死線を超えて
お待たせしました!
炎の山が燃え盛り、溶岩の川が煮え滾っている。
地獄の焦熱が魂を焦がす中、俺は迷宮地獄最下層で魂魄開放の第二段階へ到達するための修業に励んでいた。
黒炎ほとばしる九頭竜の牙を、風に舞う木の葉のようにヒラヒラと躱し、反撃の霊力波を叩き込む。
すると間髪入れず炎の壁の向こうから毒蜂の大群が飛んできて、機関銃のような勢いで毒針を撃ちまくってきた。
飛び交う毒針の弾幕を体術で打ち払い、竜巻の魔法で毒蜂を一網打尽に殲滅すれば、今度は全体像が把握できないほど巨大な蜘蛛が酸の糸を滝のように吐き出して襲い掛かってくる。
地獄時間(現世の一〇の六四乗)の一〇の六四乗の速さで時間が進む最下層では、凄まじい速さでモンスターたちが進化を繰り返し、恐るべき化物たちが闊歩する魔境と化していた。
一粒持ち出せば地上のすべてを焼き尽くすとすら言われる地獄の炎。
ここにいるのは、そんな獄炎の中を平然と歩き、過酷な生存競争を勝ち抜いた正真正銘の化物たちだ。
『魂魄開放の第二段階より先は、己の限界を超え、魂の根源に触れなければ体得できません。根源とは即ち、魂の循環機能そのもの。前世の記憶を呼び起こし、その力を今の自分に上乗せするのです』
かつて逢魔さんが語った言葉を思い出す。
現世の時間じゃ数日前なのに、すでに何百年も前のことのような気がする。
大陸蜘蛛の背後に転移で回り込み、降り注ぐ酸の滝を回避して、がら空きの背中に超破霊拳を叩き込めば、地獄の底に『ズドンッ!』と大穴が空いた。
「へっ、そろそろ来ると思ってたぜ……ッ!」
爆散した蜘蛛の破片が獄炎に炙られ塵すら残さず消え去ると、陽炎の向こうにゆらりと人影が姿を現す。
それは迷宮地獄最下層に到達した罪人のなれの果て。
悪夢のようなモンスターたちを屠り、毒の血を啜ってでも満たされぬ渇きを満たそうともがき続ける一匹の修羅。
こちらに気付いた修羅が、真っ黒に焼け焦げた凶貌に狂った笑みを貼り付け嗤う。
「テメェ、何者だ?」
地獄の炎で炙られ黒く炭化した身体。
モンスターの毒血を取り込み肥大化した心臓が炉のように煌々と輝き、脈打つほどに罅割れた皮膚の隙間から燃え盛る毒血の光が漏れ出ている。
「俺の修業に付き合ってくれ。こんなでも一応神だからな。刑期が軽くなるかもしれねぇぜ?」
魂魄開放。光輪を背負う六腕の神へと姿を変え、自ら地獄を下ってきた修羅を挑発する。
「ハッハーッ! そいつァいいや! 神様の血ならちったぁこの渇きも癒えるだろうよ!」
大きく息を吸い込んだ修羅が、紅蓮の業火を『轟ッ!』と吐き出す。
風のバリアで炎を受け流すと、炎に紛れて一直線に突っ込んできた修羅が燃え盛る拳を叩き込んでくる。
身体の前で円を描くように腕を回し拳を逸らすと、炭化した腕が爆発して燃え盛る毒血が周囲にばら撒かれた。
「がぁぁぁぁぁっ!?」
俺の身体に降り注いだ毒血が魂を溶かし、ジワジワと内側に侵食して耐え難い激痛を与えてくる。
「ヒャハハハ! 痛いだろう、苦しいだろう! 俺はその痛みを常に感じてる! 狂うことも死ぬことも許されねぇ! どれだけ化物どもを喰らい、毒の血を浴び飲み干そうと、この地獄の炎がある限り俺の渇きは満たされねぇ!」
俺が激痛に怯んだところへ、嵐のような連打が叩き込まれる。
吹き飛んだはずの修羅の腕はすでに再生していた。
コイツ! 地獄の責苦すら利用して……ッ!?
一撃一撃が恐ろしく重くて速い。
迷宮地獄をここまで踏破してきただけのことはあるってことか!
「テメェも俺の糧にしてやるよォ!」
「そんなに欲しけりゃくれてやるよ!!!!」
燃え盛る拳を四本の腕で受け止め、罪人の口に拳をねじ込み、自分の血を起爆剤に拳を爆裂させる。
するとバラバラに消し飛んだ罪人の肉片がボコボコと膨れ上がって一瞬だけ人の姿に戻り、すぐさま炎に巻かれてみるみる肌が黒く炭化していく。
「あああああああああッ!!!! 熱い! 熱い熱い熱いィィィッ!!!!」
炎を振り払おうとするほど修羅の身体はさらに燃え上がり、溶けて崩れて次第に人の形から外れていく。
「うぎがががが……ッ! ぐぉああああああああああああああ!!!!」
肉の溶けた背中から歪に変形した骨が蜘蛛の足のように飛び出し、怪物へと変じた修羅が、暗い眼窩の奥に怨嗟の炎を宿らせて吼えた。
「クケカカカカ! ヒャハッッ!」
修羅が嗤い、炎の吐息をレーザーのように収束させて撃ち出してきた!
「波ァァァァ────ッ!!!!」
それに対し俺は溜めに溜めた超特大の霊力波で真っ向から立ち向かう!
力と力がぶつかり合い火花を散らす。
衝突の衝撃で地面に亀裂が走り、地獄の深淵に封じられたすべてを燃やし尽くす極炎がチラチラと舌を覗かせた。
「さぁ、どっちが先に燃え尽きるか、チキンレースと行こうじゃねぇか!」
修羅がレーザーの出力をさらに上げる。
ぐっ!? まだこんな力が残ってやがったのか!
「ヒャハハハハッ! こんなもんかよ神様よォッ!!!!」
足元の亀裂が更に大きくなり、溢れ出た極炎が視界を白く染め上げていく。
くそっ、再生が間に合わねぇ!?
「うぐぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
────バキンッ!!!!
すべてが白に染まる中、自分の内側で何かの殻が割れた音を聞いた。
その瞬間、魂の深淵から前世の記憶と力が溢れ出す────ッ!!!!
「は……ははっ、オイオイ、なんだよその姿はよォ……ッ!?」
……ああ、ようやく理解できた。
逢魔さんが第二段階以降の開放を、臥竜院さんの許可無しに使えないよう封印している理由が。
強すぎるんだ。
前世の記憶。今の自分ではない誰かの「我」が。
下手をすればそのまま前世の人格に身体を乗っ取られそうだ。
くそっ、黙って俺に力を差し出せクソジジイ……ッ!!!!
『クククッ、この己を支配しようとするか。若造風情が粋がりおって』
「あぁ……ありがたやありがたや……!」
『憤ッ、地獄の亡者風情が、誰の許可を得て己の貌を拝んでいる』
腕を軽く一薙ぎ。
ただそれだけの動作で轟々と燃え盛っていた獄炎が消し飛び、大地が抉れて地獄の釜の底に大穴が空いた。
すべてを焼き滅ぼす白の極炎が龍のように鎌首をもたげ、迷宮地獄の上層へと流れ込んでいく。
俺と相対していた修羅は、炎の涙を流し俺を拝みながら炎に巻かれて灰すら残さず完全に消滅した。
『まったく、ここはいつ来ても暑いな。どれ、今涼しくしてやろう』
ふぅ、と、息を一吹き。
それだけで地獄の炎が凍りつき、八熱地獄の最下層が極寒の地へ様変わりした。
「ぐっ! く……そ……がッ! やりたい、放題やってんじゃ、ねぇ……ッ!」
ほう、己を押し込めるか。
よかろう、その精神力に免じて今は引いてやる。
だが覚えておけ、己はいつでも深淵よりお前の隙を伺っているぞ……ッ!!!!
割れた魂の殻を霊力で強引に押し硬めて蓋をすると、内なる声は静かになった。
「はぁ……はぁ……っ、くっそ、ふざけやがって! 絶対に渡さねぇぞ! つーか寒っ!? どうすんだよこれ!」
……閻魔様に謝りに行くしかないよなぁ。
あーもう! 絶対怒られるやつじゃん!
「くっそーッ! いつか絶対に従えてやっからなクソジジイがぁ────ッ!!!!」
どんな姿だったのかは大会までお預けじゃい!




