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おもかげ

 少し広くなったエントランスを抜けて食堂へ入いると、女性が一人椅子に腰かけていた。

ほっそりとした体つきで背筋を伸ばして座る姿には品がある。

この人が例の傭兵団の頭目だろうか? 

確かに美しい顔立ちをしているけど違うな。

だってこの人はメイド服を着ているもん。

僕らの他にも騎士や貴族が宿泊していて、そういった人たちに仕えているのかもしれない。

その場合は挨拶をしなければいけないから、このメイドにちょっと確認しておいた方がいいだろう。


 目が合うと彼女は音もなくスッと立ち上がり、一礼してきた。

立ち居振る舞いの一つ一つが洗練されている。

年齢は20代の後半くらいかな。


「こんばんは。貴方もここの宿泊客ですか?」

「はい。私は漂泊の団という傭兵団でメイドをしておりますカリーナ・アンゲラーと申します」


 丁寧に頭を下げる様子は名家の使用人の風格がある。

とても傭兵団に属する人には見えなかった。


「ああ、話は聞いていますよ。傭兵団の団長がこの宿に泊まっているそうだね」

「そのとおりでございます」


 にこやかに微笑むカリーナさんに見つめられて僕はドキドキしてしまった。

何を見ているのだろう? 

父から受け継いだ黒い瞳が珍しいのかもしれないな。


「お待たせしました!」


 部屋の奥から宿屋の女将さんが現れ、カリーナさんにワインの小樽を渡していた。

随分と重たそうだ。


「部屋までお持ちしましょう」


 人には親切であれと常日頃から両親に言われている。


「ご親切はありがたいですが若様のお食事の用意が整ったようでございます。どうぞ温かいうちにお召し上がりになってください」


 カリーナさんは樽をテーブルの上に置き、僕のために椅子をひいてくれた。

そこまでされたら座らないわけにもいかない。


「ありがとう」

「いえ。どうぞお食事をお楽しみください」


 素敵な笑顔を残してカリーナさんは去って行く。


「いい女でしたな」


 ラル隊長の視線が立ち去るカリーナさんのお尻のあたりにくぎ付けになっていた。

仕事ぶりは真面目なのだが女好きのようだ。


   ♢


 部屋に戻ったカリーナは小さな含み笑いをたたえていた。

今しがた出会った少年の純真な態度が可愛らしかったからだ。

貴族の子弟であろうが、顔を赤らめながら部屋まで荷物を持とうと申し出た態度が好ましかった。


「随分と機嫌がよさそうなこと。何かあったのかしら?」


 声の主はカリーナの主人であるユリアーナ・ツェベライだった。

部屋へ運ばせた食事の前に座り、退屈そうにフォークをつまむように持ったまま、ぼんやりとカリーナを眺めている。

食事はほとんど進んでいないようだ。

食堂へ行くとユリアーナの姿を一目見ようと人が詰めかけるのでここで食事をしているのだ。


「少し可愛らしい男の子に出会いましたもので」


 カリーナの言葉に曇っていたユリアーナの表情は霧が晴れたように輝いていく。


「まあ、珍しい。昔は年上の男性が好きだったくせに、いつから宗旨替えをしたのかしら?」

「それだけ私も年を取ったということでございましょう」


 カリーナはかつて自分の愛した男の姿を脳裏に思い浮かべる。

14年の歳月が経ったが、少し困ったようなあの笑顔と、憎めない愛玩犬のような表情は今でも容易く思い出すことができた。

……。

……犬のような表情?

それにあの黒い瞳……。

さっきの若様は……。


 突然にそわそわと落ち着きをなくした侍女を見てユリアーナは小首を傾げた。


「どうしたというの? 少し様子が変よ」

「いえ……」


 先ほどの少年はどう見ても貴族の子弟だった。

一見すると日野春公太には似ていない。

ただ、黒い瞳と、どことなく犬っぽい顔立ちが気になった。

ひょっとするとヒノハルの縁者かもしれない。

こんなことならば名前を聞いておけばよかったとカリーナは後悔した。


「カリーナ?」


 ユリアーナに打ち明けてみようかとも思ったが、カリーナは思いとどまった。

報告は事実がはっきりしてからだって遅くはない。

自分に色目を使っていた騎士に聞けば少年の名前は簡単にわかるだろう。


「少し気になったことがあっただけでございます。それよりもお食事が進んでいらっしゃらないご様子ですね」


 ユリアーナの皿にはニジマスのバタームニエルがほぼ手つかずで残っていた。


「淡水魚はあまり好きではないのよ……」


 ユリアーナはナイフとフォークを置いて、グラスの白ワインに口をつけた。


   ♢


 僕と護衛騎士たちは一つのテーブルを囲んで夕食を楽しんでいた。

今夜のメインディッシュはニジマスのムニエルで酸味の強いパセリバターが添えてある。

エッバベルクでもニジマスはよく獲れるが、バーデン湖のマスは一回り以上大きいようだ。

長旅をしてお腹が空いていた僕たちはガツガツとたいらげた。


「ところでラインハルト様はもう許嫁がおられるのですかな?」


 突然ラル隊長が聞いてきた。

僕ももう少しで13歳になり、成人まで後数年だ。

そういう話があってもおかしくはないのだけど、今のところ両親からは何も聞かされていない。

両親としては学院を卒業してからでも問題ないと考えているようだ。


「いえ、特には……」

「だとすれば、ラインハルト様の学院生活は大変でしょうな。あのアンスバッハ家に嫁ぐことができるチャンスですから、女子たちが放っておいてはくれないでしょう。いや、羨ましい!」


 ラル隊長は冷やかすように言って杯をあおった。

そうか、そのような見方もできるわけだ。

確かにアンスバッハ家は裕福だし、他所にはない様々な技術もある。

だけどそれは母上と父上の能力の結晶だ。

自分自身が認められたわけじゃない。

どうせならそういうことを抜きにして、僕自身に魅力を感じてくれる人と結ばれたいというのは甘すぎる考えなのだろうか。

 恋と言えば、僕はずっとノエル姉さんに淡い恋心を抱いていたと思う。

ノエル姉さんはガイスト家の末娘だ。

僕より9歳も年上だから本物の恋心というよりも憧れに近い感じかな。

天然のほんわかした雰囲気が好きだった。

ガイスト家の長女はリアさんといって、勇者ゲイリーと王都のダンジョンを探索した凄腕の召喚士だ。

吉岡のおじさんはリアさんのことを「僕の飼い主」なんて言っていたな。

ダンジョンの探索はとっくに終わっていて、リアさんは勇者ユウイチと8年前に結婚して幸せに暮らしている。

たぶん、吉岡のおじさんはリアさんのことが好きだったんだと思う。

リアさんが結婚した時の寂しそうな笑顔を僕は忘れられない。

最近になってようやく傷心も癒えて、運命の恋人エルフを探す旅に出かけたわけだ。

ちなみにガイスト家の長男のゾットさんは王都のアンスバッハ邸の差配をしていて、今や母上の側近の一人となった。

エッバベルク出身で同じギリール人の血を引くということもあり、母上の信用も厚い。

そして、ノエル姉さんも3年前にエッボさんと結ばれた。

少し寂しい気持ちもしたけど僕は心の底から祝福できた。

どちらも僕にとっては大切な人だったから。

そういうわけで僕はまだ本物の恋はしたことがないのだと思う。

学院にいったら僕にとっての運命の人がみつかるのだろうか?


 春色に染まる僕の妄想を打ち砕いたのは屋外から聞こえる人々の叫び声だった。


「逃げろぉ! オストレアの兵隊だぁ!」


 ラル隊長と目が合った。


「すぐに避難を!」


 父上の教えを守って財布だけは常に身につけていたのがよかった。

このまま部屋に戻らずに脱出できる。

ついでにテーブルの上のパンもポケットにねじ込んだ。

水と食料と金、これがあれば人はなんとか生きていけるそうだ。


「行きましょう」


 促されるまま歩きかけた時、ふと先ほど出会ったカリーナさんのことを思い出した。

彼女は傭兵団の関係者だ。

オストレア兵に捕まれば何をされるかわからない。

放っておくことはできない気がした。


「ラル隊長、少しだけ時間をください」


 僕はラル隊長の返事を待っていなかった。

その場でオロオロしていた宿の女将にカリーナさんの部屋の場所を聞いて階段を駆け上った。

そしてドアをノックしながら大きな声で叫ぶ。


「カリーナさん、食堂でお会いした者です。開けてください。この街にオストレアの軍勢が攻めてきたのです」


 もどかしい数秒が過ぎ、ドアがゆっくりと開かれた。


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