双子ちゃん怪異譚
夜鳥羽市立第二小学校四年二組にはオバケがいる。
駒沢弥一がその事実に気付いたのは、ゴールデンウィーク明け、約一週間ぶりに学校に登校してきたその日のことだ。
……いつの間にかクラスメイトが増えている。それも二人もだ。
一人はアニメのヒロインみたいなピンク色のツインテールで、名前は犬飼優芽。
性格は明るく元気で、ちょっとおっちょこちょいな所もあるが、それも含めて皆から愛されるクラスの人気者。
そしてもう一人は座敷童みたいなおかっぱ頭で、名前は犬飼芽衣。
性格は生意気なしっかり者。しょっちゅう人をからかって遊んではいるものの、よく周りを見ており、揉め事の気配を事前に潰して回っているような節も見受けられる。
二人とも顔がそっくりで名字も同じ。どうやら双子らしい。
弥一以外のクラスメイトや先生は、二人をまるで最初からこのクラスにいたかのように扱い、自分以外の誰もが双子たちを当然のように受け入れていた。
というか、誰もピンク髪にツッコまない時点でおかしい。
不気味に思い昼休みに職員室で去年の遠足の写真を見せてもらったが、双子たちとお弁当を囲む楽しそうな自分の姿が写っていた時は流石に眩暈がした。
記憶にないのに写真はある。
自分だけが知らないクラスメイト。気にならない訳がない。
その日の放課後、弥一は謎の双子の正体を探るべく、二人の後をこっそり追跡することにした。
どうやら通学路も同じ方向のようだ。
学校を出て人の気配もまばらになったころ、優芽が突然立ち止まり、ブロック塀の上にはたと視線を向ける。
「あ! にゃんこ!」
「ブミッ」
ブロック塀の上で昼寝していた黒猫がギョロリと目玉を見開く。
……あれは本当に猫なのだろうか。
確かに形は猫っぽいが全身に目玉が沢山ついているし尻尾も二本ある。鳴き声もなんだか変だ。
「ブ」
「あっ、にゃんこ逃げた! あはは、まてまて~!」
「あ、優芽!? 待って!」
逃げた猫(?)を追いかけ走っていく優芽と芽衣。
何となく嫌な予感がしたが、好奇心に負けて二人の背中を弥一も追った。
猫は細い路地へと身を滑り込ませ、双子たちを暗がりへと招き誘い、次第に周囲の景色は弥一にも見覚えのない不気味なものへと変化していく。
渦巻き大きく歪んだ空に、禍々しく捻れた電柱。
路地を囲う板塀は血糊のような赤い苔にべっとりと覆われている。
背後からねっとりと絡みつくような視線を感じるが、なんとなく振り返ってはいけない気がして、弥一は双子たちを追うことだけに意識を向けた。
「あれぇ? にゃんこどっか行っちゃった……」
「ねぇ優芽、戻ろう? ここなんか変だよ」
「ふぇ? ……ここどこぉ?」
ようやく自分が謎の場所に迷い込んでしまったことに気付き、優芽がこてんと首を傾げる。
血のように赤い夕焼けが寂れた薄汚い廃墟を照らし、地獄めいた陰影を地面に落とし込む。
どこからともなく聞こえてくるぶつ切れの「夕焼けこやけ」に、弥一の胸が不安と焦りでざわめいた。
何となくだが、この音楽が終わる前にここから移動しなければ、何かとてもよくないことが起こりそうな気がした。
こういう時の弥一の勘はよく当たる。その直感に命を助けられたことも何度かあった。
「あ、夕焼けこやけだ。帰らなきゃ!」
「あ、ちょっと優芽!? どこ行くの!?」
「近道! こっちだよ!」
初めて来た場所なのにその自信はどこから湧いてくるのか、優芽は迷わず板塀の隙間から大きな廃墟の裏庭へと入り込んでいく。
見失ったら二度と会えなくなるような気がして、弥一は背後の視線を振り切り二人の後を追った。
────ざわざわざわざわ……
弥一の後ろで何かが蠢いている。
振り返っちゃダメだ。弥一は何度も自分に言い聞かせ、どんどん変な所へ入り込んでいく二人を見失うまいと必死に追いかける。
「あれぇ? 行き止まり?」
やがて廃屋の中へ潜り込んだ優芽たちは七桁のダイヤル式南京錠で閉じられた扉の前にたどり着く。
他に通れそうな通路は無い。完全な行き止まりである。
背後からジリジリと迫る気配から少しでも逃れようと、弥一が前に足を踏み出した、その時。
ギシ……
「弥一く……ん?」
「きゃ────っ!?」
古くなった床板がギシギシと悲鳴を上げて、その音に振り返った芽衣と優芽が弥一の背後にいる『ナニカ』を見て悲鳴を上げた。
迫り来る恐ろしい『ナニカ』に怯えた双子たちは、扉の鍵を開けようと二人で必死にダイヤルをいじり回す。
その姿を見て弥一の背後で『ナニカ』がニヤリとほくそ笑む。
────そうだ、もっと怖がれ。ここがお前たちの終点だ。その扉はこの屋敷の中に隠された謎を解かねば開かな……
「開いた!」
「やったぁ! ラッキー!」
────えぇ……(困惑)
適当に回したらまさかの一発正解。
ハイタッチして「きゃー!」と一目散に逃げていく双子を前にして、流石の『ナニカ』も困惑を隠せない。
芽衣は家に幸運をもたらす座敷童だ。
そして優れた霊的感受性を持って生まれ、一時期芽衣に憑依されていたおかげで座敷童としての能力に開花した優芽もいる。
二人分の幸運パワーをもってすれば、当てずっぽうで七桁のダイヤル錠を開けてしまうなど造作もなかった。
というか、裏口から入られてしまったため、ここまでに用意していた謎や罠の殆どをスキップされてしまっている。
人間を異空間へ誘い、謎を解かせつつ命がけの鬼ごっこをさせる怪異にとってこれほどの天敵もいないだろう。
「逃げろー!」
「きゃー! オバケー!」
「あ!? ま、待ってよー!」
────…………逃がすかッ!!!!
「あ! ここ入れそう!」
長い廊下を走って逃げる際中、ちょうど子供一人が入れそうな小さな隙間を見つけた優芽が、床を這いずり探検気分で入り込んでいく。
「近道ゴーゴー!」
「うわっぷ!? うぇぇ、クモの巣引っかかった……」
優芽に続いて芽衣と弥一も小さな隙間にで入り込み、ちょうど弥一の足が隙間にすっぽりと入り込んだところで、廊下の角から『ナニカ』が顔を出した。
────ああっ、くそっ! 見失った! どこいったアイツら!?
「なんだろう、ここ」
小さな隙間を通って大幅に道をショートカットした三人が辿り着いたのは、石膏の胸像がポツンとあるだけの殺風景な部屋。
よく部屋を観察すると、石膏像の右目には穴が開いていることに弥一は気付いた。
「この石像、右目が無いよ」
「優芽、さっき道でスーパーボール拾ってたよね。入れてあげたら?」
「うん、そうする。あ、動いたぁ!」
優芽が上着のポケットからスーパーボールを取り出し石膏像にはめ込むと、石膏像の首が一八〇度回転して部屋の奥に隠されていた扉が現れた。
────あっ、くそっ! もう宝玉の仕掛けを解いたのか……ってスーパーボールじゃねーかコレ!
用意していた謎や即死トラップを次々とスルーし、本来なら謎を解かなければ動かせない仕掛けも幸運パワーで強引に突破して、とうとう三人は一切の謎を解くことなく異空間の出口へとやってきた。
「また鍵が掛かってるよ!?」
「どうしよう、この扉ダイヤル式じゃないよ!」
出口の扉は固く閉ざされており、ここを開ける鍵は全力でスルーした地下室の奥に隠されたままだ。
────ぜぇ……ぜぇ……も、もう逃さないぞ。
追い詰めたはずなのに、どうしてこんなに自分は疲れているのだろうとふと我に返り、『ナニカ』は猛烈に悲しくなった。
「ひぃっ!? アイツだ! もうダメだぁ!?」
この少年はまだ普通に怖がってくれるだけマシだ。
こうやって怖がってくれるのが普通で、誘い込んだ人間の恐怖を食らって生きる『ナニカ』としては、こういう反応がもっと欲しいところだった。
「なんか弱ってる? やっつけちゃえ!」
「あっち行け! あっち行け!」
……問題はこの双子だ。
最初は怖がっていたくせに、もうこの状況に馴れて逆に楽しんでしまっている。
今となっては怖がるどころか、雪合戦でも楽しむみたく、きゃっきゃとこちらにモノを投げてくる始末。
というか投げてくる物に微弱ながら霊力が籠っているせいか、普通に痛い。
女の子の方が肝が座っている事は多々あるが、流石にここまで肝の太い子供は初めてだった。
何なんだこの双子は。
これほどまで思い通りにならなかったことなんて今まで一度もなかった。
誰も彼も、皆最後は絶望に顔を歪め、極上の恐怖と共に自分の腹へと収まっていったはずだ。
稀に生きてここを出る者もいるが、生還者が噂を広めるほどに『ナニカ』はより強くこの世に定着し怪異としての力も強まるため、時にはわざと逃がしたこともあった。
だが目の前の双子は違う。
自分を怖がるどころか、この状況を愉快なアトラクション程度にしか捉えていない。
むしろ嬉々として怪異に立ち向かい倒そうとすらしている。
恐れ知らずの無邪気な子供。
初めて遭遇した天敵。
こちらの予想をことごとく覆す少女たちが、とてつもなく悍ましい怪物のように見えて仕方なかった。
────今、自分は何を考えた……?
こんな小さな子供に討ち倒されるなど、そんなこと起きるはずがない。
なのにこの震えはなんだ。
人を恐怖させる存在が、人間の、しかも子供に恐怖するなんて、そんなことあってはならない。
これでは存在の定義が破綻してしまう。
怪異は人間の恐怖から生じ、噂や怪談などにより肉付けされていく一種の情報生命体だ。
それ故に怪異は、自身を構成する物語に大きく行動を縛られる。
そして万が一、自分自身を否定するような感情を怪異が抱いた場合、怪談は矛盾を起こし────破綻する。
────い、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ消えたくない消えたくない消えたくない怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いああああああああああああああああああああああああああああああっ!?
湧き上がる恐怖心に苛まれた怪異が身悶えしながら絶叫し、異界と化した廃墟諸共ドロドロに溶けて崩れ去っていく。
やがて破綻した怪談は跡形も無く消え去り、弥一が恐る恐る目を開けると、三人とも見覚えのある近所の路地裏へと帰ってきていた。
「た、助かった……?」
「ね? 近道だったでしょ?」
身体にまとわりついていた嫌な気配から開放されその場にへなへなとへたり込む弥一。
そんな彼の顔を優芽が「にひっ」と無邪気に笑いながら覗き込む。
クラスの人気者の天使のような笑顔に、弥一は思わずドキッとした。
夕焼けこやけのメロディーが遠く響く、五月の夕暮れ。
「じゃあね弥一くん! また明日!」
「えっ、あっ!?」
先程までの恐怖体験など無かったかのように、元気いっぱい手を振り走り去っていく優芽。
まるで昔からの友達のような挨拶に、やはり弥一は戸惑ってしまう。
「まったく、優芽は元気だなぁ。じゃあね弥一くん。さっきの体験はあんまり人に喋らないほうがいいよ」
活発な双子の妹に苦笑しつつ、意味深な台詞を残してその場を去ろうとする芽衣。
「ま、待って! 君たちは何者なの……?」
去り行く背中になんと声をかけようか一瞬迷い、弥一の口から出たのは別れの挨拶ではなく純粋な疑問だった。
そんな弥一の問いかけに、芽衣はゆっくりと振り返り────
「なーいしょ」
唇に人指し指を当て、悪戯っぽい笑みを浮かべて走り去った。
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