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今はもう 思い出せもしない
悲しい夜に それでも朝にかけて
産声をあげた 時のことを
悲しい夜に朝へと積んだ 濁りと凝りは
すべてを眠らせてしまうやさしさなのに
― 1―
“悲しい果実”
かけがえない世界の「子どもたちへ」
……少女は,枯れない花を探していました。
その森に,遠く。
たったひとり,恐れもせずに。
私が生きている森は,私が生まれたその時から,それはそれは美しいところでした。
小鳥は常にさえずりを交わし,木々は空に向かって……人間でいうなら,両腕を広げて仰ぐようにそびえて,世界のあらゆるすべてを寿いでいました。お日さまの光は,その木々の葉を美しく透かして,朝露に濡れた落ち葉や苔むした岩をも輝かせ,私たちはすべてを育み,すべてに育まれて幸せでした。
私が生まれた世界と,人間が生まれ往く世界とが,すぐ隣りあわせになっていたその頃,私はまだ稚なく,年輪と呼ばれるものも,せいぜい数十本を重ねるばかりで,その程度の幹では当然ですが外の世界までをも見渡せるような大きさは備わっていませんでした。
でもそれは,しかたのないことでしょう。樹を支える勁さもないままに伸びたところで,どうやって嵐に耐えられるでしょうか。小鳥や動物たちを招くことができるでしょうか。いとしくて,あるいは寂しくて招く生き物の重みや,世界を洗うために吹きつけられる嵐に耐えかねて折れてしまう木などというものは,森では格好のお笑いぐさでしょう。幸福に満ちて美しいその森の中で黒く崩折れた木というものを,私は何度となく見てきたのです。
私は,緩やかに滞ることなく営まれるその森の中に生きて,そうして世界とはそういうだけのものだと思っていました。……一体,何のために妖精が生きる世界の木が永い時をかけて,外の世界を見渡せるまでに成長するのかも知らずに。
私にはとても仲のいい小鳥がいました。
人間にはコガラと呼ばれるふっくらとした可愛らしい小鳥で,いつも眠そうな目をしていましたが,とても素直で一途な心を持つ鳥でした。
よく,「鳥は自分の雛のことさえ,失えば三日で忘れる」と言われますが,彼女の場合は違うと思いました。三日のうちに,絶望のあまり彼女の心は死んでしまい,そうしてその体の内で新しく生まれなおす。そんな,ひたすらな魂の純粋さを感じさせていたのです。私は,そうした彼女が慕わしく思えて大好きでした。
彼女はよく,人間の暮らす街の様子を伝えてくれました。小さくて柔らかで,それでいてしなやかな彼女の羽根に色々な姿をうつしては私のもとに降らせてくれたのです。
行き交う人,笑いさざめきながら走り抜ける子どもたちの遊び――そういったものを,羽根が降ってきて地に落ち着くまでの間,私はとてもはしゃいだ気持ちで見つめていました。それは森の世界とはうって変わって慌ただしく,めまぐるしく,軽々しくて,けれどなぜか懐かしいような,奇妙な感覚を呼び起こさせました。
私は,それらの様子をいちいち楽しんで眺めていましたが,やがて,街を行き交う人は街を灼く恐ろしいような形相の何かに変わり,笑いさざめいて走り抜ける子どもたちは,誰かはうつろに淀んだ瞳で力なくさまよい,誰かは以前かくれんぼに使っていた築地や瓦礫の隅にひそんで膝を抱えているようになりました。――以前のように息をひそめて,外を伺って。以前は遊びにくるくると輝かせていた瞳を,怯えにぐるぐるとさまよわせて。
私は,見たくないと思いました。ですが見ずにはいられませんでした。
見るたびにやるせなさはつのり,私の根元に落ちて積もった羽根は悲しいばかりに土に汚れてゆきました。その一番下に積もっている,本当に最初の歓びと愉しみだけをうつした小さな羽根が大地に還るころ,ま新しい,けれどぱさついた羽根が伝えた人間の世界は,お互いを認めて向きあうこともできず,お互いを確かめあう挨拶の言葉さえ忘れているかのようでした。
――もう,やめてください。これ以上見たくはありません。
ある日,耐えきれなくなった私はそう言いました。もっとも,その時には,すでに彼女からの羽根はだいぶ減ってきていました。彼女は衰え,そのうえ人間の世界は私の世界からも彼女からも急速に遠ざかってゆきつつあったのですから,無理からぬことだったかもしれません。拒まずともいずれ遠からぬ日に,その羽根は途絶えていたのかも,しれません。
けれど,つらかったのです。
楽しかった世界の悲しみを見るのも,愛しかった彼女の衰えが,人の世界を私に伝えようとして人の世界に触れることによって,更に加速されてゆくのも。
人間の世界は私たちと隣りあわせに存在していたはずが,いつしか私たちとは遠く隔たれたところにまで離れていました。
疲れた人たちは,私たちを忘れました。ある人は喪われたと,またある人は始めからありはしないものを無知が信じさせていたと言いました。それは違います。私たちは,私たちとして,私たちの世界に在るのです。たとえば人間のような肉体を持たない妖精たちは,永遠とも呼ぶべきほどの永い生を生きます。ただひたすらに,歓び楽しむためだけに。
かつて,人間たちは妖精とは比べものにならないほどのつかの間の生涯で,それでも生を歓び楽しんでいました。時には認めあうために――殺しあいではなく――闘い,確かめあうために言葉を交わして。そんな人間と私たちは,似ていました。似ていたそのころ,似通うがために私たちは近いところに居あわせていました。
……ですが私たちは,たとえ人間がしべてを忘れ遠ざかっても,変わらずに永い生を歓び楽しむためだけに生きるのです。それをするのが,私たちの在る世界なのです。永遠とも呼べる永い生を持ってしまったことそのものが,あるいは時として悲しみのすべてともとれる私たちは,さらに人間の悲しみに侵されるわけにはいきませんでした。それは私たちの世界の崩壊をもたらしかねないものでした。妖精は肉体を持たないがために永遠という力を持ち,逆に,肉体を持たないがために外界からの力にたやすく潰されてしまう儚さを持っていたのです。私たちは,遠ざかるものを繋ぎとめる力もたぐり寄せる力も持ちあわせてはいませんでした。
森はそのままに,街はそのままに,けれど私たちというお互いの世界は決して触れることも確かめあうこともできないまでに遠ざかりました。
傷つけられるものからは逃げるより他に術を持たない,それは私たちの弱さでしょう。永遠ともとれるように永い生涯は,もしかしたら,そのはじめから時間というものから隔てられてあるのではないかと思わせるに足るものでしょう。
私たちは,生きる――生き抜くための生涯という時間を,奪われて在るものなのだ,と。
人間を眺め,もう会うこともかなわない彼女を慕いながら,私はその畢わりに茫漠としてそうした思いにとらわれていました。
そんな浸されるような悲しみの中で思い出したのは,はじめのころに彼女の羽根が伝えてくれたある街の出来事と,この森に辿り着いた青年と少女の姿でした。