ちょっと色あせた街の料理屋の方が案外美味かったりする
お待たせ!
その日は中間テスト明けの休日ということもあり、富岡辰巳は涼葉と二人で街にデートへ出かけていた。
涼葉の実家が兵庫にあるということで、彼女に神戸の街を案内してもらい、楽しい時間はあっという間に過ぎて、そろそろ昼時に差し掛かろうかという頃合い。
「そろそろお昼ですし、どこかで何か食べましょうか」
「どこがいいかな~」
と、二人で良さげな店を探して歩き回ることになったのだが……
「三時間待ち!?」
「あ~、そういえばこの前テレビで特集されてたから、それでかも~」
スマホで検索して見つけた高評価の店に行ってみれば、やけに長い行列ができていたり……
「こっちの店は閉店ですか……」
「このご時世ですもんね~。残念ですぅ……」
時世のあおりを受けて閉店していたり、そもそも予約でいっぱいだったりと、中々これという店が決まらなかった。
せっかく神戸まで出てきたのだし、どこでも食べられるファーストフードというのも味気ない。
どうせならここでしか食べられないようなものを食べたい。そんな想いに突き動かされあちこち歩き回って店を探すも、次第に空腹の方が勝って、とりあえずすぐにでも食べられそうな店を探すことになった。
「あ、すぐご案内できますだって~」
涼葉が電柱の影にひっそりと置かれた置き看板を目ざとく見つけ、路地の奥を指差す。
手書きのポップな字体で書かれた『夢慈菜軒』という店名。コック帽をかぶったタヌキのマスコットキャラから察するに街の洋食屋だろうか。
「なんか隠れた名店っぽいですね。学生お断りとかじゃないといいんですけど」
何となく隠れ家的名店の気配を察した辰巳が頷き、二人で路地の奥へと入っていくと、三方をビルの壁に囲まれた日当たりの悪い都会の隙間にひっそりとその店は建っていた。
看板こそ色褪せて古ぼけはいるが、窓ガラスはピカピカに磨き抜かれており、掃除はきちんと行き届いているらしいことが伺える。
「こんにちわ~」
物怖じせずに涼葉がベルのついたドアを開けると、なにやら殺風景な部屋に出た。
奥の様子はカーテンで仕切られており伺い知れず、椅子はおろか花瓶の一つも置かれていない。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
と、店の奥からタヌキ顔のコックが顔を出した。
年齢は四〇代くらいか。ひげの無いつるりとした丸顔がいかにも美味そうな料理を作りそうな感じの、清潔感のある男だった。
「あ、はい。僕たち学生なんですけど、大丈夫ですか?」
「もちろんです。当店のルールさえ守っていただけるのであれば、年齢は関係ありませんよ」
接客にも澱みは無く、学生カップル二人にも心地いい笑顔と声音での丁寧な応対。男の人柄の良さが伺えた。
「ルール、と言いますと?」
「はい。当店ではお客様自身が最高の状態でお料理を楽しんでいただくために、いくつか私の方から注文をさせていただきます。それらを守ってくださるのであれば最高の料理をお出しするとお約束いたしますよ」
これはまたなんとも風変わりな店を引き当ててしまったらしい。
だが、すでに二人は背中とお腹がくっつきそうなほど腹ぺこだったし、いまさら別の店を探すほどの気力もない。
二人は顔を見合わせ頷き合い、店主の指示に従うことを了承した。
「ありがとうございます。ではまず初めに、そちらのシャワールームで外の埃をしっかりと落としてきてください。残りの指示は脱衣所のパネルに従ってくださいね」
言われるままそれぞれ男女別の脱衣所に移動すると、脱衣籠の中に指示が書かれた紙が入っていた。
『まずはシャワーを浴びて全身を綺麗にしてください。髪も丁寧に洗い流して、恥ずかしいかもしれませんが、全身のムダ毛も籠の中にあるハサミとカミソリで可能な限り剃ってください』
ムダ毛と料理がどう関係するのかまるで分からないが、約束したからには守らなければという心理が働き、二人は律義に身体を洗った。
二人とも元々体毛が薄かったため、ムダ毛の処理もすぐに終わった。
身体を洗い流しさっぱりすると、今度はバスタオルの下に次の指示が置いてあった。
『身体を洗いましたら、次はお召し物を着替えてください。着替えはバスタオルの下に置いてあります。貴金属などを着けている場合は外して、貴重品と一緒に脱衣籠の隣にある金庫の中へ仕舞ってください』
指示通りスマホと財布をダイヤル式の金庫の中へ仕舞い、置いてあった不思議な生地を使ったバスローブに着替える。
しっとりと肌に吸い付くような質感で、何となく生春巻きの皮みたいだなぁと思った辺りで、辰巳と涼葉ははたと気付いた。
((これって、なんか『注文の多い料理店』みたいだなぁ……))
宮沢賢治著の有名な児童文学を思い出す。
あれは人に化けた山猫がマヌケな二人の客を騙して食べようとする話だったが……
((……まさか、ね))
意外にもしっかりとした透けない生地の服に着替えた二人は、若干の疑念を抱きながらも『出口』と書かれたドアから脱衣所を出る。
すると今度は二人分の施術台が置かれた部屋に出た。
部屋には心地よい香りのアロマが焚かれ、全身ピカピカになった辰巳と涼葉を、双子の女性整体師が出迎える。
「お客様には料理が出来上がるまでの間、マッサージを受けていただきます」
「もちろんこれも料金の内に含まれておりますのでご安心ください」
顔立ちはコックに似ており、やはりタヌキ顔だった。
年齢は二〇代半ばくらいだろうか。恐らく親子なのだろう。
「えっと、まだ僕たち料理注文していないんですけど」
ますます怪しい。
まさかタヌキに化かされているのでは。そんな疑念が二人の脳裏をよぎるが、双子たちが父親譲りの笑顔で答えを返す。
「お料理はお客様に合わせたものをコックがお作りいたします」
「お代金は初回サービスで一〇〇〇円になります」
「安っ!? そんなに安くて大丈夫なんですか?」
逆に心配になってくる値段設定に辰巳が警戒の色を見せるが、双子たちはやはりニコニコと営業スマイルを崩さなかった。
「はい。殆ど父の趣味でやっている店ですので」
「本業は別にあるんです。ですからご心配には及びません。さあ、どうぞこちらへ」
半ば強引に施術台に乗せられ、オイルマッサージが始まる。
これがなんとも心地よく、アロマのいい香りもあって施術が終わる頃には先程までの疑惑の念などすっかり頭の中から消え去っており、ついでに身体も雲のように軽くなった。
「お疲れ様でした。お席へご案内いたします」
「こちらへどうぞ」
ふわふわした足取りで席に案内されれば、ちょうどいいタイミングで前菜の皿が運ばれてくる。
「当店のルールを守っていただきありがとうございました。こちら、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼでございます」
「あ、よかった~。ちゃんとお料理出てきました~」
「オイルマッサージまでされた時は、僕たちを料理するための下ごしらえかと疑っちゃいましたよね」
「有名な小説ですからね。ドキドキしたでしょう?」
シェフが人懐っこいウインクでそう返せば、自然と場に穏やかな空気が満ちた。
「それに、マッサージにもちゃんと意味はあるんですよ。オイルで身体の老廃物を出して、お香でお客様の嗅覚を料理に合わせて調整するんです」
確かにトマトの爽やかな香りを鮮明に感じる気がする。
御託はともあれ、とにかく今は腹ペコだ。
「「いただきます」」
トマトとモッツァレラチーズをナイフで切り分け一口。
「「っ!」」
さっぱりとしたチーズにトマトの旨味が舌の上で絡みつき、チーズがトマトを、トマトがチーズを互いに引き立て合っている。
あまりの美味さに二人とも夢中になって食べ進め、あっという間に皿は空っぽになった。
マッサージの効果も相まってか、先程から身体の調子がすこぶるよかった。
全身から活力が漲り、霊力が魂の奥底から湧き上がってくるようだ。
「さあ、お次はプッタネスカ。唐辛子とオリーブ、ニンニクの香りをお楽しみください」
プッタネスカ。イタリア料理史上最も古くからあるパスタソースの一種である。
これもまた絶品で、濃厚な旨味とニンニクの風味が食欲を掻き立て、程よく辛いソースがクセになる美味さだった。
それからさらに料理は続き、肉料理、サラダ、デザート、最後のエスプレッソまでどれも最高で、すべて食べ終える頃には二人の霊力量も数倍にまで跳ね上がっていたほどだ。
「こんなに至れり尽くせりなのに本当に一〇〇〇円でいいんですか?」
「ええ、あくまで趣味でやっている店ですし、初回限定ですから。次からはちゃんと相応のお値段になりますから、もしご縁があればまたいらしてくださいね」
「もちろん! 絶対来ます!」
「お料理とっても美味しかったです~」
服を着替え会計を済ませた二人はコックと整体師の双子に見送られ大満足で店から出た────次の瞬間。
「「あれ……? こんなところで何してたんだっけ」」
三方をビルの壁に囲われたただの空き地に出た二人は、周囲を見渡しぼんやりとした顔で首を傾げた。
何となくここで何かあったような気がしたのだが、それが何だったのか思い出せない。
だが、身体の調子はすこぶるいいし、心地よい満足感もありとても幸せな気分だった。
不思議なこともあるものだなぁと思いつつも、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまい、夢見心地のまま二人は路地裏の空き地を去っていった。
☆
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
店のドアベルが鳴り、喪服の美女が一人で店を訪れる。
予約時間通りの来店。タヌキの耳と尻尾を生やしたコックと双子たちがにこやかな笑顔で常連客を出迎えた。
「うふふふ、いつものやつをお願いね」
「では、いつも通り準備を整えてお待ちください」
「お背中をお流しいたします」
「どうぞこちらへ」
双子たちに案内されて喪服の美女がカーテンの向こうへと入っていく。
注文の多い料理店、夢慈菜亭。
それはどこに現れるか分からない、化け狸が経営するちょっと変わった不思議な料理店。
もしかしたら、次に現れるのはあなたの町かもしれない……
タヌキにおもてなしされて化かされた話




