揺れる心
犬飼晃助。
俺の父方の祖父であり、俺の人生の師匠でもある人。
とにかくよく食べ、よく寝て、よく笑い、何歳になっても新しいことへの興味が尽きない人だった。
バイク、キャンプ、釣り、狩猟、カメラ、ダイビング、サーフィン、漫画、小説執筆、ゲームにアニメと、おおよそ思いつく限りの趣味はすべて網羅していたように思う。
そんな趣味人だったからか交友関係も広く、葬儀に各界の有名人がこぞって押し寄せてきた時は驚いたものだ。
その性格はまさに豪放磊落、闊達自在。
小事にこだわらず、生前は常にどっしり構えて朗らかに笑っていた。
夏になると毎年のように自慢のハーレーでやってきては、俺たち兄妹を日本各地の色々な場所に連れていってくれた。
俺も爺ちゃんが来るのを毎年楽しみにしていたし、この人から学んだことは両手の指では数えきれないほど沢山ある。
最後の最後まで全力で人生を楽しんで、去年の夏に自室で小説を書きかけたままぽっくりと息を引き取った。
享年一〇二歳。老衰だった。
よく日に焼けた肌に刻まれた深いシワ。仙人のように長い眉毛と、口元を飾るダンディーな髭。
その手足はとても一〇二歳の老人とは思えないほど太く逞しい。
すべてが記憶の中にあるままの姿で、死んだはずの爺ちゃんが俺の隣で愛車を駆り風を切って走っている。
「なんで爺ちゃんがこんなとこに!? 去年死んだはずだろ!」
「おうよ。気付いたら三途の川の渡し船の上にいたんだから流石に驚いたぜ」
そりゃこっちのセリフだっての。まさかあの爺ちゃんがあんなあっさり逝っちまうなんて思ってなかったんだから。
「ほんで、閻魔様に直談判したわけよ。まだまだやりてぇことがいっぱいあったのにやりつくしてねぇのが未練で仕方ねぇってな。そしたら閻魔様がよく生きたご褒美にって、仙人にしてくれたんだわ。だもんで今は二度目の人生をエンジョイ中って訳よ! ガハハハ!」
「ははっ、爺ちゃんらしいや」
「んで、霊界を巡る旅をしてるんだがよ、食材の買い出しで仙界に寄ったらオメェたちが襲われてるじゃねぇか。晃弘オメェ何やらかしたんだ?」
猫目ゴーグルの下でギラリと光る、悪友の武勇伝を待ち望む少年のような眼差し。
「ちょっと賭場でイカサマしたらバレちった」
「ガハハハ! やっちまったなぁオイ。イカサマはバレないようにやれって教えたぜ俺ぁ」
「ごめーん」
「ああ、この祖父あっての孫だったわ……」
俺たちの会話にレイラが呆れたようにこめかみを押さえる。
おうよ! 爺ちゃんは俺の人生の目標だからな!
「麗羅ちゃんも久しぶりだなぁオイ。えらい別嬪さんになったなぁ。元気してたか?」
「えっ!? あの、私のこと覚えてらっしゃるんですか!?」
「なーに言ってんだ。惣流院さんとこのお嬢さんだろ? 小さい頃はよく晃弘たちと一緒に遊んでたじゃねぇか。親父さんは元気にしてるか?」
俺が神になったことでレイラのことを思い出したみたいに、爺ちゃんも死んで仙人になったことで悪魔の契約の対象外になったのだろうか。
そういえば俺とレイラが初めて会ったのも、爺ちゃんに連れられて惣流院家のお屋敷に行った時だったっけ。
「あ、はい。それはもう。むしろちょっと若返ったくらいです」
「ガハハハッ! そいつぁ重畳」
「二人とも師匠のお知り合いなんですか?」
俺たちをサイドカーに引き込んだ少年が、俺とレイラの顔を交互に見て驚きに目を見開く。
見た目の年齢は俺たちと同い歳くらいか。切れ長の瞳が涼やかな美少年で、長い黒髪をポニーテールにしている。
服装は黒地に金の刺繍が入った中華服だ。
「さっきからずっと気になってたけど、お前誰?」
「あ、申し遅れました。僕は劉小龍と申します。晃助師匠の下で仙道を学ばせて貰っています」
シャオロンがご丁寧に包拳礼で挨拶してくる。
「あー……まあ押しかけ弟子って奴だな。三途の川の近くでウロウロしてたんで世話してやったらなんか懐かれちまってよ」
「はいっ! トラックに轢かれて死にかけていたところを師匠のおかげでどうにか踏みとどまることができました! 今は夢を通じて霊界と現世を行き来しながら師匠の旅路にお供させてもらっています!」
「そっか、俺は犬飼晃弘。晃助爺ちゃんの孫だ。よろしくな」
「なんと! 師匠のお孫さんでしたか! お話はかねがね伺っています。お会いできて光栄です!」
ニコニコと邪気のない笑みを浮かべたシャオロンが俺の手をサッと取って強引に握手してくる。
ぐえぇ爽やか好青年! ……下ネタとか通じなさそうだし、ちょっと苦手なタイプかも。
「惣流院麗羅よ」
「…………はっ!? いやぁアハハ、すいません。よろしくお願いします!」
見惚れたようにボーっとしていたシャオロンが我に返り、レイラの手を取ってにこやかに握手を交わす。むっ……
自己紹介をしている内にバイクは街を出て、石柱が立ち並ぶ渓谷を跳ねるように駆け抜けていく。
「そんで、なんで晃弘と麗羅ちゃんがこんなところに?」
「ん? ああ、実はさ……」
俺は爺ちゃんに事の顛末を説明した。
「なんだ、お前たちも大会に出るのか」
「お前たちもって?」
「僕も出る予定なんですよ。その大会。修業の成果を試すんです」
どうやらシャオロンも大会に出場するらしい。
じゃあもしかしたら、大会中に戦うことになるかもしれないのか。
「どうせ駅は見張られてるだろうし、このまま乗せてってやるよ。晃弘は俺の後ろに乗れ。麗羅ちゃんはそのままサイドカーで、シャオロンは走ってついてこい。これも修業だ」
「分かりました!」
爺ちゃんに適当に言いくるめられたシャオロンがサイドカーから『ひょいっ』と身軽に飛び降りてバイクの隣を並走する。
当然のようにバイクと並走するあたり、コイツも只者じゃなさそうだ。
「よっと。へへっ、こうして爺ちゃんのバイクに乗せてもらうのも久しぶりだな」
サイドカーから爺ちゃんの後ろへと飛び移る。
葉巻の煙がしみ込んだ黒革のレザージャケットのニオイ。
懐かしいニオイと広い背中に、幼い頃の思い出が一気に蘇る。
「そうだなぁ、こっちは時間の流れが違うから随分と昔に感じるわな。小春たちは元気にしとるか」
「ああ、元気だよ。あ、そうそう、実は最近妹が二人増えてさ────」
俺たちは背中越しにお互いのこれまでを語り合った。
霊能力に目覚め、色々あって神になったこと。
大きな妹が二人増えたこと。
宗助が実は生きていて、大馬鹿やらかそうとしていたのを命がけで止めたこと。
小春が魔法少女になったこと。
そして、爺ちゃんとシャオロンの霊界での心躍る冒険の数々。
話している内に日はすっかり傾いて、その日は渓谷を流れる小川の側でキャンプをすることになった。
「おっし、寝床は任せろ」
即興で作った魔法で周囲の地形を整え、広々としたコテージを地面からニョキっと生やして、魔法の炎で部屋の中に明かりを灯していく。
「ほぉ、便利なもんだ」
「夕飯は僕が作りますね」
「私も手伝うわ」
ここまでずっと走ってきたのに、シャオロンはまったく息を切らした様子もなくキッチンへ向かい、その後ろをレイラが追いかける。
シャオロンの野郎、料理できるのか。俺は塩振って焼くくらいしかできねぇのに。
「シャオロンくん、手際がいいわね」
「実家が大衆食堂なんですよ。こっちでも師匠のお食事毎日作ってますし。麗羅さんこそ動きに無駄がないです」
「そりゃメイドですもの。料理ができる男の子はモテるわよ」
「そ、そうですか?」
「ええ、少なくとも作ってもらうばかりの男よりはカッコいいと思うわ」
グサッ!
「えへへ。じゃあ今夜は腕によりをかけて作りますね!」
「ふふっ、じゃあ私も頑張っちゃおうかしら」
広いリビングで耳をすませば、キッチンから楽しそうな会話が聞こえてくる。
くそっ、なんだよ。料理できなくて悪かったなチクショウ。
「ヒッヒッヒ、だーから料理はできるようになっとけってあれほど言ったろうに」
すべてを見透かしたような顔で、爺ちゃんがニヤニヤしながら美味そうに葉巻をふかす。
「ぐっ……しょーがねぇだろ。自分で作る機会が中々ねぇんだから」
「機会なんざ自分で作るんだよ。母ちゃんの手伝いがしてぇとか、理由なんざなんだっていいんだ。何事も挑戦、あとは経験の積み重ねだ」
そう言うと爺ちゃんはいつも通りニカッと笑って、俺の頭をクシャクシャと撫でた。
……帰ったら料理始めてみようかな。
「シャオロンはいい奴だぞ~? 頭は良いし、料理もできる。人当たりもよくて器量もいい。ついでにあの顔だ。まああちこちでモテまくりだわなぁ。本人に自覚はねぇけどよ」
「……ケッ、いいご身分だなイケメン様はよぉ」
「ガハハハッ! うかうかしてっと横からヒョイっと盗られちまうかもなぁ~? 麗羅ちゃん美人になったもんなぁ」
「はぁ!? あんなやつのどこがいいんだよ! 口うるせぇし、愛想も悪いし、すぐにキレるし、胸も無ぇ! いいとこなんて顔くらいなもんだぞ!」
「……胸が無くて悪かったわね」
「「あ」」
振り返ると、できたて熱々の青椒肉絲の大皿を持ったレイラが般若のような形相で俺を睨んでいた。
ヒエッ……
「……ッ、アンタなんか大っ嫌いよ! バカ────────ッ!!!!」
「ぶぐぇっ!?」
強烈なビンタを喰らい錐揉み回転しながら吹っ飛んだ俺を無視して、料理の大皿をテーブルの上に『ダンッ!』と置いたレイラは、そのまま外へと飛び出していってしまった。
「さあ、できましたよ! 今夜は乾燒蝦仁と青椒肉絲、炒飯に卵スープです! ……あれ? レイラさんは?」
遅れて何も知らないシャオロンが干焼蝦仁の大皿と大量の炒飯が入った中華鍋を持ってキッチンから顔を出す。
「……お前たちは先に食ってろ。麗羅ちゃんは俺が探してくっから」
やっちまったとばかりこめかみを押さえて深々と溜息を吐き、爺ちゃんがよっこらせと立ち上がり、レイラの後を追いコテージから出ていく。
「あ、師匠!? 料理冷めちゃいますよ! ……どうしたんですかいったい」
「……知るかよ、あんな奴」
結局シャオロンと二人で食った夕食は、まったく味気の無いものとなってしまった。
あーあ、なーかせた いーけないんだいけないんだ せーんせーに言っちゃーお!




