2.お気に入りのドレスを身につけて
「レオン、このドレスはどうかしら」
私は侍女に着せてもらった白いドレスを婚約者のレオンに見せた。
数ヵ月後の結婚式のための、ウェディングドレスの試着。皇太子の結婚式ということもあり、周辺国の王族を招くなど盛大に催される。
レオンは顔を上げると、目を見開いて口を軽く半分開けたまま停止した。
「レオン?」
「ヴィー……綺麗だ。独り占めしたくなるほどに」
金髪碧眼のイケメンに微笑まれて、私は頬に熱が集まるのを感じる。
婚約破棄の危機を乗り越えてから、レオンは私──ヴィオラの愛称ヴィーと呼ぶようになった。
ふと、思い出したように一つ念じると、目の前にパラメーターが出現する。
好感度は120%
ゲージがMAXを振り切っている。『鬼畜な皇太子編』になってから好感度が異常数値を叩き出すようになった。
もう乙女ゲームの設定に頼るのはやめよう。静かにパラメーターを閉じた。
「やっぱり、このドレスは却下」
「どうして?」
「どうしてって……」
レオンは私の顔を見つめてから、顔を伏せてボソッと呟いた。
「胸元が開いているから他の奴に見せなくない」
「あっ」
鏡で自分の姿を見た。
鎖骨を目立たせるために、肩と胸元が開いたデザインのドレスだった。言われてみたら、胸元の谷間が強調されているように見える。
鬼畜な皇太子様のお気に召さなかったようだ。
「そうね……他のドレスにしようかしら」
希望のデザインを侍女に伝えると、候補のドレスを運んでくる。
数十着試着して、胸元から首までレースで覆われたデザインに決まった。繊細なレースの刺繍が気に入って、レオンも一目見た瞬間に絶賛していた。
◇◇◇
結婚式が一ヶ月に迫った日、侍女が走ってきた。
「ヴィオラ様、大変です!」
「どうしたの?」
「ウェディングドレスが……」
衣装室にあったドレスが、無惨にも切り刻まれていた。レースの部分は複数穴が開いていた。
「ひどい……」
私はドレスに手に触れると力なく握った。
ドレスは職人の手によって一針ずつ心を込めて作られたもの。一着作るのに数ヵ月はかかる。一ヶ月では間に合うはずがない。
「誰がこんなことを」
頭の中に真っ先に思い浮かんだのは、陰を潜めていた悪役令嬢の顔だった。私とレオンの婚約破棄が未遂に終わってから、自室に引きこもるようになったらしい。
「ヴィオラ様、私の管理が不十分でした。謝って済む話ではありません。……罰はどんなことでも受けます!」
侍女は声を震わせながら頭を下げる。私は「落ち着いて」と声をかけるが、頑として動く気配がない。
「何事だ」
「レオン……」
レオンは衣装室を一瞥しただけで状況はわかったようだった。
「レオン様。目を離した隙に何者かに荒らされてしまいました。全ては私の責任でございます!」
「もうよい」
侍女のそれ以上の言葉を止めて、別室に連れていくように他の者に指示した。
「レオンに選んでもらったウェディングドレスが……」
呆然と呟く私を、レオンは抱き締める。レオンが気に入ってつけている柑橘系の香りが強く感じた。
「大丈夫だよ」
「気に入っていたドレスだったけれど、選び直さないと……」
「大丈夫。こんなときのために同じデザインのドレスを数着作るように言っていたから」
「──そうなの?」
私はレオンの顔をまじまじと見た。用意周到だとは思っていたけれど、同じドレスを注文していたとは。繊細なドレスを同じデザインを用意するように指示される者も大変だっただろう。
「俺に任せておいて」
ふんわりと笑った目に鋭い光が宿ったように感じたのは気のせいだろうか。
◇◇◇
真夜中、何者かが衣装室の鍵を開けた。周囲を用心深く確認してから中へ入る。
一つのドレスを見つけて立ち止まる。
「あの女がこのドレスを着ているなんて許せない……」
喉から絞り出すように言葉を吐く。手に持っている短剣が月の光に反射した。一気に短剣を振り下ろそうとする。
「そこまでだ。マルグレット」
ランプを持ったレオンが、従者を引き連れて入り口に立っていた。悪役令嬢──マルグレットは驚愕の表情を浮かべる。
「どうして……」
「見張らせてもらった」
レオンが歩いてきて、マルグレットの手にある短剣を奪った。
「君にだけ、同じドレスがもう一着あるという情報を伝えた」
「まさか……」
「君の父上も協力してくれたよ『娘の目が覚めるようなら』と。君のような人の手の届くところに衣装室の鍵があったら、使用しないはずがない」
マルグレットの父親は城の鍵の管理を行っていた。あえてマルグレットの目のつくところに置いておくようにと頼んだのだ。
「今回のことは目を瞑ろう。だけど、これ以上ヴィオラにイタズラすることは許さない」
従者が小声で「許してしまっていいのですか?」とレオンに話しかけるが、「いい」とだけ返事した。
「レオン様……私はずっと貴方の婚約者の候補でした。希望が失ってどうやって生きていけばいいのですの……っ」
マルグレットはポタポタと涙を流した。紳士ならハンカチを差し出すところが、レオンは冷酷な目をして腕を組んだ。
「涙を流せば同情を引けるとでも思っているのか?」
「そんなことは」
「……ヴィオラは婚約破棄になりそうになっても、弱音一つ言わなかった」
マルグレットは一瞬目を見開き、憑き物が落ちたように肩を落とした。
◇◇◇
ドレスの騒ぎは悪役令嬢の自らの非を認めて幕引きとなった。
私にはレオンが何を言ったのかは知らなかったけれど、彼女からの嫌がらせはなくなった。
噂によるとレオンに一目置かれる存在になりたいという思いで勉学に励んでいるらしい。
私も負けてはいられない。私だってレオンから一目置かれる存在でありたい。
ランプの光が灯る中、周辺国の歴史の本を一枚めくる。
「頑張りすぎると体がもたないよ」
ノック音がして、レオンが部屋に入ってくる。
レオンは「こんな本があったとはね」と私の持つ本を見る。肩に息が近づいてきて、ドキッとしてしまった。
「話題作りも必要かなって思って」
「偉いね」
頭に優しく手を乗せてポンポンとした。
イケメンにポンポン……!
私の頭の中では十分な破壊力があった。
何回かポンポンしてから、おやと私の顔色を見つめる。
「そんなに可愛い顔していると……」
言いかけて、レオンは思いっきり頭を抱えた。
「どうしたの?」
「いや、こっちの話。……ヴィーが可愛すぎるのが悪い」
「……どういうこと?」
「言ってもいいの?」
レオンは質問を質問で返すと、「これ以上は僕の正気がもたないってことだよ」と言って軽く私の頬にキスをする。
「おやすみ」
レオンは足早に部屋を出ていった。
『ヴィオラ様を悲しませることだけは許しませんよ。とくに結婚式前に粗相をすることだけは』
とレオンの従者アリュートから、釘を刺されていたことを知ったのは、少し後のことだった。