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カオスな朝

 ミツバチの羽音でうっすらと目覚めた。

ここはどこだろう? 

なにかとてもいい匂いがしていて、柔らかなものに包まれているような感覚だ。

これは……母上の体の感触? 

母上と一緒に寝るなんて、もう五年以上もなかったはずだ。

最後に一緒に寝たのは僕が七歳の嵐の晩のことで……。


「お目覚めになりましたか?」


 耳のすぐ後ろでユージェニーさんの声が聞こえた。


「あっ……、はい……もう、起きますので、……えっ?」

「おはようございます。今日は晴天になりましたね」


 意識がはっきりすると、戸外の大木に寄りかかったユージェニーさんに、半ば抱きかかえられるような状態で座っていた。


「あ、あのっ」


 すぐにどかなくてはならないのだけど、頭の中が真っ白で行動に移ることができなかった。


「よくおやすみになれましたか?」


 ユージェニーさんは僕の動揺など気にも留めていないようだ。


「は、はい……あの、手を離してください……」


 これでは僕が頼りない子どものようではないか。


「うふふ、ごめんなさい。野宿というものに慣れていなくて……。こうしていると暖かくて、屋外でも安心して眠ることができました」


 そう言いながらユージェニーさんは未だに僕の体を離してくれない。


「お、お役に立てて光栄です。で、でも、そろそろ朝の支度をしなくてはいけません。顔も洗いたいですし……」


 無下に手を振りほどくのも躊躇われて、僕はユージェニーさんの体に包まれながら身を固くしていた。


「そうですわね、そろそろ出立の準備をしなくてはなりませんか」


 ようやく体を離してくれたと思ったら、後ろから僕の耳の付け根の辺りにキスをされてしまった。


「なっ……」

「おはようのキスですわ」


 あまりのことに口もきけなくなってしまったけど、僕は何とか立ち上がり、ユージェニーさんが体を起こすのに手を貸すことさえ忘れなかった。

顔が赤くて恥ずかしかったけど、堂々とした態度は崩さなかったと思う。


「か、顔を洗ってきます!」


 近くの小川で顔を洗って気分を落ち着かせなくては。


「し、失礼」


 なぜか順番待ちをしているような表情のリタさんの横を通って、小川へと向かった。



 僕たちが寝ていた大きなけやきの生えているところから、なだらかな坂を下ると、小さな小川が流れていた。

昨晩は夜明け前まで間道を南下して、ようやくこの場所で仮眠をとったのだ。

両親や吉岡のおじさんたちとキャンプには何度も行っていたけど、本物の野宿は初めての経験だった。

やっぱりテントや寝袋やマットのない野宿は体に堪える。

でも、背中に感じたユージェニーさんの感触は……。

いや! そんな邪念を起こしてどうするというのだ!? 

彼女は慣れない戸外で不安を感じていたからこそ、僕を抱き枕にしていたというのに。

父上なら空間収納から簡易宿泊の設備を、吉岡のおじさんなら土魔法で東屋をそれぞれ用意できたはずだ。

それなのに僕ときたら、宿屋の場所さえ分かりはしない。

反省して、今後はもっと思慮深く行動することにしようと誓った。



「どこかで食べ物を手に入れましょう。ラインハルトさんもお腹が空いたでしょう?」


 ユージェニーさんにそう聞かれて初めて、ゴルフスドルフで夕飯を食べて以来、食べ物を口に入れていないことを思い出した。

緊張で食欲を忘れていたのだが、言われてみればお腹も空いている。


「そうですね、道沿いにある村などで食料が手に入るか交渉してみます」


 財布の中には十万マルケスというお金が入れてある。

子どもが持つにしては大金だけど、旅の途中で入り用かもしれないと両親が持たせてくれたものだ。

無駄遣いはしちゃダメだけど、貴族の子弟として恥をかかないようにとの気遣いから渡されたものだ。

五人分の食料を仕入れても十分余るほどの金額だから心配はない。

母上には内緒で、多めに持たせてくれた父上に改めて感謝だ。


 どこか食堂でもあればいいのだけど、街道を外れた道にそんな気の利いた施設があるとも思えない。

食事を出してくれる宿屋でも見つけられるだろうか。

改めて考えてみるとユージェニーさんたちが僕と行動を共にしているメリットなんてあるのだろうかと心配になってきた。


「ユージェニーさん……」

「どうしましたか?」

「これ以上、僕の我儘にあなた方を付き合わせては申し訳ありません」

「どういうことでしょうか?」

「僕は王国貴族です。オストレア来襲の詳細を一刻も早くブレガンツに伝える義務があります。ですが、ユージェニーさんたちには関係のないことだともいえるのではないでしょうか。それなのに、僕に付き合っていただき、貴方のような貴婦人に野宿をさせ、あまつさえ朝食にすら事欠くありさまです。申し訳なくて……」

「そんなことを気にされていたのですね……」


 ユージェニーさんは真っ直ぐに僕の眼を見つめてきた。


「あの夜、ラインハルトさんは私のために命をして道を切り開いてくださいました。あの瞬間から私たちは一心同体です。貴方が使命を果たされるまで、いえ、学問のために王都へたどり着くまで、私はラインハルトさんと共にあると誓いました。ですから何の遠慮もいらないのです」

「ユージェニーさん……」


 彼女のような貴婦人にそこまで言われて、僕は感動で打ち震えてしまった。

そこへ不意打ちをくらうような形で両手を広げたユージェニーさんに正面から抱きつかれた。

大きくて柔らかなものに顔を挟まれている……。

う、動けない。


「貴方が私を守ってくださるように、私も貴方をお守りしますわ。だからラインハルトさんも安心して、その身も心も私に委ねてくださいね」


 抱きしめられたまま、うまく呼吸ができなくて頭がぼんやりとしていた。

遠くから皆の声が聞こえてくる。


「お嬢様、もうそれくらいで……」

「団長、私にもおこぼれを……」

「キャハハハハ」


 穏やかな春の日なのに、カオスな朝だった。




 僕の生まれ育ったエッバベルクは寒冷な気候で知られている。

春とはいえ山の裾野には残雪が見られ、作物が実るのはまだまだ先のことだ。

だけどバーデン湖を南下すること三日、ここはずっと温暖なようで、もう葉物野菜が畑で大きくなり始めている。

ユージェニーさんと馬に揺られながら、前方を見ると大きな街が見えてきていた。


「ユージェニーさん、あれはブレガンツではないですか?」


 湖沿いの平原の向こうに岩山のような城壁が見えていた。


「そのとおりですわ」


 街道を外れたため、ろくな宿も見つけられずに苦労をしたけど、ついにブレガンツに到着することができたぞ。

夕暮れにはまだ時間があるから、このままブレガンツの水軍基地へ出向いて報告をすませてしまおう。


「僕はこの足で水軍基地に向かいます」

「それでしたら私たちは宿を手配しましょう。ブレガンツならまともなホテルもありますから、今夜は無事にたどり着けたお祝いをしましょうね」

 街の広場を待ち合わせ場所にして、僕らは二手に別れた。


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