エカテリーナ先生、教育現場を(強引に)改革する
エカテリーナ・ツェペシュには二つの顔がある。
一つは吸血鬼から神化した闇の神祖としての顔。
暗闇に潜む魔性たちの頂点にして、恐怖と安らかな静寂を司る神格。
そしてもう一つの顔が、人の世に溶け込む昼の顔。
訳あって地球の霊的守護者たる臥龍院尊に仕え、彼女の命令で今や業界の最重要人物となってしまった犬飼晃弘の護衛をするべく、普段は高校の英語教師として働いている。
「はぁ? 頭髪検査ぁ?」
だが、数百年の時を生き世界各地を渡り歩いた彼女をしても、日本の学校教育の現場には、未だに理解できない謎のルールや、暗黙の了解が存在していた。
「ええ、そろそろ六月になりますし、ここらで生徒たちの気を引き締めさせる意味でも実施しようかと……」
と、平身低頭でエカテリーナにお伺いを立てているのは、晃弘が通う夜鳥羽第一高校の校長である。
エカテリーナが(強引に)赴任してすでに半月が経ち、校内の勢力図はすでにエカテリーナを頂点としたピラミッド型構造に置き換わっていた。
「くだらないわぁ。髪形なんてどーでもいいじゃなぁい。むしろ学生の内に髪形のセットとかメイクの方法とか教えないでどうするのよ」
「し、しかしあまり学生たちの自由にさせては風紀が……」
校長室のソファーに足を組んで座るエカテリーナの前に跪き、校長がしどろもどろに答える。
「バカね。若者たちをつまらないルールで縛ったら余計に反発するに決まってるじゃない。学校って、勉強だけ教えてればいいだけの場所じゃなくってよ」
「ですが教育委員会へ実績を報告しなくては……」
「お黙り!」
「ぶひぃ!」
エカテリーナにビンタされて豚のように鳴く校長。
校長の贅肉に弛んだ顔に倒錯した笑みが浮かぶ。
「県教が何よ。そんなもの私が黙らせるわぁ。教育なんて社会に出た時に生きてくるものでなければ意味がないのよ。いいこと? 頭髪検査は中止。代わりにヘアアレンジ・メイク実習をやりなさい」
「し、しかしそれでは校則に反してしまうのでは」
「あなた校長でしょう? 修正案はもうメールで飛ばしてあるから、ちゃちゃっと書き換えちゃって。むしろ毎年校則は見直すべきね。時代にそぐわないカビの生えたルールで若者を縛るなんて言語道断よぉ。ほら、何してるの。やれと言ったらすぐ実行!」
「ぶひぃ! イエスマムッ!」
エカテリーナにケツを蹴られて飛び上がった校長が自らの意思で自分の机に戻っていく。
催眠で思い通りに動かしてしまうのは簡単だが、それでは自分がいなくなった後に何も残らない。
教師にもまた調教……もとい教育が必要なのだ。久しぶりにやりがいのある仕事に、珍しくエカテリーナは燃えていた。
「さ、どんどん改革していきましょう♪」
☆
「ああああっ! テストの採点が終わらねぇ!」
ある日の深夜。
夜遅くまで学校に残り、中間テストの採点をしていた教師が悲鳴を上げた。
そんなピリピリとした空気漂う職員室に黄金の髪をなびかせ颯爽と現れた一人の影。エカテリーナである。
「煮詰まってるわねぇ。手伝ってあげましょうか」
「エ、エリー先生!? 助かります!」
エリー先生とはエカテリーナの愛称だ。本人も割と気に入っている。
同僚から回答用紙と問題用紙の原本を受け取ったエカテリーナは、印刷機で用紙をPDF化し、それを自作のツールに読み込ませてあっという間に採点を終わらせてしまった。
「問題用紙の自動作成ツールと回答用紙のフォーマット、ついでに自動採点ツールも作ったから、今度の職員会議で配布するわぁ。誰でも使えるように分かりやすく仕様書も纏めておいたから次からはこれを使いなさぁい」
「い、今までの苦労はいったい……」
「自動化できるところはどんどん自動化しなきゃ。残業代も出ないのに残業なんてバカらしいでしょ?」
後日、エカテリーナの作成したツールはネット上に無料公開され、とにかく便利だとSNSで話題を呼び、教師の時間外労働削減に大きく貢献した。
またある日の放課後のこと。
生徒たちの部活の指導を終えて帰宅しようとしていた教師たちがポツリと愚痴をこぼした。
「部活の顧問もなぁ、やりがいはあるけどやっぱ疲れるよなぁ……」
「ですね……。運動部なんかは夏の大会に向けて一番練習に熱が入る時期ですし、三年生は最後の大会だから勝たせてやりたいとは思うんですが、やっぱ素人の指導じゃ限界はありますよね」
「話は聞かせてもらったわ」
「「エリー先生!?」」
颯爽登場、エリー先生である。闇の神祖は影のある場所ならばどこへでも自由に移動可能なのだ。
「プロに任せるべきね。そもそも部活の指導要員まで教師が兼任しているのがおかしいのよぉ」
「そ、そうは言ってもそんな予算どこに……」
「親たちに出させればいいのよぉ。そうね、次の土曜にでも緊急のPTA会議を開くわ。そこで私が説得してあげる」
その週の土曜日、緊急のPTA会議が開かれ、エカテリーナの傀儡となった校長の熱意ある説得と、エカテリーナが事前に用意していた資料により保護者の同意を得ることに成功。
集められた予算を元に、事前に話を通していた指導員たちを雇うことで、翌々週にはすべての部活の顧問が外部委託に切り替わった。
「エリー先生! あの、ちょっとご相談が……」
また別の日の昼休み。
今年の春から赴任してきた新人の女性教師がエカテリーナに声をかけてきた。
「あら何かしら」
「その、実は私のクラスの雰囲気がぎこちないというか、みんなお互いに距離を測りかねているというか……」
「ヤマアラシのジレンマよねぇ」
ゴールデンウイーク中に人知れず起きた人類滅亡の危機。
晃弘たちの活躍により危機はどうにか回避され、その際、神へと至った晃弘の願いにより、人類は他者の心の痛みを肉体的な痛みとして知覚できる一種の感応能力を手に入れた。
これにより世界から無用な争いや無意味なマウントの取り合いなどは大きく減ったが、同時に人々は互いに痛みを恐れて人と距離を置くようにもなってしまった。
「そうねぇ、コミュニケーション能力の向上って名目で、ディスカッションの授業を導入させるわ」
「ディスカッションですか?」
「最初にいくつかルールを定めて、適当なお題をブン投げて生徒同士で議論を交わさせるのよ。自分の意見を言えるようになれば、自然と互いの理解も深まるでしょう? 私たちがやるべきはそういう場を設けてあげることだと思うわぁ」
後日、校長の鶴の一声で本当にディスカッションの時間が設けられた。
校長はすでにエカテリーナのマゾ豚奴隷なので、彼女がやると言ったらそれはもう決定事項なのだ。
その際に設けられたルールは四つ。
相手の話は最後まで聞くこと。
相手の意見を否定したりバカにしないこと。
可能な限りユーモアを混ぜること。
議題から脱線してもいいので、きちんと自分の意見を言うこと。
こうしたルールが設けられたことで、普段あまり喋らない生徒にも会話の機会が増え、その後のアンケートではそれをきっかけに友達ができたり自信がついたという声も寄せられた。
また校内に互いを尊重する気風が生まれ、人の話を聞く力が身に付いたことで期末テストの平均点も前年度と比較して一五%も上昇した。
この成果を受け、夏の緊急国会で国の指導要領が大幅に見直され、二学期から全国の小中高すべての学校で正式にディスカッションの授業が採用されることになった。
また、部活動の外部顧問を雇ったことにより運動部がめざましい成果を上げ、教員の時間外労働問題も解決した事実を受け、全国の学校に対し外部顧問を雇う際に国から補助金が出される法案も可決した。
この電撃的とも言えるスピード決定の裏に、魔性の美貌を湛えたとある闇の神祖が関わっていたのは最早言うまでもないだろう。
すでに彼女の手は与党野党関わらず、この国の中枢にまで深く食い込んでいた。もうこの国はダメかもしれない。
☆
「なんか最近学校の雰囲気明るくなったよな」
「そうね。前より校則もゆるくなったし、過ごしやすくなったわね」
ある日の朝。
なんとなしに教室を見渡した晃弘が思ったままの感想を口にし、麗羅もそれに頷く。
以前に比べてクラス全体が生き生きとしており、仲の良い平和なクラス特有の穏やかな空気が学校全体に広まっているのが肌で感じられた。
実際、学校という場所は多感な年頃の少年少女が大勢集まるため、陰の気も溜まりやすく、それが原因で様々な怪異も発生しやすい。
だがここ数週間あまりで外的要因が改善されたおかげか、生徒たちの陽の気が強まり、それがさらに陽の気を呼び込むという好循環が発生していた。
「なんかエカテリーナが裏で色々と頑張ってるみたい。久々にやりがいがあるって張り切ってたもの」
「大丈夫なのか、それ」
「ご主人様が黙ってるってことは大丈夫でしょ」
「それもそうか」
と、晃弘が頷いたところでちょうどチャイムが鳴り、エカテリーナが豊かな金髪をなびかせて教室に入ってきた。
「はぁい、みんなおはよう。今朝もちょっとしたお知らせがあるわぁ。生徒指導室って名前が上から目線で気に食わなかったから、今日から『だべり部屋』に改名したわぁ。内装もおしゃれにアレンジしたから自由に使ってちょうだいな」
エリー先生、やりたい放題である。
だが、そんなエカテリーナを生徒たちは大いに慕っていた。
なによりユーモアたっぷりな英語の授業が面白いというのも人気の秘訣だろう。
「お知らせは以上よぉ、みんな今日も一日頑張っていきましょ!」
『はーい!』
闇の神祖にして女教師、エカテリーナ・ツェペシュの教育改革はまだまだ始まったばかりだ。
頭の固いお偉いさんはみんなマゾ豚調教しちゃいましょうねぇ(にっこり)




