,彼が彼の心から思う神さまをしんから大事なものとしているからこそするのであって,けっして「あなたとて愛されている」のだから「受けろ」などと強制してはいけないもので,もしそうなったら,それはむしろ神さまへの裏切りに他ならないと,私は思っています。ですから,もちろん「愛されているのは私だけであってほしい」とひとりじめしようとするのは,言語道断といえますでしょう。新星のまっさらな光がまず真っ先に届くと言われているこの街では,花屋と果実の関係はどこか宣教に通じるものがあったのかもしれません。何より美しく幸せに向かうべきものとされていたように思います。

 けれど,少女を責めるわけにはいきません。その少女は,まだ子どもであるがゆえにそれを知らず,知らないがゆえにまだ子どもだったのです。

 ――もっとも,花屋たちがそんなにも恐れるのには,もうひとつ理由がありました。

 「ここだけの話だけどね」

 サボテンの主人が,神妙にした顔を乗り出して,声をひそめました。それはかなりおかしな顔でしたが,クラリマは思わずつられて神妙な顔をしてみせ,「ええ」とあいずちを打ちました。

 「ここだけの,話なんだがね――花屋にだけ言われる話さ。もう何十年も昔――」

 「ちょっと待ってくださいよ,ご主人。そんなこと,お嬢さんに話していいんですか?」

 話の内容を察したらしいお向かいの主人が慌てて止めようとしましたが,サボテンの主人は「何,かまうもんか。どうせお嬢ちゃんの家も花屋なんだ。お嬢ちゃんは大きくなったら花屋になるんだろう?」と言ってとりあおうとしませんでした。そうして,物語は進むのです。

 「それをした花屋がね,消えたんだよ。ある日,果実と一緒に,ふっとね」

 「どこに?」

 「そりゃあ知らないさ。何しろ私の,お嬢ちゃんより小さかったころの話だ。街のはずれでね――ああ,お嬢ちゃんの花屋じゃないさ,安心おし――何を考えたんだか,店の奥にバスケットを抱えてこもっちまってね。店先に置かれっぱなしになった花が全部くたくたになっちまったころに,あの果実の香りだけ残して,ねえ……」

 「いやな話。何だか,怖いわ」

 「だろう?――だからさ。私らはそんなことはしない。花が好きだから可愛がって,可愛がってるから果実を届けられて,それを配って,それだけで喜ばれる――さっきの,お嬢ちゃんみたいにね。それでいいんだよ。なあ?」

 「ええ。そうですとも」

 お向かいの主人がうなずいて,サボテンの主人が「さて,いつまでも油を売ってちゃいけないな」と呟いて話は打ち切られ,クラリマは果実のお礼をふたりに言ってその場を去りました。

 それから老人のおつかいをすませ,市場を抜けて街はずれの我が家へ帰る途中,クラリマはずっと魔法の果実のことを考えていました。

 「おじさんたちの言っていたことは本当かしら?」

 果実をじっとひとりじめして,最後に果実と消えた花屋――そんなことが,あったなんて!

 「もし,本当だとして」

 クラリマは普段ならしゃがみこんで必ず挨拶を交わす道端の草花にさえ目もくれず,考えを巡らせました。

 「おじいさんのお店じゃあないって言ってたわ。それも本当かしら?」

 その時クラリマの頭に浮かんだのは,店番をしている老人の姿でした。あのふたりの主人と同じくらい,早くから起きだしていて,店を掃き浄め,花の手入れをして,日なたの好きな花は店先に,強い日射しに弱い花は少しばかりひんやりとした場所に並べて,最後に店先に古びた椅子をひとつ置いて,自分も座ります。そうして大好きな花たちと,訪れるお客さんを待つのです。

 「――それは,きっと本当ね」

 クラリマは確信して,続けました。

 「だとしたら,街はずれの花屋はあとたったひとつだわ。若い男の人がいるお店。でも,どうかしら? その人の前の,もしかしたらもっとずっと前の主人がそんなことをしたとして,そんな気持ち悪いところにいる気になんてなれるのかしら。あたしには,わからないけど……おじさんは,おじさんがあたしより小さかったころのことって言ってた。だったら,おじいさんにはあたしより大きかったころのことだわ。そのころには,もう花屋だったかもしれない。――おじいさんって,ずいぶんと長く生きてるものなんだわ――おじいさんなら,本当かどうか知ってるかしら?」

 そこでクラリマは,隣の花屋について自分は何も知らないことに気がつきました。生まれた時からずっとお隣さんだったのに,挨拶さえ交わしたおぼえがないのです。

 「悪いことだわ,きっと。なんて愛想のない子なんだろうって思われてるかもしれない」

 クラリマは,なんとなくいやな気持ちになって,急いで街はずれの花屋へと帰ってゆきました。


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